韓国、ギリシャ、ルーマニア、イスラエルの映画が私は好きだ。韓国は過去に犯してきた、もしくは今現在犯し続けている罪について、このことは一生語り継いでいかなければならないという信念が、時には圧倒的な熱量を以て、時には驚くほど理知的なアプローチによって映画として昇華されていて、巨匠から新人監督までその意識が通低しているのが本当に凄い。ギリシャは今まさに迎えている財政破綻・家父長制崩壊の光景を、例えば「籠の中の乙女」や"Chavelier"などに見られるように、この国にしか存在し得ないと思わされるほど独創的な寓話へと落とし込んでいく手腕が素晴らしい。ルーマニアはCorneriu PorumboiuやCristi Puiuらの作品がそうであるように、チャウシェスク政権が今にまで残す傷痕を徹底的なリアリズムで鋭く描き出す一方、極度に先鋭化したリアリズムはもはや寓話と見分けがつかないとばかりに、ルーマニアの今が世界の今として還元できる、寓話的リアリズムとも言うべき境地に達している、そこが好きだ。つまり、私は自国への批判的洞察を映画として表現する能力が卓抜して高い国に魅力を感じるのだ。
ではイスラエルはどうか、という所で私の好きな監督・俳優その44では、イスラエルという国家、いやそもそも国家という概念が不可避的に宿している闇へと深く、深く切り込んでいく映画作家Nadav Lapidと彼の長編デビュー作"Ha-Shoter"を紹介していこう。
Nadav Lapidは1971年イスラエルのテル・アビブに生まれた。母は映画編集者のEra Lapidで、Lapid監督の作品編集は彼女が手掛けている。テル・アビブ大学では哲学を、サム・スピーゲル映画テレビ学校(以前紹介した"Zero Motivation"Talya Laviもこの学校出身)では映画について学ぶ。監督としてのデビュー作は2004年製作のオムニバス映画"Proyect Gvul"だ、個人の行動は現実に影響を与えるのか?というテーマを元にイスラエル・パレスチナ双方から革命を描き出す作品だという。その後は短編作品"Kvish"(2005)、"Ha-Chavera Shell Emile"(2006)を経て、2011年初の長編監督作"Ha-Shoter"(ヘブライ語で"警察官")を監督する。
自転車を駆り、一心不乱に前へと進んでいく男たち。整備された道路の周りには黄土色の岩山と荒涼たる砂漠が広がっている。男たちは駆ける、駆ける、駆ける、そのうち1人の男が更にスピードを上げ列から抜きん出る、その男がこの映画の主人公ヤロン(Yiftach Klein)だ。ヤロンたちの目指す場所は何処か、眼下から遥かな町を見渡せる断崖の上だ。彼は仲間たちと共にその眺めを眼前にしながら呟く――この国は世界で最も美しい国だ。そしてあらん限りの誇りと声で以て、イスラエルに生きる自分の名前を叫ぶ。
"Ha-Shoter"の前半はその題名の通り"警察官"であるヤロン、そして家庭では心優しい夫であるヤロンを平行して描いていく。だがLapid監督は、この物語にもし娯楽性を感じる者がいたとしたらそれは私の敗北を意味するとそう言わんばかりに、地続きの語りを放棄し、娯楽性を徹底的に排した上で物語を進める。そんなスタンスを象徴するのが、ヤロンと妻であるニリ(Meital Barda)のある日常の風景を描くシークエンスだ。汗を流すためシャワーを浴びた後、ヤロンはタオルを巻きながらソファーに寝そべるニリの元へとやってくる。目を惹くのは彼女の膨らんだお腹だ、彼は自分が父親になるその時を待ちわびている。少し調子の悪そうな彼女の前で、おそらくイスラエルで流行っているのだろう曲に合わせておどけてみせたかと思うと、ヤロンはニリにマッサージを施し始める。膨らんだお腹を見つめながら、出産が少しでも楽になるようにと下半身の筋肉をほぐしていく。新しい命を待ち望む夫婦の日常、しかしLapid監督はそのマッサージを異様なほど時間をかけて描き続ける。そうして漂うのはこの状況には似つかわしくない灰色の陰鬱さだ。
警察でのヤロンはチームのリーダー的存在であり、仲間からも慕われているが、そのチーム内に1つ問題が浮上していた。仲間の1人であるアリエル(Gal Hoyberger)がテロリスト制圧の任務中に一般市民を誤射したのがきっかけで、精神の安定を崩し始めていたのだ。ヤロンたちは彼を労り、事件の監査官に対しても"アリエルの"責任ではなく"私たちの"責任と庇い続けるなど、チームが強い絆で結ばれていることが容易く伺える。しかしLapid監督は彼らのその絆から一歩引き、別の側面を観客に呈示する。チーム内で開かれるパーティの場、ヤロンは隊員たちと挨拶を交わす、抱き合い、背中を2回ほど空気が破裂する不快な音が鳴るほどに叩き合う。そしてパーティの途中から1……2……3……と、唐突に隊員同士でぶつかり稽古を始める、笑いあいながら互いに肉体をぶつけあう光景は微笑ましいだろうか、いやその光景は酷く不気味なのだ。監督はこの不気味さ、ホモソーシャルの内部に蠢く不気味さを画面に焼きつけようとする。何の前触れもなく発揮される暴力性、女性を性的オブジェクトとしてのみ眼差すその視線、自分たちの価値観こそが絶対だという盲目の連帯、これらを共有する集団が国家を守護する者として存在する事実、Lapid監督の洞察は恐ろしく冷徹でありながら、彼が描くのはそれだけではない。
