唐突だが、私は今後結婚する気は全くないし、ましてや子供を作る気などサラサラない。結婚の場合は私に誰かパートナーが出来たとして、法的な意味で恩恵を受けるべきと判断したならばそうするのも吝かではないが、精神的な繋がりのためにすることはおそらく有り得ないだろう。そして子供についてはどんなことがあったとしても全く作る気はない、自分が生きるだけで精一杯だのに子供なんていう予測不可能な存在を育てることなど絶対に無理だからだ。
こういった感じで私は"結婚したくないし子供も欲しくない"という考えを持っているが、もちろん全く逆に"結婚したいし子供も欲しい"という考えの人が居れば、"結婚したいけど子供は欲しくない"や"結婚したくないけど子供は欲しい"とそんな考えの人も居るだろう。つまり人それぞれ、その人なりの考え方があり、それは互いに尊重していくべきと言える。しかし頭の中でそうは思っていても、実際直面するとなると……ということで今回紹介するジョー・スワンバーグが2012年に製作した中編"Marriage Material"はそんな複雑な状況を親密ながら、冷ややかな視線で以て描き出す作品だ。
主人公はアンドリューとエミリーという若いカップル(ケンタッカー・オードリー&キャロライン・ホワイト、実生活でもカップル)だ。彼らはテネシー州メンフィスの一軒家で共に暮らしている。いくつもの部屋、走り回れるほど広い庭、2匹の愛犬、アンドリューたちの生活は何不自由ないものに見える。ある日2人は友人のジョー&クリス夫妻(名前から分かる通り演じるのはスワンバーグ夫妻)から、生まれて8ヶ月になる息子のハックルベリー(ジュード・スワンバーグ、もちろんスワンバーグの実子)を子守してくれるよう頼まれるのだったが……
エミリーはクリスから体の洗い方やミルクの作り方を学び、楽しげに子守りをこなしながらハックルベリーと戯れる。逆にアンドリューはどうとも形容しがたい無表情を顔に張り付けたまま、パソコンに向かったままでいる。時々はエミリーが嬉しげに赤ちゃんの可愛さを語るのに耳を傾けもするが、基本的に興味はないといった風だ。そしてこの温度差は子守りを終えた後にこそジワジワと露骨な物となっていく。
撮影監督はアダム・ウィンガード、知っての通り低予算ホラー「サプライズ」や「ザ・ゲスト」などを手掛けた新進気鋭の監督だが、「サプライズ」に俳優としてスワンバーグを起用したのは元より、2011年製作のスワンバーグ諸作でウィンガードが撮影監督を、そしてその中の1本"Autoerotic"では共同監督を務めているという深い繋がりがある。ここではカメラを1ヶ所に据え、2人の日常に広がる風景を長回しで忍耐強く撮影するというスタイルを取っており、画面には生々しい空気感が焼き付けられている(劇中ではタル・ベーラの名が出てきたりする)それは常に親密さと覗き見的な快楽の間を行き交うものであり、エミリーたちが薄暗い部屋の中でおもむろにセックスを始める姿を描いた一連のシークエンスはそのスタイル・空気感を象徴する物と言える。映し出されるのは本当にただの日常でしかない、それでも裏側では確かに何かが不気味な音を立て、軋んでいく。
そして親密な緊張感というべきものが静かな高まりを見せる頃、2人にある瞬間が訪れる。ベッドに寝転がり緩みきった時間を過ごすその最中、エミリーがアンドリューに決定的な質問を投げ掛ける、あなた子供欲しくないの?と。アンドリューは欲しくない理由をエミリーに話すのだが、自分でもよく言語化できないのか、言い淀みが多く要領を得ない。そしてエミリーが、お金の問題?サポートが受けられないから?と畳み掛け、なかなか裕福そうに見える暮らしぶりにもガタが来ている、それを示唆するような発言で彼を追い詰める。彼女の口振りは、貧乏な人間は子供産んじゃいけないのか?という物だが、いやそういう問題ではないと私のような考えを持つ人なら分かる筈だ。即物的な問題ではなくもっと精神的な問題がここには存在しているのだと。
しかしエイミーの話ぶりに問題があるなら、アンドリューにもまた問題がある。エイミーの発言に対して彼は、君は俺が発言しようとするといつも割り込んでくる、邪魔してくるからちゃんと話せないんだと話を摩り替え逆ギレするのだ。双方ともにムキになり、話が脱線を繰り返し、そして"自分たちはさっきまで何話していたんだっけ?"という状態に陥る様が5分10分にも渡る長回しで綴られていく。責任の擦り付けあいが延々と繰り広げられるとそんな胃が痛くなるほど居たたまれない状況だが、その果てダメ押しのようにエイミーが彼に吐き捨てるのがこんな問いだ、それは私と結婚なんかしたくないってこと?
あらすじにも少し書いたが、そもそもアンドリューたちをこんな状況に導いた夫婦を演じるのは他でもないスワンバーグ夫妻だ。彼らは南イリノイ大学時代の同窓生であり、2007年に結婚し息子にも恵まれた訳だが、今作には、というかスワンバーグの作品の多くには自身の人生が濃厚に反映されていると言っていいかもしれない。自分たちの世代のリアルを映画にしたいという志から傑作"Kissing on the Mouth"を物にしたスワンバーグだが、それから人生のフェイズが移り変わるごとに彼はそのフットワークの軽さを生かし、人生の節目を刻み込んだ映画を作っている。正にその中の1本がこの"Marriage Material"であり、ここで彼は立ち止まり"結婚すること"と"子供を持つこと"を通じて人生を振り返っている。そういった諸作から受けるのは彼の人生に対する真摯さだ、今までの人生とは一体何だったのか?という真摯な洞察。
本作は2つの大きな問いに対して明確な答えを出さないまま、些細な日常の風景を以て幕を閉じることとなる。何があろうと人生は続いていく、そしてスワンバーグはその移り変わりを他ならぬ映画として焼きつけていくこと止めないだろう。
結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&"The Summer of Sangaile"/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&"Pour faire la guerre"/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと