なぜ私はデ・パルマが好きなのだろう?
私とデ・パルマ作品との追憶に想いを馳せる。初めて見た作品は「キャリー」だった。
幸運にも“午前十時の映画祭”の一作品として、スクリーンに映る彼女と出会うことが出来た。
ピノ・ドナッジオの美しい旋律と共に映画は幕を開ける。
シャワーを浴びて後、服を着替える少女たち
次第にカメラは奥へと移り、白く濁り茫洋たる眺め
煙の向こうに見える一人の少女
体を洗う彼女の、真白い皮膚手から落ちていく石鹸
突然その手を染める鮮血
皮膚が怖気に引き締まり、こわばる喉で何とか生温かい唾を嚥下したことを私は覚えている。そして始まった物語は何て恐ろしく、しかし哀しい物語だったろう!学校では虐められ、家庭では狂信的な母親に抑圧され、そのつかの間に希望を見出してしまったがゆえの、少女の致命的な絶望。無差別の虐殺、焔燃ゆる復讐劇、私は彼女が巻き起こす惨劇に震えてしまう。だが何と言えどもあのラストシーンの笑劇!再びの幸運、私はネタバレされることなくそこに辿り着くことが出来たのだ――私は地面から這い出てきた腕のせいで、劇終から何分もの間、シートで呆然とすることを余儀なくされてしまった……
そんな鮮烈な出会いを果たしながら、実を言えば私はまだ監督ブライアン・デ・パルマを認識するには至らなかった。その時は「グラマーエンジェル危機一発」のアンディ・シダリスにゾッコンLOVEであったからだ。私がデ・パルマという監督を強烈に意識したのは、もう少し先、ある作品に出逢ってからだ。それこそ私が最も愛するデ・パルマ作品「殺しのドレス」だ。
あのアンジー・ディキンソン*1のシャワーシーン、噎せ返るほどの劇薬的エロス、“ボディ・ダブル”という言葉を知る前にこの目で味わった欲求不満のマダムの肢肉……だが見覚えがある、いやエロくはなかったかもしれない、だがこのシャワー、はぁ〜んほぁ〜んという美しくフローラルな旋律、あの唐突なショックシーン……だがしかし、この時の私は点と線を繋げられない、そのまま見続ける。
そして純粋無垢にもデ・パルマの毒に冒されていく。あの美術館での声無き駆け引きは何だ?*2つかず離れず、逃げては追いかけ、最後にはタクシーへと縺れこむエロティカルな駆け引き。肉体を貪り合った後の、おパンティをタクシー内に忘れたのを思い出す、あの一瞬に至るまでをワンショットで描きだす無駄に技巧的な長回しの巧みさは一体何だ?しかもそれらに魅了されている間に、彼女は謎の変態殺人鬼によってズタズタに引き裂かれ、嬲り殺しにされてしまうのだ!
何だ、一体全体何だっていうんだ!私は無様にも翻弄されて、あれよあれよとデ・パルマという悪夢の陶酔に呑みこまれて、そしてあの最後に至るのだ。それを見た時、この映画を見る事が出来たという多幸感と共に、曖昧模糊たる毒霧が晴れたような爽快感が湧き上がってくる――これってキャリーじゃん!!!と。
そしてWikipediaでこれらを調べて、私はブライアン・デ・パルマという監督を、知る。
「ファントム・オブ・パラダイス」何て異様な、狂気の力に充ち溢れた傑作なのだろう!
「悪魔のシスター」あのスプリット・スクリーンの衝撃ったら計り知れない!
「アンタッチャブル」ケビン・コスナーの奥さん、パトリシア・クラークソンじゃあないか!
「スカーフェイス」チェーンソー超怖い
「ミッション・インポッシブル」クリスティン・スコット・トーマス様が!!!
「ボディ・ダブル」エローーーーーーーーーーーい
「カジュアリティーズ」痛烈にして、私の心に一生残り続けるだろう稀代の名作
「ファム・ファタール」デ・パルマの眩惑的悪夢に心を奪われる
私は段々と、デ・パルマのデ・パルマたる由縁を知っていく。スプリット・スクリーン、長回し、過剰なるエログロティシズム、被写体を中心とした回転撮影、ヒッチコック趣味*3……
「リダクテッド 戦場の真実」超辛い
「愛のメモリー」あの感動的な大回転エンドを観ただろうか!
