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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ナヌーク・レオポルド&"Boven is het stil"/肉体も愛も静寂の中で朽ちていく

さて、最近このブログではミリャナ・カラノヴィッチの"Dobra žena"Natalia Almadaの"Todo lo demás"という、老いと対面する女性たちの姿を描いた作品を2連続で紹介してきた。人間が生きるにあたって、老いは避けることが出来ないが、例えば肌に深い皺が浮かぶ、すぐに息切れするようになる、筋肉の代わりに脂肪ばかりが体についていく、性欲が減退していく、関節が思うように動かなくなる、そういった肉体的な衰えは精神にも作用し、変化を生み出す。先述した2作品はそんな変化と直面する女性の姿を描くものだったが、今回はその対となるような男性の老いを描き出す、オランダのナヌーク・レオポルド監督作“Boven is het stil”を紹介していこう。

ナヌーク・レオポルド Nanouk Leopold は1968年7月25日ロッテルダムに生まれた。オランダ映画学校(AHK)で学びながら、"Marseille1-2"(1997)や"Weekend"(1998)などの短編や、テレビ映画"Max Lupa"(1999)などを手掛ける。長編デビュー作は2000年の"Îles Flottantes"だ。13歳を迎えた少女たちの心の彷徨を描き出した本作はロッテルダムやカルロヴィ・ヴァリなどで上映され、話題となる。2005年に製作した第2長編"Guernsey"は同僚の自殺を期に人生を見つめ直す女性の姿を描いた作品、2009年製作の第3長編"Wolfsbergen"は死ぬことを決めた老人とその家族が過ごす最後の日々を綴る一作で、両作ともオランダのアカデミー賞にあたるオランダ映画祭の多くの部門でノミネート・受賞を重ねるなど着実にオランダ映画界での地位を築いていく。

そんな彼女が世界的な名声を博すきっかけとなった作品が、2010年の第4長編"Brownian Movement"である。医師であるシャーロットはブリュッセルで何不自由ない生活を送っていた。しかし言い知れぬ不満を抱えた彼女は自分が診察した患者と密会を重ねていた……という作品で、実は「裸の診察室」という邦題で、いわゆる文芸エロ映画として既に日本でもソフトが出ている。上記の粗筋からは創造も出来ないほど美しい一作で、マジで文芸エロ映画で1本推すならこれを推すくらいには素晴らしい作品となっている、マジで皆観て下さい。そして2013年にはオランダの小説家Gerbrand Bakkerの同名原作を元に第5長編の"Boven is het stil"を完成させる。

50代に差し掛かろうとしている中年男性ヘルマー(Jeroen Willems)は、小さな牧場を切り盛りしながら生計を立てていた。目下の悩みは父(Henri Garcin)の存在だ。老齢から最早一人では立ち上がることすら出来ず、介護が必要な状態だ。ヘルマーはそんな父を孤独に介護する、ヘルパーを雇ったり隣人の力を借りることはない、その理由を胸に秘めながら彼は黙々と父の介護を続ける。しかしそれにも限界が近づいている。

“Boven is het stil”は全編において様々な側面から男性の肉体というものを描き出していくが、まず私たちは介護という営みから肉体を眼差すこととなる。ヘルマーは父を起こすと、ベッドを整えるため彼を抱き椅子へ座らせようとする。父の呻き声、ヘルマーが力を入れる時に唇から漏らす荒い息。そして再び抱き上げ、階段を下り、父の体を丁寧に洗い、階段を上り、ベッドへ寝かせ……撮影監督のFrank van den Eedenは手振れを伴いながら、こういった行動の数々を生々しい迫力を以て切り取っていく。老いの果てに広がる光景は薄暗く、息詰まるものだ。

そして観客は人間の肉体も突き詰めれば物体なのだということを否が応にも思い知らされる。ある時カメラはヘルマーが父を抱きながら階段を上ろうとする姿を、階下から仰ぐように撮影する。ヘルマーの肉体は屈強であり、その背中も大きいが、カメラに映る背中は酷く弱々しいものに見える。階段をゆっくりと上がっていく瞬間瞬間、彼の動きには震えが生じる。今にも2人の体がこちらへと落下し、全てを押し潰すのではないか?とそんな恐怖を常に抱くことになるだろう。こうしてレオポルドが伝えるのは肉体の重みだ、肉体が肉塊へと化していく残酷な過渡の時をヘルマーの身体感覚を通して私たちの皮膚に感じさせようとする。

