思春期を生きるというのは真綿で首を絞められるような苦しみを伴う。自分を支配しようとする親や先生たち、自分と同じ長さを生きているはずだのにどうにも理解できない同級生や友人たち、そして何より大人と子供の間で身体も心も自由にならない自分への苛立ち。こういう気持ちを私と同じような時を生きる世界中の人々も感じているのだろうか、窓の外を眺めながらそんな思いに耽る少年少女もいるだろう。その答えは“もちろん居るに決まってる”だ。今回紹介するのはアメリカに属する小さな国プエルトリコで思春期に苦しむ少女の姿を描き出したArí Maniel Cruz監督作“Antes Que Cante El Gallo”だ。
Arí Maniel Cruzは1978年プエルトリコのサン・フアンに生まれた。 妻のKisha Tikina Burgosは彼の手掛けた長編で主演や脚本執筆なども担当する人物。大学で報道や脚本執筆について学んだ後、TV界・映画界を問わずシットコムの脚本家やプロデューサーとして活動する。映画監督としては"Zompi"(2005)や"El Brindis del Bohemio"(2009)などテレビ映画を手掛けた後、2012年に初の長編作品"Under My Nails"を監督する。プエルトリコ移民の孤独な女性がニューヨークの深い闇に墜ちていく姿を描いた作品だった。そして2016年には故郷のプエルトリコに戻り、第2長編の"Antes Que Cante El Gallo"を完成させる。
この物語の主人公は13歳の少女カルミン(Miranda Purcell)、彼女はプエルトリコの中心部にある山間の村バランキダスに祖母(Cordelia González)と共に住んでいる。だが自然以外は1つの大きな広場とキリスト教の集会会場でもある農園しかない世界に、彼女はもうウンザリしている。都会に住んでいる母ドリス(Kisha Tikina Burgos)がもうすぐで自分もそこへ連れてってくれる日だけを夢見て、カルミンは退屈な日々をやり過ごしていく。
監督はまずカルミンという少女の人物像を丁寧に描き出していく。中学には全く馴染めないカルミンが、学校を抜け出して向かうのは近くの森だ。堅く雄々しい木の幹が大地に横たわる中、彼女はそこに寝転がってiPodで音楽を聞きながら、煙草をスパスパ吸う。そうして心がやっと楽になるのだ。しかし家に帰ると怒り心頭の祖母が待っていて、彼女を執拗に叱り始める。厳しく保守的で、自分のことなど何も分かってくれない。そんな日常の中で、カルミンは磨り減っていく。
そして彼女を取り巻く環境もまた息苦しいものだ。母が出稼ぎに出なくてはならない状況はプエルトリコの逼迫した状況をダイレクトに反映しており、監督のデビュー長編の主人公も貧困のためニューヨークへとやってきた移民という設定だった。そんな貧困の中で祖母のグロリアがのめり込むのはキリスト教だ。農園で行われる集会、そこでは盲目の女性が聖母マリアの言葉を語り、信者たちは信仰に咽び泣く。グロリアもその一人だが、カルミンが彼女に向ける視線は冷たい。聖母が自分たちを救ってくれたことなんてあった? こんなのただ現実から目を背けるための方便じゃないの? カルミンの眼差しはそんな疑問と神への不信を声高に語る。
だがカルミンにとって待望の日がやってくる、母が町から帰ってきたのだ。だが妊娠中らしい彼女からカルミンは思いもよらぬ言葉を告げられる。もうこの国では生きていけない、だから恋人とアメリカに行こうと思う、だから今はあなたを連れていけないけど、いつかは迎えに来るから……彼女は絶望感に打ちひしがれ塞ぎこんでしまうが、時を同じくして家へと帰ってきたのは疎遠だった父のルーベン(José Eugenio Hernández)だった。
そこからカルミンの日常は変化を遂げるが、安易な救済はここには存在しない。刑務所に長く収監されていた父と久しぶりの再会を果たしたカルミンは、まず不信感を拭いきれないでいるが、母と違いずっと自分といてくれる彼に心を開き始める。だがその交流の中に何か違和感があることに観客は気づくだろう。ルーベンは娘の部屋にズカズカと入り込んだり、ベッドで一緒に寝ようとしたりと余りに距離が近すぎるのだ。印象的なのは父が娘に触れるシーンのおぞましさだ。ベッドで眠るカルミン、ルーベンは彼女を見下ろしながら、掛け布団越しにその身体を撫でる。手つきは恋人に触れる時のそれに似て、親子同士の間にあるべきそれではない。だが物理的にも精神的にも遠く隔たる母や祖母よりも、余りに近いとしても側にいてくれる父の方がカルミンにとっては大切であり、彼女の顔には笑顔すら浮かび始める。
それでもあの不気味な身体の感覚はカルミンの人生を捻じ曲げていく。ある日彼女は股間が血に濡れているのを見つけ、自分が初潮を迎えたことを知る。身体が変化していくごとに、世界もまた否応なく拡大していく中、彼女の目にはセックスという行為が目に入り始める。盲目の女が信徒の一人と車内でセックスする姿、そしてルーベンが露骨なまでにある女性へ性欲を向ける姿、それは全て醜悪なものに映り、カルミンに吐き気をもたらす。だが自分もそこから自由ではいられない。不気味な感覚の数々は彼女を襲い、心を絡め取っていく。そんなカルミンに監督は思春期という成す術なき灰色の苦しみを浮かび上がらせていく。
カルミンを演じるMiranda Purcellは“Antes Que Cante El Gallo”という映画の正に要だ。純朴な顔立ちにはいつであっても不機嫌な苦味が浮かんでいる。自分の周りにある全てに耐えられず、だが一番耐えられないのは他ならぬ自分自身だということに苦悩し続ける姿は、私たちそれぞれの心から吐き気にも似た記憶を引き出していく。“Antes Que Cante El Gallo”はその吐き気に慰めを用意することはない。プエルトリコの逼迫した状況、自分を救ってなどくれない神への不信、心を縛りつける家族という名の呪い、自分が自分ではなくなっていくような感覚……そんな環境の中で少女は大人になるのではなく、大人に仕立て上げられていくのだ。身体は変わり時は過ぎ去る、彼女の心は無視され打ち捨てられたままで
参考文献
https://vimeo.com/user12602831(監督公式vimeo)
https://iffr.com/en/persons/ar%C3%AD-maniel-cruz(監督プロフィール)
http://larespuestamedia.com/ariel-manuel-cruz-interview/(監督インタビュー)
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