夜の街並み、若者たちが道に停めてあった車を何の理由もなく破壊する、それをただただ成す術もなく見つめる女性、それが第2部の始まりだ。22歳の女性シーラ(Yaara Pelzig)は若き活動家であり、仲間たち――リーダー格のナタネル(Michael Aloni)、ヨタム(Ben Adam)、オデッド(Michael Moshonov)――と共に、とある計画に携わっている。貧困に喘ぐ人々が富を獲得し、ブルジョア共は死に絶えるその時が来たのだ。彼女は紙に記したその言葉を読み上げる。シーラたちを繋ぐ物は資本主義への怒り、そしてイスラエルという国への憎しみだ。シオニズム、パレスチナ問題、それらが引き起こす戦争の数々、何もかもにおいて愚行を犯し続ける私たちの故郷イスラエルは世界において最も恥ずべき国だ、そんな思いに突き動かされながらシーラたちは行動する。つまり第1部とは真逆の勢力を描いていく訳だが、ヤロンたちに批判的洞察を向けた監督は、シーラたちにもまたその洞察を向ける。彼女たちの主張は傍目から見ても机上の空論だ、全てが概念として還元され実際的な物が存在しない、つまりは精神が先だって肉体が伴わない理論なのだ。計画の進め方も行き当たりばったりであり、そうして生まれる混乱と当惑が淡々と綴られていき、二者が衝突する運命の日は訪れる。
シーラたちはある結婚式を襲撃、銀行家の男たちを拉致し部屋に籠城する。その連絡を受けたヤロンは、俺たちの日が来たと仲間たちを招集し、突入の準備を着々と進めていく。二者がジリジリと肉薄を遂げるこの瞬間においてもスリルであるとかサスペンスといった要素は全く存在し得ない、時間の連なりに従って現状を映し出すのみ、だがある言葉が響く時、シーラは拡声器を持って叫ぶ――私たちは敵ではない、私たちは対話を求めている!
イスラエルに生まれたことを誇りこの国を愛する者、イスラエルに生まれたことを呪いこの国を憎む者、二者は全く対極の存在であり衝突は免れないかもしれない、しかしだからといって武力でもってどちらかが殲滅されるまで戦いを続けなければならないのか?いや、この世界には言葉が存在する、その言葉が対話を産み出したのなら、互いの主張に対して少しずつ折り合いをつけていけば、新たな道が開けるかもしれない。これは生温い考えだろうか、社会を二項対立で捉えるのは単純すぎるだろうか、私はそうは思わないし、Lapid監督もそうだ。だが社会はそこに至らない、存在するのはただ圧倒的な断絶だけだ。"Ha-shoter"はイスラエルの腐敗、世界の腐敗の核を突き刺す。だが全てが終わった時彼/彼女が眼前に幻視する未来、そこに現れる絶望は余りにも、深すぎる。
ここからはLapid監督のインタビューを紹介して行こう。
“私にとってオープニング・ショットは、映画がこの先描こうとする主な仮定やデータをまとめて呈示する物です。この"Ha-shoter"は剥き出しの大地と黄土色の丘で始まりますが、それは楽園と地獄が交わる場所であり、イスラエルそのもの、砂漠という現実と"約束の地"であるという幻想の間に張り詰める緊張をそのまま体現したような国そのものでもあるんです”*1
“("この国は世界で最も美しい国だ"というセリフについて)このセリフは"Ha-shoter"にとってとても重要な物です。私に関して言えば、あの空虚な砂漠を"美しい"と表現するのは奇妙に思えます。つまりこれは警察とアナーキストたちの決裂を理解する上での鍵なのです。シーラと彼女の仲間たちがイスラエルへと怒りと憎しみを向け、砂漠の真中に立った木に銃弾を撃ち込むというシーンはあのオープニングショットと対になっているんです。
自分の名を叫ぶこと、木に銃弾を撃ち込むこと、この行動の間には大きな違いがあります、イスラエルという国に根を張った者と、イスラエルという国から孤立し隔絶された者の違いです。しかし同時に、孤立という行為にはメリットもあります。他者が無視する盲点を眼差すことが出来るのです。イタリアのある思想家はこう言いました。"我が祖国は私にとって恥ずべき国である"と。シーラと仲間たちは正に恥辱を感じている、それ故に戦いへと駆り立てられているのです”
"Ha-Shoter"はロカルノ映画祭で上映されJury Prizeを獲得したのを皮切りに、ブエノスアイレス国際インディー映画祭、エルサレム映画祭、ナント三大陸映画祭、サンフランシスコ国際映画祭で上映、世界的に評価されることとなった。その後は2013年にドキュメンタリー"Footsteps in Jerusalem"を手掛け、2014年には第2長編"Haganenet"(ヘブライ語で"保育士")を監督する。天才的な詩の才能を持つ少年と彼の才能を守ろうと奔走する教師の姿を通じて、イスラエルを描いた一作らしい。アメリカでは6月に公開されたので、年内にはiTunesで配信されるのでは思っていて、その時には必ずレビュー記事を書くと決めている。ということでNadav Lapid監督の今後に期待。
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参考文献
http://www.filmcomment.com/blog/interview-nadav-lapid/(監督インタビューその1)
http://filmmakermagazine.com/86320-acts-of-rebellion-the-dialectical-cinema-of-nadav-lapid/(監督インタビューその2)
http://www.tabletmag.com/jewish-arts-and-culture/192409/nadav-lapid-2(Lapid監督についての作家論)
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その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
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その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
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