さて再びのリチャード・リンクレイターである。私は以前リンクレイターの初長編は「バッド・チューニング」だとばかり思っていた。長じてその前に"Slacker"という長編映画を作っているのを知りこれが初長編だと思い直したのだが、いやいや"Slacker"の3年前に実はもう1本リンクレイターは長編映画を作っており、それこそが本当の初長編だった訳である。ということで今回はリチャード・リンクレイター幻の長編デビュー作(とは言いながら、"Slacker"のソフトに特典映像として付いてくるけど)である"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"を紹介していこう。
ガランとした部屋に青年(リンクレイターが兼任)が帰ってくる、彼は留守電に古い友人フランクからのメッセージが入っていることに気づく。俺はミズーリでもまあまあ上手くやってるよ……ルームメイトはこういう子なんだよ……お前学校とか行ってないんだって……俺んトコ来て何か一緒にやらないか……それを聞いた後に青年は水を飲む、コインランドリーへと赴く、部屋で適当に過ごす、上半身裸で模造のライフル銃を窓の外へと向ける、そうしていたずらに日々は過ぎていく。
例えば"Slacker"の機銃掃射さながらの饒舌性、例えばビフォア三部作における愛と時間の甘美で残酷な関係性、例えば「スキャナー・ダークリー」の自己が酩酊と狂気によって撹拌されていく感覚、例えば「6才のボクが、大人になるまで」におけるアメリカのある時代の空気を映画として捉え直す大局的な視点、こういったリンクレイターという人物が宿す万華鏡にも似た映画への愛を知っている人でも、この"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"が彼の長編デビュー作と言われたなら困惑する他ないだろう。劇伴はもちろん会話すら殆ど排され、ただただ目の前の光景がストイックに撮されるだけのミニマルな演出――例えばジム・ジャームッシュの初期作などが指向する――からは、それ以降の作品に見出だせるリンクレイターの息遣いを微塵すら感じることは出来ない。
そんな中で青年はとうとう友人に会うため旅に出る。しかしそこでもミニマルを極めた演出は保たれる。青年がチケットを買う、青年が席に座って窓の外を眺める、青年が列車の廊下を歩く、青年が駅の座席で列車が来るのを待つ、青年が席に座って窓の外を眺める、青年がトイレに行く、青年が席に座って窓の外を眺める、その窓からはノロノロと走る黒い乗用車が見える、そして無味乾燥な街並みと遠くに見えるビル群、軒を連ねる無機質な工場の外壁、向かいの線路を走る赤銅色の車体をした貨物列車……
以前のブログに、リンクレイターの第2長編"Slacker"はマンブルコアの登場を準備したと書いた。確かにその面は多くあるのだが、いやこの"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"を見てしまうとマンブルコアの始まりは此処にこそあったと言わざるを得ない。青年はミズーリに着き友人と再会するのだが、お前何か学校まだ行ってないのか……うん、まあ……だとか正に"Funny Ha Ha"や"Dance Party USA"とそっくりの、何が言いたいのか/何を言ってんのか解らないモゴモゴ会話が繰り広げられる。その殆ど判別不可能なモゴモゴ具合は何十本ものマンブルコア作品を観た私にとっては最早感動的ですらある。
そしてマンブルコア作品がやらかす低予算故の、ただただ眼前の光景を撮すといった長回しも顕在だ。だがマンブルコアと決定的に違うのは反復される長回しとその構図が計算され尽くしていること、それがボーッと眺めているだけでも如実に伝わってくる点だろう。スーパー8によって紡がれる画面にはいつであっても憂鬱な紫のヴェールが掛かり、青年たちはそのメランコリックな世界を何の目的もなく彷徨う。ビリヤードをする、友人の友人にロシア語を習う、酒場に行って流れる曲に耳を傾ける。この退屈な時間が焼き付いた光景に何とも形容しがたい吸引力が存在しているのだ。更に彼らは丘や山にも足を運ぶのだが、その時に広がる風景――黒い山肌と白い雪が混ざりあう雪山に立つ2人、彼らは向こう側に聳える山とそこに棚引く分厚い雲を眺める――には崇高さすら宿っている。
今作にはプロットが存在しない、だからこそ旅行先で何が起こる訳でもなく青年は独りで家に帰る、という映画として有り得ないような展開すら有り得てしまう。青年が席に座って窓の外を眺める、青年が洗面所で歯磨きをする、青年が席に座って窓の外を眺める、青年が荷物を持って乗り換えを行う、青年が席に座って窓の外を眺める、青年が卵焼きを買ってから席に座ってそれを食べる。リンクレイター作品は"Slacker"から「6才のボクが、大人になるまで」まで会話が牽引力となっている作品ばかりだが、今作はこういったミニマルさ故に台詞自体がほとんどなく、しかもその1/3は車内もしくは場内アナウンスなのが特徴的だ。乗客に注意を促す男性の声、女性の声、英語、スペイン語、どれもが機械的な感触を宿しながら青年の旅路に空しく響きわたる。
私は一本だけこの映画に似た映画を観たことがある、それは2006年に製作されたポルトガルの映画作家Hugo Vieira da Silvaによる恐るべき作品"Body Rice"だ(紹介記事読んでね)。更正の一環でドイツからポルトガルの片田舎に送られた非行少女たちの日常を淡々と描き出した作品なのだが、この作品にはただただ圧倒的な無が存在していた。何の変化もないまま日々が無意味に費やされていく、若さが磨り減っていく、だが彼女たちは何も出来ないし何もしない、余りに深い無力感は紫のヴェールという姿を借りてこの映画を支配していた。そして"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"もまたそうだ。
