鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄

いわゆる別荘映画というジャンルがある。倦怠期を迎えた夫婦が人里離れた地にある別荘へと赴き、夫婦関係を見直そうとしながらも更なる泥沼へと嵌っていくこととなる……こういった作品は酷く多いが、それは映画作家になったら1度は作ってみたいジャンルであることの証左だろう。最近ではザ・ワン・アイ・ラブ」というこのジャンルに新風を巻き起こす一作が爆誕していた。何を言ってもネタバレになる奇妙さ具合故に、今作については取り敢えずネトフリで早く鑑賞して欲しいが、今回紹介するエストニア映画"Teesklejad"はそれと比べると正統派な作品となっている。が、正統派だからこその力強さに溢れた1作とも言えるだろう。

Vallo Toomlaは1983年エストニアに生まれた。タルトゥ大学では神学を、タリン大学の映画学部では監督業について学んでいた。在学中から短編を精力的に製作するが、2009年の"Morbius"がスリープウォーカーズ短編映画祭でエストニア短編映画賞を獲得、2013年のアニメーション短編"Limonaadilugu"がズリーン子供映画祭で作品賞にノミネートされるなど話題になる。そして2016年には彼にとって初となる長編作品"Teesklejad"を完成させることとなる。

この作品の主人公はアナとユハンという30代の夫婦(Mirtel Pohla&Priit Võigemast)、彼女たちは休暇を取るために海辺の別荘へとやってきたばかりだ。広く端正な別荘に、爽やかな潮風や陽射し、風光明媚な自然に囲まれた環境は休暇にうってつけのように思われた。しかしアナたちの心の奥にはある黒い感情が蟠ったままでいる。

監督は前半から丹念なまでに不穏な雰囲気を高めていく。この別荘は実はアナたちの物ではない。自分たちよりも豊かな友人たちからの借り物で、自分たちで買う余裕はない。更に今はユハンが失業中の身であり、豊かな生活は遠のいていくばかり。その中で夫婦生活は少しずつ腐食していくしかない。夫にとってのジョークは妻にとっての攻撃となり、生活の中の一挙手一投足が互いを深く傷つけていく。

そんな中で2人が海岸で安穏な午後を過ごしていると、トリンとエリクという夫婦(Mari Abel&Meelis Rämmeld)が助けを求めてくる。海岸で足裏を怪我したトリンを別荘まで連れていった後、アナは彼らに別荘への滞在を勧めることになる。ユハンの言い分は無視されたまま、アナの独断で夫婦はこの場所へと招待されるのだったが……

物語が進むにつれ、2組の夫婦の間には奇妙な共通点があることが発覚し始める。夕食を共にしながら談笑に耽る時、アナたちはエリクが失業中の身であり、トリンの方が家計を支えているという事実を知る。そして緊張感が漲る晩餐を目の当たりにする内、観客はアナとトリン、ユハンとエリクが奇妙なまでに似ていることに気付くだろう。トリンたちの方が少し年上ではあるが、それ故にアナたちの数年後が彼女たちなのでは?という不気味な予感すらも抱くこととなる筈だ。

そしてこの奇妙な状況の中に、監督はアナたちのドス黒い感情を見出していく。アナたちは豊かさが少しずつ失われていく現状に深い焦燥感を抱いている。いわば中産階級の座を引き摺り降ろされる危機感だ。その危機感は持たざる者たち、つまりトリンたちへの軽蔑へと繋がっていく。アナにとって彼女らは良い年して身なりも整えられず、別荘を持つ以前の窮状にある、今まで努力することを怠った馬鹿者だ。しかし自分たちは正にそんな状態に陥ろうとしている。アナはトリンらを甲斐甲斐しく世話することで軽蔑を隠そうとしながら、その行為は何か卑劣なものに見えてくる。

脚本を担当するAndris FeldmanisLivia Ulmanの手捌きは頗る丁寧なものだ。彼らの手によってアナたちの抱く感情が不気味な変貌を遂げていく様が厭というほど精緻に立ち上がってくるのだ。そして焦燥と軽蔑は不気味な行為へと結実していく。自分たちは富める者である、自分は満たされた者である。その執念によって惨めな未来の予感としてのトリンへ背を向けるように、アナは服を着替えメイクを施し、別荘を所有するあの友人という人格に自分を挿げ替えていく。そして全てを否定するうち、アナはユハンをも巻き込んで禍々しい虚像を作り上げることとなる。

この形成過程を生々しく体現するのがアナを演じるMirtel Pohlaだ。トリンたちの登場をきっかけに、髪をほどき口紅を塗る彼女は、外面を変えると共に内面をも歪めていく。まるでゲームでも繰り広げるように、自分を偽り別人へと成り済ます姿は不気味であると同時に背徳的なスリルを伴っている。それにPohlaの静かな熱演が真実味を宿していくのだ。"Teesklejad"は精緻に組み上げられた、エストニア流の夫婦/中産階級の危機を描き出す作品だ。そうしてアナたちの心は悍ましい虚栄へと辿り着くこととなるが、それをずっと保てる筈はなく、やがて彼女らの元に罰が訪れる。それを乗り越えるということは自分たちの惨めな状況を肯定することと同義だ。その時、アナたちに一体何が出来るのだろうか?

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
その177 ドミンガ・ソトマヨール&"Mar"/繋がりをズルズルと引きずりながら
その178 Ron Morales&"Graceland"/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&"Die Einsiedler"/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&"La Soledad"/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その183 Krzysztof Skonieczny&"Hardkor Disko"/ポーランド、研ぎ澄まされた殺意の神話
その184 ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&"Home"/親という名の他人、子という名の他人
その187 Alessandro Comodin&"I tempi felici verranno presto"/陽光の中、世界は静かに姿を変える
その188 João Nicolau&"John From"/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
その189 アルベルト・セラ&"La Mort de Louis XIV"/死は惨めなり、死は不条理なり
その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
その191 Argyris Papadimitropoulos&"Suntan"/アンタ、ペニスついてんの?まだ勃起すんの?
その192 Sébastien Laudenbach&"La jeune fille sans mains"/昔々の、手のない娘の物語
その193 ジム・ホスキング&"The Greasy Strangler"/戦慄!脂ギトギト首絞め野郎の襲来!
その194 ミリャナ・カラノヴィッチ&"Dobra žena"/セルビア、老いていくこの体を抱きしめる
その195 Natalia Almada&"Todo lo demás"/孤独を あなたを わたしを慈しむこと
その196 ナヌーク・レオポルド&"Boven is het stil"/肉体も愛も静寂の中で老いていく
その197 クレベール・メンドンサ・フィリオ&「アクエリアス」/あの暖かな記憶と、この老いゆく身体と共に
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その199 ハナ・ユシッチ&「私に構わないで」/みんな嫌い だけど好きで やっぱり嫌い
その200 アドリアン・シタル&「フィクサー」/真実と痛み、倫理の一線
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
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その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
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その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
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その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
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その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
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その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
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その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語