鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々

私のツイッターのフォロワーは台湾好きが多い。彼/彼女らは頻繁に台湾へと旅行し、様々に楽しんでからほっくり顔で帰ってくる。そして皆がその時の写真を挙げる訳だが、美味しそうな食事に洒脱な建物、美しい風景や驚きの仮装写真などなど見てるこっちまで台湾を旅行しているような気分になるものばかりだ。しかし今回紹介する作品はそんな煌びやかな台湾とはまた別の、それでもやはり同様に魅力的な台湾を描き出す、Nicole Vögele監督による長編作品"打烊時間"を紹介していこう。

Nicole Vögeleは1983年スイスのグレッツェンバッハに生まれた。2002年からはリポーター/ジャーナリストとしてテレビ局に勤務していた。その後2010年にドイツのバーデンヴュルテンベルク映画学校でドキュメンタリー制作について学び、本格的に映画製作を始める。2013年に山登りについて描いた実験的短編"In die innereien"と孤独な女性の日常を追った短編ドキュメンタリー"Frau loosli"を製作後、翌年には初の長編作品"Nebel"を完成させる。霧深い山間部の村に広がる自然や人々の生活を追った作品であり、ベルリン国際映画祭では特別賞を、ポツダム=バーベルスベルク国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど話題になる。そして2018年には台湾に拠点を移し、最新作である"打烊時間"を監督する。

舞台は深い夜に包まれた、眠らない町台北。そこに深夜だけ営業しているクオさんとリンさんの料理屋がある。眠らない町の眠らない住民たちに暖かな食事を提供する、人々の憩いの場所こそがこの料理屋なのである。今作はそんな場所を中心として夜の台北を描き出そうとする作品な訳である。

まず監督はクオさんとリンさんが仕事に励む姿を静かに見つめていくこととなる。クオさんは厨房で猛烈な勢いを以て人参(台湾の人参は太いぞ!)の皮を向いていき、リンさんは椅子に座って何かの肉を一心不乱にハサミで裁断していく。そして2人が店に揃った時には、常連客らしき中年男性と共に“昔は良かったなぁ”だとかそんな与太話を笑いながら繰り広げるのである。

そしてその合間にVögele監督と撮影監督Stefan Sickが持つカメラは、夜の台北へも漂い始めることとなる。ヘッドライトをつけた車が疎らに通る高速道路の俯瞰図、通行人の頭上で煌々と輝くネオンの美しさ、歩道橋の前で強風に煽られながらクルクルと躍り回る新聞紙の何とも言えないエモさ、その後路上を歩いていたお婆ちゃんの方へと意図せず突撃していく時の微笑ましさ。全てが滑稽で崇高なまでに詩的であり、観客には新鮮な驚きを与えてくれるだろう。

更にカメラは眠らない町だけでなく、眠らない人々へも焦点を向けていく。クオさん夫婦の店にはたくさんの人々がやってくる。昔馴染みらしい元タクシー運転手の中年男性、ABCの機械がやりたいと駄々をこねる少女と彼女をいなす父親に母親、“お前具合悪いのか?” “いやそういう訳じゃ……”と緊張感を発する刺青だらけの兄貴とその舎弟などなど。その多彩ぶりは台湾に生きる人々の多様性をも反映しているのだろうと思わされる豊穣さだ。

それは台北の町においても同様である。例えば建物の壁に沿って黙々と掃き掃除を行う中年男性には一抹の寂しさが宿っている。深夜営業の雑貨屋で客が来ないのを良いことにパソコンでゲームに明け暮れる店員の姿は可笑しさを湛えているし、クレーンゲームにド嵌まりして金を注ぎ込みまくる奇特な若者の姿も何となく笑える。個人的に一番好きなのは、超歌が下手くそなのに恋人と一緒に熱唱した末、最後彼女に渾身のドヤ顔を決める眼鏡野郎だ。彼らは映画においてほとんど数十秒しか現れないのだが、それでも頗る印象的で、監督の見識眼の高さを思い知らされる。

作品それ自体はとても淡々としていながらも、心地よいほど多彩に描かれる台北の姿を目の当たりにする内、台湾好きでなくとも”ここ行ってみたいなあ”と思わされる展開が続きながら、しかし本作は更にその先へと進んでいく。クオさんはいつものようにやはり眠らない巨大市場へと赴き、料理の材料を探していき、顔馴染みの売り手とお喋りを繰り広げる。だがその帰り道、彼は間違えていつもとは違う高速道路の出口へと行ってしまう。それに気づかないクオさんは、そのうち全く未知の世界へ辿り着くこととなってしまう。

クオさんは動揺しながら、近くにあった店の店主に“公衆電話とかありませんか?”などと聞くのだが、つれない返事で途方に暮れてしまう。そんな彼は正に不思議の国のアリス状態で辺りを狼狽と共に彷徨うこととなる。そうして彼は生粋の台湾人でありながらも知らなかった台湾という国の奥の奥へと導かれていくことになる。空気が紫色に染まったような場所に広がるのは鬱蒼と繁り曲がりくねった道を形成す木々の群れ、壊れた道路標識が放置された細い道、そして何よりも壮大ながら畏怖をも抱かせるような紫に完全に染まった波の重なり。一体ここはどこなのだろうか…………

熱帯夜、鬱陶しい暑さや不快な湿気で眠れないあなた。ベッドから起き、涼やかな風を運ぶ窓に向かって歩いていき、外を眺めながらあなたはこう夢想する。"今、起きている皆は何をしてるんだろう? 今、町はどんな風になっているのだろう?" 今作はそんな夢想を映画化したような幻惑的な1作だ。私たちの、そこに住む台湾人本人たちすらも今まで見た事ない眠らない台湾がここには映っている。

参考文献
http://www.swissfilms.ch/en/film_search/filmdetails/-/id_person/2146142471(監督プロフィール)
https://variety.com/2018/film/festivals/locarno-closing-time-director-nicole-vogele-profile-1202895322/(監督インタビュー)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
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