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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

1人の死者と流れる時間~Interview with Matic Drakulić

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さて、スロヴェニアである。1年前に"Oroslan"という作品をを観たのだが、今作には深く感動させられた(詳しくは上記のレビュー記事を読んでほしい)スロヴェニアの田舎町、1人の老人が亡くなり人々は悲しみに包まれながら、それぞれの思い出を紡いでいく。その言葉の数々からは死者への哀惜と親密さが溢れだし、生きることへの小さな、切実な祝福が齎される。2010年代スロヴェニア映画界の最後を飾る、輝ける奇跡のような優しさを今作に見たのだ。だが私が特に惹かれたのはその編集だった。この美しい曖昧さの核こそが編集だと思ったのだ。そうしてインタビューを行った相手が編集者であるMatic Drakulić マティツ・ドラクリチである。ということで今回は彼に"Oroslan"をめぐる編集過程、そして編集という芸術それ自体について直撃してみた。早速、どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まず映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていたでしょうか?

マティツ・ドラクリチ(MD):映画に興味を持ち始めたのは高校の頃からと言えるでしょうね。その頃はたくさんの古典作品を観ていました。キューブリックヒッチコック、黒澤、ベルイマンゴダール……それと同時に現代の、文芸的なアート映画も観ていましたね。

TS:編集という役割の何に最も惹かれたんでしょう? 映画そのもの以上に、編集という技法を初めて意識した、もしくは初めて感銘を受けた作品は何でしょうか? その理由についてもぜひお聞きしたいです。

MD:まず編集に惹かれた理由はその可能性、そしてその決断における不確実性です。カッティングについては毎回様々に異なる方法を試し、簡単にやり直すこともある。撮影段階においては、その可能性はより限られたものでしょう。アカデミーで学ぶ際、私たちはまずドキュメンタリーの編集から始めるのですが、ここでこそ私はある物語を創造し語ることの力を十全に知ることとなりました。これが今でもずっと編集に惹かれる理由です。

映画それ自体よりも、ある特定の編集そのものに惹かれたということについて語るのは難しいですね。普通、私が面白いと思う映画は編集が巧みな作品とは言えます。もし挙げるならヌーヴェルヴァーグの諸作ですね。その編集は映画それ自体を越える何かがあるのではと思えるんです。

TS:編集者には尊敬するメンターがいると公言する人物もいます。あなたには特に編集者のなかに、そういった人物がいるでしょうか?

MD:特定の人物がいる、ということはありませんね。

TS:ここからはあなたと、スロヴェニアの映画監督であるMatjaž Ivanišinとの共同作業についてお聞きしたいです。IMDBによると、2017年制作の"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba"からコラボレーションが始まったようですね。これは本当でしょうか? 今回の主題となる"Oroslan"前の、今作や"Playing Men"での経験についてまずお聞きしたいです。

MD:そうですね、"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba"から共同制作が始まったんですが、編集が行われたのは2014年からでした。今作はある有名演出家と3人の俳優による舞台劇にまつわるドキュメンタリーです。こういった観察的な作品の常として相当時間のフッテージ映像が存在したので、私とMatjažは多くの時間を共に過ごしながら、映像を選んでいった訳です。そして"Playing Men"も同時期に編集を行っていて、両方とも2017年にプレミア上映されました。"Playing Men"はまた異なる映画となっています。フッテージ自体は少なく、章立てされた2部構成の作品となりました。しかし同じ暖かみというべきものを2作は共有しています。

TS:ということで"Oroslan"の編集に映っていきましょう。まず、どのようにしてIvanišin監督と再びこの"Oroslan"で共同作業を行うことになったんでしょう? どの段階で今作に参加することになりましたか? 編集にあたって監督や他のクルーからどのような要望をもらい、それにどのように取り組んだでしょう?

MD:"Playing Men"の編集終り、既に私たちは"Oroslan"の制作に取り組んでしました。共同で脚本を執筆していたんです、その時は最初の部分を。編集の際にも監督で共同で行っており、アイデアについて話しあいながら、編集の異なる手法を試していた訳です。

TS:"Oroslan"の冒頭、村における日常がかなり断片な形で描かれますね。濃霧が静寂とともに村を包みこみ、草原を白い車が駆けていく、席で運転手が食事を行い、繊維工場では女性が仕事を行っている。そして村人たちがある老人の死体を見つけることになります。ここにおける省略的な編集が今作において頗る重要なのは、ある小さな、しかし代えがたい断片が村から失われ、この喪失、もしくは死が"Oroslan"の不可欠な核となると観客が知るきっかけとなるからです。この美しくも悲痛なシークエンスをどのように構築していきましたか? ここについて監督から何か要望がありましたか?