「フューリー」ジョン・カサヴェデスが何か爆発して凄い
「レイジング・ケイン」不遇!全く以て不遇なるデ・パルマの大傑作!
「ミッション・トゥー・マーズ」ノーコメント
「スネーク・アイズ」好きなことを好きなだけやることの愉悦
勿論未だ全てとは言えずとも、私は多くのデ・パルマ作品を見てきた。その強烈なる作家性に魅せられ、その女性を撮るという手段のために目的を選ばない辣腕に魅せられ、その老いて尚エロエロの求道者たらんとする姿勢に心酔した。だがその中で、密やかな願望が首を擡げてくる。デ・パルマの新作を映画館で観たいという願望。
私が映画を見るようになったときには、もうデ・パルマは長期休息に入っており、新作を見ることは叶わなかった。「リダクテッド」さえ劇場で観れない遅さだったのだ。私は特にデ・パルマのあの、煩悩を爆発させたエロティック・サスペンスが観たかった。デ・パルマのデ・パルマによるデ・パルマのためのエロ・サスペンス「ファム・ファタール」のような……だが月日は私にデ・パルマを与えないまま見る間に流れていく、時だけが過ぎ去っていく。
「パッション」
エロいおじいさんブライアン・デ・パルマは、私たちの元に素晴らしい名作を携え帰ってきた。「ファム・ファタール」から10年の節目に創り上げたエロティカル・サスペンスを以てデ・パルマは絢爛たる帰還を果たしたのだ。
公開決定の報せを受けてから、私は蝶々のようにデ・パルマの幻想へと羽ばたいていった。デ・パルマ、デ・パルマ、ああデ・パルマ!海外のレビューを読み時が過ぎるのを待つ日々……1年、まだ半年、そして1ヵ月、あと1週間、とうとう1日……
私の心は発狂せんほどだった。自分が今、直面している現実が夢のように思えた。
本当に明日、いやもう今日ブライアン・デ・パルマの最新作「パッション」が観れるっていうのか?
私は夢を見ているんじゃあないか?
だがそれは現実だった。
凡てが現実だった!
10月4日、私は用事を済ませてTOHOシネマズみゆき座に走った。そして券を買った。手に券を持った時、込み上げてくるものがあった。チケットは当然のように薄っぺらい、今にも秋風の埃と化してしまう程に。そうならないために私は親指と人差し指でその券を持っていた。そこにはパッションと書いてあった。読み間違えようなくパッションと書いてあった。
そして私は「パッション」をこの目で見た。私の見たかった、最高のデ・パルマ作品がそこにはあった。
「パッション」を観終わった後の私ドカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
*1:熟女好きの私にとって、この作品の彼女は永遠のアイドルなのだ
*3:デ・パルマを語る上でヒッチコックは欠かせないだろうが、私はこの項にのみ留める。私は常々“ヒッチコックはロバート・ブロックと一緒に、何らかの超文明的技術で以て未来に行き、「殺しのドレス」を観た上で『コレめっちゃスゲーじゃん!』と思い、そして何らかの超文明的技術で以て自分たちの世界に帰り、あのままだとヘイズコードで規制喰らうから、渋々その時代に合わせて創り出された映画が「サイコ」であり、他の作品もヒッチコックが超文明的技術でデ・パルマ作品をパクって出来た”と主張しているのだが、或る時それを“ヒッチコックよりデ・パルマの方が良い”というのと共に呟いたら、ヒッチコキアンにマジにDisられて、それから意地でもこの主張を固持し続けている。未だヒッチコキアンとデ・パルマリアンの闘争は続いているのだ。そして此処で意見を明瞭な物としておくと、全く以て私個人の嗜好に寄る所の者であるのだが、私はヒッチコック作品よりデ・パルマ作品の方が好きである(そして「サイコ」よりも明らかに「サイコ2」の方が面白いと、私は思っている。