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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は

イングランドウェールズスコットランド北アイルランド、この4つから構成されている地域を何と言えばいいのか、イギリスとか英国とかUKとか色々あるが、調べてみると厳密にはそれでは駄目らしい。いや、別にそこ纏めて語る必要なくない?というのもあるが、でも何か、うん。そんな時見つけたのがブリテン諸島って言葉だった、これなら4つの地域どころか他の島だって含められる。ということで今回から新コーナー“ブリテン諸島映画作家たち”というのを始めようと思う。比較的新人の作家はエドガー・ライトトム・フーパースティーブ・マックイーンマシュー・ヴォーン。あとマクドナー兄弟ジョナサン・グレイザーベン・ウィートリーとこれくらいしか紹介されていないように思うので、いやいや新人作家にも良い人たくさんおるんやで!ということを主張していきたい所存である。今までにはブリテン諸島に生きる黒人女性の声を、女子2人のゆるゆるWebコメディに託したCecile Emekeくらいしか紹介していなかったので、今回からどしどし行きたいと思う。“ブリテン諸島映画作家たち”第1弾はウェールズとエジプトの血を引く映画作家Sally El Hosainiと彼女の長編デビュー作"My Brother the Devil"だ。

Sally El Hosainiは1977年、ウェールズスウォンジーに生まれた。ウェールズ人の母は学校の教師、エジプト人の父は土木技師であり大学教授、TarrikとSherifという兄弟が2人、Heidiという姉妹が1人いるという。小さな頃はエジプトの首都カイロで育つが、もう1つの故郷であるウェールズのことも忘れなかった。

“私の両親は大学で出会って、それからカイロに移住したんです。でも夏休みには祖母や母の家族に会うためスウォンジーに帰りました。Joe's Ice Cream(アイスクリームのブランド)や他のスイーツを食べるのも、カートゥーンを観るのもとても楽しいものでした”*1

子供時代は創作に興味を持ち、なんと7歳で初めての小説を出版するほどだった。16歳からはイギリスに戻り、彼女は民間教育機関ユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)付属のアトランティック・カレッジという高等学校で世界の宗教や平和と紛争について学ぶ。そこでの経験が、自分はウェールズとエジプト、2つのルーツを持っていると初めて実感させてくれたそうだ。

“アトランティック・カレッジは本当に特別な場所です。一般教養よりも人々や彼らの文化について学ぶことに集中できる場所なのですから。2年在籍していましたが、振り返ると素晴らしい時を過ごせたなと感じます”*2

イングランドダラム大学ではアラブ諸国を中心に中東文化・文学について学んだ。卒業後はイエメン・サアナの女子学校で英文学の教師を勤め、英国に戻るとアムネスティ・インターナショナルに所属することとなる。大学からの夢であった映画作りへの道を歩むと決めたのはこの時だった。彼女は自分の知識を生かし、まずTV界で中東の国々についてのドキュメンタリー製作からキャリアを始める。イラクバグダッドへと赴き、アシスタント・プロデューサーとしてロケーション探索・編集をこなしながら4本のドキュメンタリーを製作する。しかしその内、ある不満を持ち始める。

“ドキュメンタリーの編集中、私が不満だったのが、中東についての知識を何ら持っていないオフィスの重役たちがテーマの殆どを勝手に決めてしまうということでした。”*3

“TV用のドキュメンタリー作りは少し公式に拘りすぎているのではと。そこで思ったのはもっと深みのある作品を作りたいということ、そしてフィクションの方がもっと信じるに足る形式だということです”

偶然にも、以前住んでいたイエメンが初めて映画を製作することとなり、その企画で英国が共同プロダクションを予定しているというのを知った彼女は、自身を売り込んでスタッフとして参加、そして完成したロマンティック・コメディ"A New Day In Old Sana'a"は高い評価を受け、カイロ国際映画祭では作品賞を獲得する。それからは"Red Mercury""Exitz"といった低予算映画でプロダクション・コーディネーターを、サダム・フセインの家族を描いたBBCドラマシリーズ"House of Saddam"ではスクリプトドクターを務めながら、2008年初めての監督作"The Fifth Bowl"を手掛け、BAFTAアワードでウェールズ映画賞を受賞する。

翌年には第2短編"Henna Night"を手掛ける。トルコ系の家庭に住むAmina(Amber Rose Revah)は結婚式を翌日に控え、家では“ヘナの夜”と呼ばれる女性だけの結婚前夜祭が行われていた。しかしある時、彼女は風呂場に駆け込み閉じこもってしまう。母親たちは理由を問いただすが、その理由の裏にはAminaの親友Nour(Beatriz Romilly)の存在があった……この作品はロンドン・レズビアン&ゲイ映画祭に選出、話題を集めた。そして彼女はサンダンス映画祭の監督・脚本家ラボに参加、2010年のポール・グリーングラス監督作グリーン・ゾーンでの助監督アシスタントを経て、2012年に初長編"My Brother the Devil"を監督する。

モー(Fady Elsayed)はロンドン・ホクニーのエジプト移民に家庭に生まれた青年だ。彼が一番尊敬しているのは兄のラシッド(James Floyd)だ、ボクシングで鍛えられた体、誰にも臆しない強靭な心、ホクニーのギャンググループでも一目置かれた存在であるラシッドにモーは尊敬の念を隠さない。ある日、モーはラシッドに敵対するグループの少年たちに襲われ、愛用のエアマックスを強奪されてしまう。しかしそれを奪われた以上に、襲われても抵抗できなかったモーは自分を恥じ、ラシッドに少しでも近付こうとするのだが……