旅から帰ってきた青年が車を運転して何処かへと向かうとそんなシーンが存在する。カメラは後部座席に置かれ、青年の後ろ姿とフロントガラスから見えるビル街がそのレンズには映る。青年は運転中、何度もラジオのチャンネルを変える。詰まらないトークショー、陳腐なポップソング、感傷的に過ぎるバラード、無機質なニュース、そのどれも彼には気に入らない。その後彼はテレビを観る。昔の白黒映画、ニュース番組、結婚式のCM、ポップソングのMV……若い頃私たちの目の前には無限の可能性が広がっている、ロックスターになる、財界のお偉いさんになる、誰もが尊敬を向ける知識人になる、自分だけの幸せを手に入れる。だがどれかを選ぼうとする時になると途端にその夢は色褪せた物となり、こんなの違うと投げ出したくなる、自分の居場所は此処ではないとその場から逃げ去ってしまう。そうする間に時は過ぎていき、あれほど開かれていた可能性は閉じていき、私たちは焦燥に身を捩る羽目になる。でもじゃあ自分は一体どうすりゃいいんだよ? そんな叫びは、しかし声を伴うことない、そして残酷なまでに時は過ぎ去っていく。この"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"にはそんな時代に広がる、若さという名の不毛な荒野が焼きついてるのだ。
では、リンクレイター自身はどうだったのか。25歳でオースティン映画協会を設立し短編を精力的に製作した後、彼は長編デビュー作"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"を完成させるに至った訳であるが、ある超有名監督がこの作品を高く評価した。その監督とは「断絶」や「コックファイター」などを手掛けたモンテ・ヘルマンその人である。彼は当時のことについてこう語っている。
"15年前、私はテキサスのある若い映画監督から手紙を受け取った。彼は初長編のテープをそこに添付しており、それには"本を読むだけでは農業は学べない"という耳慣れないタイトルが付いていた。"本を読むだけでは映画作りは学べない"とも言い換えられただろう、才能や素質があるにしても、農業や映画作りを学ぶ一番の方法は実践することなのだから。そして私は彼にとっての初めての努力の結晶にいたく感銘を受けることになった。その映画監督の名はリチャード・リンクレイターだった。
過去を振り返っても、私は若い映画監督たちから本当に多くの手紙を受け取っていた。私に読んで欲しいと脚本を送ってくるのが普通で、その脚本を読んだり返事を書くことは稀だった。だが様々な理由があって私はリックの映画を全て観た上で、熱烈な激励を以て彼に返事を送ったのだ。手紙のコピーはもうないのだが(それはコンピューターと愛憎半ばに至るより前のことだった)、あの35mmの長編映画"Slacker"の予算を得るためにこの手紙が役立ったのだと後に彼は話してくれた。本当にしろ何にしろ、私はそれを誇りに思っている"*1
ヘルマンの激励を受けてリンクレイターは傑作"Slacker"をものにし、米インディー映画界期待の新鋭としての評価を獲得、20年後にはアメリカを代表する偉大な映画作家となったのだった。いやーでも個人的には第3長編の「バッド・チューニング」が物凄くどうでもいい映画で、前2作にあった強烈なメランコリーとパラノイアの感覚が何であんな楽天的なムードに転換したのかが完全に謎だ。「バッド・チューニング」のつまんなさがあってリンクレイターには余り手を出してこなかったが、初長編と第2長編を観て何だよリンクレイター面白いじゃん!となったので、今後はちゃんと観ていこうかなと思いました、でも新作の"Everybody Wants Some!!"は「バッド・チューニング」の精神的続編らしいので多分観ません、終わり。
結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
私の好きな監督・俳優シリーズ
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
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その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
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その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
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その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
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その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
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