日本政府が正式に“グルジア”という国名呼称を“ジョージア”に変更、そんなニュースがあったのを覚えている方は多いと思う。何でも“グルジア”はロシア語外来の国名であるのだが、しかしソビエト連邦が崩壊し国が独立した後も、2008年にはロシアとの間で南オセチア紛争のような武力衝突があったりと対立関係は根深い、そんな状況で“グルジア”と呼ばれるのには反感があり、ならば英語読みの“ジョージア”にして欲しいとそういうことらしい、調べる限り色々事情があるらしく一概には言えないと注をつけなくてはいけないが。取り敢えずこの記事では以下ジョージアと記載することにして、今回はそんな普段触れる機会の余りないジョージア映画界、そこに現れた新たな才能ナナ・エクチミシヴィリ監督について紹介していこうと思う。
ナナ・エクチミシヴィリは1978年ジョージアの首都トビリシに生まれた。Ivane Javakhishvili State Universityで哲学を専攻、その後ドイツ・ポツダムへ留学、コンラート・ヴォルフ映画テレビ大学で脚本やドラマツルギーを学ぶ。在学中の1999年にはジョージアの文芸雑誌Ariliに短編が何本も掲載され、まず小説家としてキャリアをスタートさせる。
そして2007年には後の夫であり「花咲くころ」の共同監督を務めるジーモン・グロスの長編デビュー作"Fata Morgana"で脚本を担当と、小説家・脚本家というキャリアを積み重ねながら、2007年彼女は短編映画は"The Lost Mainland"で監督デビューを飾り、2011年には短編2作目"Deda/Waiting for Mum"を製作、ストーリーは“若者がアパートから出た後、車の鍵を忘れたことに気づく。彼は母親に窓の外から鍵を投げてくれ!と叫んでから、じっと待つ”とそれの何が面白いのかと思えるあらすじだが、トリエステ映画祭で観客賞、ツビリシ国際映画祭では特別賞を獲得など好評を博したらしい。そして2013年エクチミシヴィリ監督は夫と共に長編デビュー作「花咲くころ」を監督する。
1992年、ソビエト連邦解体後、ジョージアは独立を達成したが、内戦が勃発するなど情勢は不安定だ。14歳のエカ(Lika Babluani)とナティア(Mariam Bokeria)はそんなジョージアのトビリシで暮らしている。エカの家庭には父がいない、時折手紙は届くのだがそれきりだ。過干渉ぎみの母といつも自分を子供扱いする姉に挟まれて彼女は息苦しい生活を送っている。ナティアの家ではいつも喧嘩が絶えない、酒浸りの父親とそんな彼に怒りを隠さない母、さらに口うるさい祖母にナティアはウンザリしていた。しかし学校に行っても家から出ても苦しさは変わらない。エカをいじめるコプラに、ナティアにちょっかいを出すコテ。家庭にも、外にも居場所がないと感じている2人は、心に空いてしまっている穴を埋めあうようにいつも一緒にいて、共に笑いあう。しかしある日ナティアは友人の青年ラダ(Data Zakareishvili)に伯父から預かったという拳銃を見せられる。「護身用に持ってろよ」そう手渡された銃がエカとナティアの運命を大きく変えることになるとは、2人とも知るよしもなかった。
映画の前半は張りつめる不安の中で、悩みを抱えながらも生きていくエカとナティアの瑞々しい青春が描かれていく。“ここは私のいるべき場所なんかじゃない……何となくだけど”そんな絶対と曖昧が混ざりあう思春期特有の疎外感、言葉を重ねれば重ねるほど陳腐になってしまうあの切実さ、だがエカにはナティアが、ナティアにはエカが、そんな思いを共有できる存在がたった1人いることが嬉しくて、互いの傍らこそ自分のいるべき場所なのだと信じられることが嬉しくて。
そんな関係に波紋を投げ掛けるのが銃だ。「エカにだけ秘密の物見せてあげる!」「なに、早く見せてよ!」「まだ、ほら付いてきて!」ロープウェーから降りた2人が森の間の道を駆け抜けていき、そして彼女たちは秘密を共有しあう。「それ私にも持たせて……」「ほら次はアタシの番」ナティアたちは冗談でこの銃をブッ放してやりたい相手について話したりする。そしてある時偶然、エカは“ブッ放してやりたい相手”を逆に助けるために、銃を使うことになるが、家に帰った彼女は怪訝そうな表情を浮かべる姉の前で、堂々とタバコを吸ってみせる。この時はまだ、銃は好奇心の対象で、何だか自分を大人にしてくれるような素敵なアイテムであってくれる。しかし不穏にも青みがかった風景が示唆するように、物語は哀しみを帯び始めていく。