自身がエジプトの血を引く監督は、自身の経験や長年の取材を元に、主人公たちを通じてロンドン・ハックニーで繰り広げられる現在の一側面を素描していく。様々な人種・宗教・階級に生きる人々が入り乱れる地域、ラシッドたちは団地を根城とするストリートギャングのグループに集まり、日々を過ごす。そしてその日々に兄弟の機微も浮き立たせる。モーは兄への憧れから自分もギャンググループに入ろうとするが、ラシッドは良い顔をしない、彼の夢はモーを大学に入れて、自分達はここから出ていきマイアミビーチで暮らすことだった。まだ頬が緩む程度のものだが、このすれ違いが悲劇の火種となるのを彼らは知らない。

モーは最近引っ越してきたアイシャ(Letitia Wright)という少女との帰り道、敵対グループのリーダー・ディーモン(Leemore Marrett Jr.)がラシッドたちの懇意にしている店へ強盗に入ろうとしているのを目撃する。モーはラシッドに連絡、そして店の前で激しい抗争が幕を開ける。暴力が繰り広げられる中、怒りに震えるディーモンによってラシッドの親友が殺されてしまう。この痛ましい事件をきっかけにして兄弟の関係性の何かが変わってゆく。

ラシッドは一度は復讐を果たそうとするが、死の空しさを思い、グループを抜け真人間になることを決意する。そんな彼に対してモーは落胆と幻滅を抱く――どうして復讐しない?どうして真人間なんかに?そんな兄貴見たくなんかない!――彼はラシッドの跡を継いでグループに入団、今の兄を見棄て、かつての兄のような強さを掴もうとグループの悪しき価値観を内面化させていく。Hosaini監督は2人の道行きが別たれる様を丁寧に描きながら、この映画のテーマへと徐々に近付こうとする。

今まで仕事などしてこなかったこと、そして移民であることがネックとなりラシッドの就職活動は困難を極める。そんな彼に手を差し伸べたのがサイード(「憎しみ」サイード・タグマウイ)という男だ。彼も移民の家庭に育ったが、今はロンドンでカメラマンとして成功した人物だった。助手として雇われたラシッドは彼の元で必死に働くのだが、ある事実を知る、サイードは同性愛者で自分を愛しているのだと。一度はサイードを罵倒し尽くし、彼の元を離れるラシッドだったが、いつしかサイードの思いを知った彼はその愛を受け入れ、今まで味わうことのなかった幸福を噛みしめることとなる。しかしその事実は、モーにとって彼がテロリストであるよりも悍ましいことだった。

"My Brother the Devil"そのタイトルの本当の意味が明かされる瞬間、モーにとっては信じていた全てが崩れ去る瞬間、観る者にとっては余りにもやるせない瞬間。ホモソーシャルの価値観を内面化したモーにとっては、何よりも“ホモ”であるラシッドこそが最も軽蔑すべき相手なのだ。兄と弟の決裂は最早避けられず、ギャング間の抗争すらモーの暴力に手を貸そうとする。苛烈な憎しみは悲劇へと一直線に加速していく。

だがHosaini監督は虚無主義に陥ることはない、そこで希望を捨てることがない。確かに差別と不寛容は根強く人々の心に巣食っているが、彼女はそれを越えられる道を探す、憎しみによって一度別たれたとしても2人が解り合える時は必ずあるはずだと。そんな思いが"My Brother the Devil"という不穏なタイトルの作品に希望の微かな灯火を宿らせる[B+]

この作品はサンダンス映画祭でワールドシネマ部門の作品賞を獲得したのを皮切りに、ベルリン国際映画祭でLabel Europa Cinemas賞、ロンドン映画祭では優れた新人監督に贈られるBest British Newcomer賞を獲得するなど高く評価されることとなった。

Hosaini監督の次回作はドラマ作品"Babylon"である。「アナザープラネット」「ザ・イースト」ブリット・マーリングアメリカから出稼ぎ出演したのも話題になった本作、上層部から現場の警察官までロンドンの警察機構の人間模様をまるっと全て描き出す野心溢れた群像警察ドラマなのだが、パイロット版をダニー・ボイルが監督、そしてシーズン1の6話中前半3話を「フィルス」ジョン・S・ベアードが監督、そして後半3話をHosaini監督が手掛けた訳である。様々な立場にある人々を描き出すというのは彼女の十八番だろう、後半から俄然面白くなるという声も聞くので、ネトフリ配信されないかなぁとか思ったりするのである。

そして現在企画中の作品が"Remis"という作品らしいが犯罪者の伝記映画ということしか分からない、でも面白い物を作ってくれるのは買う実だろう、そういうことでHosaini監督の今後に期待!

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参考文献
http://www.theguardian.com/film/2012/jan/01/film-tv-new-talent-2012(ガーディアン紙期待の映画人記事)
http://www.theguardian.com/film/2013/jan/27/sally-el-hosaini-film-interview("My Brother the Devil"インタビューその1)
http://www.walesonline.co.uk/news/local-news/welsh-egyptian-director-sally-el-hosaini-2494271(インタビューその2)

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