鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で

私は東欧映画をかなり多く観ている方だと自負しているのだが、少し前の動向においてはいわゆる"EU加盟映画"(私命名)というジャンルが隆盛を迎えているように思われた。"EU映画"というのはEUに加盟する過程、もしくは加盟した以後の余波を描いた作品を総称している、とまあ自分で定義している。

このジャンルに属する映画を上げるなら、例えばコルネリュ・ポルンボユの第2長編"Polițist, Adjectiv"EU加盟後のルーマニアにおける個と組織の軋轢を描き出した作品であったり、ダムヤン・コゾレ監督のスロベニアの娼婦」EU加盟後のスロベニアを舞台にコールガールとして成りあがろうとする大学生の姿を描いた作品だった。

このようにしてEUという存在は特に東欧諸国においては莫大な影響を与えており(だが勿論、西欧諸国においてもBrexitなどの影響を描く作品がおそらく多く出始める筈だ)故にこの状況を濃厚に反映した映画が多く作られている訳である。さて今回紹介するのはアルバニア映画だ。アルバニアはまだEUに加盟はしておらず、長年加盟のための政策を続けてきている。外務省のホームページにはこんなことが記されている。

"長年、鎖国的な社会主義体制をとってきたアルバニアは、東西冷戦の終結、東欧諸国の民主化、国内の経済情勢の悪化等の背景から、対外開放政策に転じ、1990年以降、先進諸国・国際機関との関係強化及び安全保障の確保を基本的な外交方針としている。EU加盟を最優先課題とし、2006年にEUとの間でEU加盟の前段階となる安定化・連合協定を締結したほか、2010年12月にシェンゲン領域への査免が開始、2014年6月にはEU加盟候補国の地位を得た"*1

こうしてアルバニアは自国の情勢安定のための手段としてEU加盟へと邁進を果たしている訳だが、その動きによって翻弄される人々も当然存在している。今回紹介する2011年製作である、Bujar Alimani監督のデビュー長編"Amnistia"はそんな人々の姿を忌憚なく描き出した荒涼たる一作と形容できるだろう。

さて、EU加盟のためアルバニアは様々な政策を施行していたが、その1つの中に囚人の待遇改善というものが存在した。だがそれは刑期の短縮などといったものではない。配偶者のある囚人に限り1ヶ月に1度だけある目的のための特別な面会が許される。その目的とは性欲解消、つまりはセックスのための面会を行ってもよいという訳である。

今作はそんな奇妙な制度を主軸とした物語といえるだろう。中心となるのはエレナとシュペティム(Luli Bitri&Karafil Shena)という2人の男女だ。制度が施行されてから彼女は田舎町からティラナへと移り住み、夫が不在のまま義父(Todi Llupi)の元に居候しながら2人の息子を育てている。無職で状況も逼迫している彼女は、それでも1ヶ月に1度刑務所へと赴き、囚人である夫とセックスを行う。同じ頃、シュペティムもまた囚人の妻とのセックスを行っている。だがそれ以外彼が人と関わることは殆んどなく、製紙工場で働きながら日々を無意味に費やしていく。

この作品の語りはひどく断片的であり、物語というべきものは影を潜めている。エレナが学校へと息子たちを迎えに行く姿、シュペティムが調子の悪い洗濯機に渋い顔を見せる姿、エレナが職探しのためバスに乗る姿、シュペティムが食料雑貨店で酒を買う姿。そうして日常が丹念に積み重ねられていきながら、彼らの荒んだ人生が綴られていく。

だが断片的であることは物語が貧相であることを意味しない。むしろ監督は情報を切り詰めたミニマルな語りにこそ、豊穣さは宿るのだと信じている。例えばシュペティムの家にあるピアノ、調律は全く施されておらず使われた形跡もない。それでも彼はピアノを自室に置いたまま日常を過ごすのは何故なのか。そして例えばエレナはシャワーを浴びながら念入りに指を洗い続ける。それは刑務所の夫のために身体を綺麗にしているのか、むしろ逆に彼の痕跡を洗い流そうとしているのか。そういった物に答えは出されることがないが、だからこそ今作は多層的な読みを、幾筋の可能性に満ちた感情の機微を掬いとっていく。

その中で存在感を放つのが、アルバニアの首都ティラナだ。グラフィティや人々の喧騒で猥雑な魅力を放つ街並み、かと思えば打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しになり全てが剥がれ落ちようとしている建物の数々、活気と虚無感が錆色の中で折り重なる様はひどく異様な雰囲気だ。この色彩はまるでエレナたちの心が死に行く様をそのまま撮し取っているかのような印象を受ける。

そんな2人の荒みの裏側にいるのが囚人である夫/妻である。日常の合間、私たちは彼女たちが真っ暗な部屋でセックスを行う姿を目撃することとなるだろう。そこには快楽も喜びも存在せず、ただ作業としてのセックスだけがある。その時、観客はセックス相手の顔を見ることができない。フレームから見切れているか闇に包まれているからだ。その姿はまるで亡霊のようであり、セックスは空虚なものでしか有り得ない。それでもエレナたちは此処から逃れることが出来ない。過去は抽象的でありながらも禍々しい感情を宿しながら、彼女たちを掴んで離すことがないのだ。

だがそれから逃れようとする2人は刑務所のロビーでとうとう出会うことになる。最初は互いの状況も相まってぎこちない交流となりながら、同じ傷を持ち合わせたエレナたちは必然的に惹かれあい、悲観主義的な考えを乗り越えて結ばれることとなる。だが“Amnestia”は束の間の幸せを手に入れた彼らを翻弄するアルバニアの激動をも映し出していく。“Amnestia”とはつまり恩赦を意味する言葉であり、終盤において亡霊となっていた夫/妻は釈放されることになる。そして愛と憎しみが混迷を極めるその時、アルバニアの闇がエレナたちに牙を剥くのだ。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
その177 ドミンガ・ソトマヨール&"Mar"/繋がりをズルズルと引きずりながら
その178 Ron Morales&"Graceland"/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&"Die Einsiedler"/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&"La Soledad"/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
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その184 ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&"Home"/親という名の他人、子という名の他人
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その188 João Nicolau&"John From"/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
その189 アルベルト・セラ&"La Mort de Louis XIV"/死は惨めなり、死は不条理なり
その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
その191 Argyris Papadimitropoulos&"Suntan"/アンタ、ペニスついてんの?まだ勃起すんの?
その192 Sébastien Laudenbach&"La jeune fille sans mains"/昔々の、手のない娘の物語
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その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
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その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
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その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
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その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街