MD:その言葉に感謝します。先ほども言った通り、冒頭をどういう風に作り、そのためにどう撮影を行えばいいかについては明確なプランがありました。この場面に関してはですが、撮影した全てが多かれ少なかれ、意図した通りに映画に組み込まれました。編集において残された課題は村においてゆっくりと流れる時間の感覚を作りだすことでした。つまり日常の何気なさ、しかしそれと真逆の、とある1日を描く理由となるあの出来事の重みについてです。

TS:先述の場面の後、村に住む2人の男の会話が描かれますね。この会話は固定カメラでの、丹念な長回しによって構成されており、男たちの動きや表情が子細に描かれながら、親密さというものが徐々に表れることとなります。そしてこの親密さが彼らの、もしくは村人たち皆が抱く、"あなたがいなくて寂しいよ"という深い悲しみを表現していると言えますね。ここで聞きたいのは編集のプロセスについてです。作業中、最も重要だったことは何でしょう? この長回しで表現された場面1つ1つを繋げていくにあたり、最も難しかったことは何でしょう?

MD:Matjažはこの場面を撮影するにあたって、俳優たちがある話を語る様を1つの途切れない流れを描くため、長回しを使おうと決めていたので、編集は俳優に寄り添ったものでなくてはなりませんでした。撮影した中でもベストのものを見つけ出し、そうしてからテイクを変えるか否かについて決断する必要がありました。長回しの構成が固まった時、また難しい決断として、どこで、どのように切り返しを挿入するかを考えざるを得ませんでした。テイクが長くなればなるほど、カットの瞬間があからさまになるからです。故にショット同士がうまく組み合わさるその瞬間を見つけ出すという、正確な仕事が求められた訳です。

TS:"Oroslan"においては多様な語りのリズムが存在しています。後半において、今作は突如トークキング・ヘッド様式のドキュメンタリーに変貌し、村人たちがカメラに対してあの死者について語り始めます。彼が生きていた頃の村を懐かしむような感慨とともに。ここであなたの編集は村人たちの言葉や身振りに、大いなる誠実さと優しさと共に対峙します。これに触れる度、私の目には涙が現れるほどでした。親密で、郷愁深いリズムを伴ったこのシークエンスをどのように編集していきましたか?

MD:この場面における鍵は最初の部分だと私は思っています。前の冬を舞台とした場面と対になる夏の雰囲気、それに音楽、そして映画において初めて見ることになるだろう村人たちの日常生活。そして私たちは村人たちが暖かみを以て、真実の物語を語る光景を見ることになります。ここでは編集で付け加えるべきものは殆どありません、ただ語りの流れを正せばよかっただけです。そうすれば自ずと彼らはあの死者のことを語ってくれるという訳でした。

TS:全体として"Oroslan"はフィクションとドキュメンタリーの境を喜びを以て漂っていき、そのリズムや雰囲気は開かれた可能性を伴いながら常に移ろっていきます。その理解をすり抜けていくような曖昧さは今作の要でしょう。しかしこういった曖昧な作品に一貫性を与えるというのは頗る難しいように思えます。どのようにしてあなたはこの"Oroslan"という作品に語りの一貫性を与えたんでしょう?

MD:あなたの仰る曖昧さというのは、今作の撮影中に下した決断そのものであり、編集中にも心に刻んでいました。そして語りの一貫性に関しても常に焦点が当てられており、キチンと理解できるような作品を作ろうと心掛けていたんです。もしこうして一貫性がなかったとすれば、観客は映画から何も得られず、流れに身を任せる気はなくなり迷ったままになるでしょう。故に先述した冒頭のシークエンスは直接的な演出が成されていたんです。しかし今作の語りを受け入れるかに関して決断を成すのは観客でもあるとも私は同意します。

TS:もし新しい計画があるなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。IMDBによれば、Darko Sinko ダルコ・シンコが監督するスロヴェニア映画"Inventory"の編集を行っているそうです。興味深いことに彼はMatjaž Ivanišin"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba""Hiske"に同じく参加していますね。この計画が本当ならワクワクしますね。

MD:そうです、正しい情報です。"Inventory"の編集は既に終え、9月にサン・セバスティアン国際映画祭でプレミア上映されました。選出されて喜んでいます。現在はDamjan Kozole ダミヤン・コズレ監督が手掛ける、先日亡くなったスロヴェニアの俳優Peter Musevski ペテル・ムセフスキを描くドキュフィクションの編集を手掛けています。

TS:おそらくこれは曖昧で焦点が合わなすぎているかもしれませんが、質問させてください。あなたにとって映画編集とは一体どんな"芸術"だと思いますか?

MD:思うに編集とは構成、感情、そして時間の創造と言えるでしょう。

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