エカとナティアの2人がパンの配給に並んでいた時、いきなり男たちが現れ、ナティアを車に連れ込み逃げていってしまう。本当に一瞬の出来事だ。だが当惑する私たちが次に観ることになるのは、誰もが騒ぎ浮かれる祝宴の会場だ。当惑はどんどん深まっていくかもしれないが、しかしここでエクチミシヴィリ監督が描きたいテーマがはっきりと姿を現すことになる。“誘拐婚”という言葉を聞いたことはあるだろうか。若い男たちが女性を誘拐し、自身の家に監禁、そのまま強制的に結婚へと至る、“誘拐婚”とはそんな人権を踏み躙る伝統だ。日本でも林典子氏の写真集「キルギスの誘拐結婚」が話題になったが、誘拐婚の伝統は中央アジアからコーカサスで続いてきたものであり、ジョージアにもこの土着の因習は根付いていた。そしてこの映画は、誘拐婚が決定的に少女たちの人生を変えてしまう様を残酷に描き出す。
2人は式を抜け出し、閉じられた洗面所に逃げ込む。14歳で結婚を強いられたナティアは気丈に振る舞いながら、どこか諦めたようなそんな声色で本心を打ち明ける。そののち、祝宴の最高潮にエカが見せる舞踏は驚くほど見事で、かけがえのない親友の幸せを願う思いに満ちているように見える。だが悲痛な偽りだ。エカは心にまとわりつく予感や不安の全てを振り払うために踊り続ける、踊り続け、踊り続け、踊り続けて、ナティアはそんな彼女を感謝の言葉とともにギュッと抱きしめる。私たちはこの抱擁が解かれないまま全ての時間が止まってくれるのを願うが、エクチミシヴィリ監督は故郷への怒りをエカとナティアの道筋に託し、そして物語は続く。
“この映画の出来事は全て、私の経験を元にして書かれたものです”エクチミシヴィリ監督はそう語る。“エカというキャラクターについては基本的に私の人生・経験が元になっていますが、ナティアの中にも私はいるんです。この頃、当時の私くらいの年齢の少女が誘拐され自分の意志に関係なく結婚を強要されるというのはごく普通のことでした、私は誘拐されずに済みましたが”*1
(映画の舞台は1992年だが、インタビュー当時2014年の今でも、女性は若くして結婚しなくてはならないという圧力は存在するか?という問いに)
“私の意見としては、未だ圧力は残っていると思います。ジェンダーロールはジョージアの伝統に深く根ざしていているんです(中略)"誘拐婚"と呼ばれる行為については減ってきていますが、若くして結婚することになった人々はまだまだ多い(中略)親の多くは、17,18になったら自分の子供たちを結婚させるべきだと思っているんです。私はある統計を読んだのですが、2013年にはジョージアに生きる7000人の少女たちが結婚のため学校を去らなければならなかったそうです。しかし少女たちは言うでしょう、私たちは結婚したかったからそうしたまでで、それで何の問題もありませんと。だからこそこの問題について語ること、この問題を映画として語ることが重要だったんです”*2
「花咲くころ」はベルリン国際映画祭で初披露されC.I.C.A.E.Awardを獲得、更にはAFI Festでは新人監督賞、サラエボ国際映画祭では監督賞・俳優賞、東京Filmexではグランプリ、そしてツビリシ国際映画祭では作品賞を獲得するなどデビュー作としては破格の評価を受けることとなった。ジョージア映画界の新鋭ナナ・エクチミシヴィリ監督の今後に期待が募る。
参考資料
http://www.ohcomely.co.uk/blog/910
https://laurencbyrd.wordpress.com/2015/07/21/52-weeks-of-directors-nana-ekvtimishvili/
http://www.thecredits.org/2014/02/georgian-filmmaker-nana-ekvtimishvili-on-her-powerful-debut-in-bloom/
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