その最中、Eedenは2人の表情に肉薄していく瞬間がある。椅子に座らされた父の表情には陰鬱な影がかかるが、そこには自分の体も満足に動かせないことの惨めさ、息子に介護をしてもらわなければならない申し訳なさ、そしてそういった全てに対する疎ましさ、言葉はなくとも影に満たされた顔は彼の感情を饒舌なまでに語る。この言葉なき饒舌さは今作を形作る重要な要素でもある。しかしカメラがヘルマーの顔に近づく時、彼の顔は何も語ることがない。凍てついた無表情はその奥にただ限りなき虚無感のみを語る。だからこそレオポルドはヘルマーの肉体に息づく虚無のその奥へと潜行していく。

介護の合間、ヘルマーは牧場での仕事を黙々とこなしていく。牛たちを甲斐甲斐しく世話し、柵から逃げてしまったロバを連れ戻し、肉体を酷使する雑用も軽々とこなすのだ。その時ヘルマーの肉体は見た目相応の頑健さを湛え、孤独ではありながら、それでも磐石な人生を体言しているように思える。しかし介護とは別の意味で彼の頑健さが揺らぐような時がある。シャワーを浴びた後、暗い部屋の中で彼は裸体を鏡に映し、鏡像をじっと眺める。端から見ればその肉体は鎧のようだが、彼はその手で胸板や腹筋の感触を味わいながら、苦々しい表情を隠さない。つまり彼もまた父と同じく老いに打ちひしがれているのだ。自分の肉体から若さが失われていくこと、それは厳として岩石のような彼を内部から切り崩していっている。

そんなある日、ヘルマーの元にやってくるのがヘンク(Martijn Lakemeier)という青年だ。彼はヘルマーの家に住み込みで働くことになるが、それに至った理由や過去は明かされることはほぼない、監督はストイックに眼前の光景のみを撮していく。ヘンクの働きぶりは勤勉とは言わずとも真剣なものだが、寡黙な2人の仲は縮まっていくことは余りない。だが夜、ヘンクがシャワーを浴びようと肉体に溢れる若さを晒す時、ヘルマーは密やかにだが並々ならぬ視線を向ける。その一方でヘンクがやはり密やかに自分を見つめているのを、ヘルマーは知らない。

そうして観客は男たちの視線を通じて、肉体を見据えることになる。彼らの視線には様々に複雑な感情が宿っている。若さへの渇望、力強い肉体への憧憬、隣人たちに向ける親密さ、そして胸を焦がすほどの愛。言葉にすれば軽く響いてしまうような、言葉では掬い取れないような感情をこそ、視線は何よりも声高に語っていく。だが悲しいことに誰もがそれを読み取ることのできる訳ではない、ある者の視線の先には誰かがいる、しかしその誰かの視線の先にはまた別の誰かがいる。その誰もが視線のスレ違いを知る術を持たない。果てのない静寂の中では、その愛が絶望的な交錯を迎えていることを知る者も居ない。

介護という重苦しい営み、過ぎ去る日々に浮かび上がる老い、互いへの眼差しに宿る絶望的な愛、そういった要素は最後やはりヘルマーの肉体へと収斂していく。彼を演じるJereon Willems、聳え立つ断崖のような彼の存在感は印象的で、ふとした瞬間そこにヒビが入り、亀裂から感情が溢れる時の豊かさは彼以外誰にも表現できない筈だ。だが残念なことに今作が完成する前に50歳の若さでこの世を去ってしまった。それでも最後の主演作である“Boven is het stil”には彼のかけがえのない魅力が刻み込まれている。最後に彼が浮かべる笑顔にはこの過酷な人生を、老いを受け入れていくための切実な痛みが滲んでいる。

レオポルドは現在待望の新作である"Cobain"を製作中。15歳の青年が無軌道な生活を続ける母が再び妊娠したのをきっかけに、自分の人生を見つめ直さざるを得なくなるというカミング・オブ・エイジもので2017年に完成予定だそうだ。ということでレオポルド監督の今後に期待。

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