鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち

さて、モルドバ共和国である。最近このブログでは新旧問わずルーマニア映画を紹介しているが、その国の隣にあるのがモルドバ共和国である。ルーマニアとは民族の血や言語を共有しながら、決して同一視することは出来ない文化と歴史を持っている。この国の話題としては、2009年に起こったモルドバ暴動を覚えている方も少なくないかもしれない。この国を独立から常にモルドバを率いてきたのは共産党だが、長年の腐敗政治に対し国民の不信感は募るばかりだった。そんな中で2009年には総選挙が行われるが、ウラディミール・ボロニン大統領率いる共産党がやはり第一党となるという結果に終わった。しかしこの選挙が不正だという疑惑が持ち上がり、野党を支持する若者たちが抗議活動を開始、それが暴動へと発展してキシナウの大統領府や議会が一時的に占領されるまでになる。後に警察によって暴力が鎮圧されるが、双方の激突によって多くの人々が傷つき死者も出る未曾有の事態となってしまった。今回はモルドバ暴動の際に繰り広げられた不条理な暴力の行く末を描き出すAnatol Durbală監督作“Ce lume minunată”を紹介していこう。

22歳のペトル(Igor Babiac)は留学先のアメリカから、久しぶりに故郷のモルドバ・キシナウへと帰ってきた。彼は春休みを使って叔母やイタリアで仕事をする母と会うという計画を立てており、里帰りは楽しいものになる筈だった。しかしその頃、キシナウの中心部で選挙結果に不満を持った若者たちが暴動を起こし、暴力の嵐が吹き荒れていたのを彼は知らなかった。

監督はまずペトルが過ごす何の変哲もない日常を丹念に描き出していく。気の良いタクシー運転手とは自分がアメリカに留学していたことや、そこで出来たドミニカ共和国出身(“ドミニカ"共和国"にモルドバ"共和国"、いいねえ!”とは運転手の言葉)の恋人について話したりと和気藹々とした時間を過ごす。そして叔母と再会を果たした後には、2年前からそのままな自分の部屋に感慨を抱く。だがSkypeに使うためのパソコンを友人に預けていたのに気づき、ペトルは友人宅へと向かうのだが、その選択が彼の運命を大きく変えることとなる。

“Ce lume minunată”はモルドバ暴動の際に起こった実在の事件を元にした作品であり、その不穏な気配はそこかしこに現れる。薄暗い影に包まれ亡霊でも現れそうなキシナウの街並み、どこからともなく聞こえてくる不可解な音の数々、友人宅のテレビに映る暴動風景、そしてその不穏な気配はペトルをも呑み込もうとする。パソコンを持ちかえる帰路の途中、彼は逃げ惑う若者たちと鉢合わせしたかと思うと、突如現れた二人の男に殴られ、訳も分からないまま連行されてしまう。

今作において監督の手捌きは初長編とは思えないほど技巧的だ。余りにも唐突な暴力行為が繰り広げられた後、場面はアパートの屋上へと移るが、私たちはまずライフル銃を構える男の後ろ姿を目撃するだろう。何かただならぬ事件が起こっている予感に背中を撫でられながら、カメラは屋上から下に広がる風景を眺める。パトカーのどぎつい灯り、辺りを探索する警察官たち、道に並んで転がる何か。カメラはスルスルと屋上を壁伝いに下りていき、その何かが大きくなっていく。それは暴力の恐怖に怯える若者たちだ、中にはペトルの姿もある。そして彼らは警察官の手によって成す術もなく連行され、車へと担ぎ込まれる。監督と撮影監督ivan Grincencoはこれを緊迫感の漲るワンカットで演出しきる。この技巧的長回しの数々が今作に息苦しい説得力を与える。

彼らはここから手振れカメラを使ったドキュメンタリー的な撮影技法でその息苦しさを更に高めていく。カメラは狭苦しい空間で恐怖に怯える若者たちの表情や息づかいを捉え、素性も分からぬ地下室へと連れていかれる姿を捉える。グラグラと揺れるカメラワークは若者たちの心を饒舌に語りながら、何処かから聞こえてくる耳をつんざくような絶叫に遭遇するたび揺れは更に増していく。だが彼らが捉えるのは若者の恐怖だけではない。ある時、カメラはとある個室の中を撮す。そこには顔に凄惨な傷跡の刻まれた青年と、3人の警察官がいる。2人の男性は電波状況の悪いテレビでサッカー観戦に明け暮れ子供のようにはしゃぎ、1人の女性は優雅にマニキュアを塗り他の男にその色を見せびらかす。その途中途中において彼らは惨い人権蹂躙を行うこととなる。監督は若者たちに暴力を向けた存在は血も涙もない体制の駒ではなく、それぞれに普通の日常がある一般人だったのだというじょとをふとした描写によって語り、ここで繰り広げられる行為の根深き病根をも語ろうとする。

そして拘留の後、ペトルは署長(Igor Caras-Romanov)の元へと連れていかれ尋問を受けることになる。ペトルは必死に自分はアメリカから帰ってきたばかりで何も知らないことを主張するが、むしろその言葉が署長を苛立たせ、不条理なる状況へと彼を追い込んでいくこととなる。この時カメラは署長の顔を撮し続けるが、最初は穏健な態度を取っていた彼の柔らかな表情に少しずつ影が差し始め、怒りによって歪んでいく様が些かの省略もなく赤裸々なまでに描かれる様は余りにも不気味だ。

そんなペトルと署長の対話にはモルドバの現状までもが赤裸々に浮かぶこととなる。老いによって脳髄が固まった人間が通り一遍にのたまうだろう、自分たちとは違う行動を取る若者たちへの軽蔑というどこの国でも見られるかもしれない普遍的なものから、経済状況の芳しくないモルドバを捨て外国へと逃げ去る者たちへの不信感、更にトルコやイタリアなど自分たちを取り巻く国への鬱屈や偏見など、そうした感情が狭苦しい部屋で爆発する様には圧倒的なまでにおぞましさがある。監督の巧みなストーリーテリングと踏みにじられる者たちへの憐れみ、そして体制への怒りによって、“Ce lume minunată”には72分という短さの中にモルドバ現代史の暗部が鮮烈に刻み込まれている。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
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その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
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