鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アレッサンドロ・コモディン&「幸せな時はもうすぐやって来る」/陽光の中、世界は静かに姿を変える

Alessandro Comodin&"L' estate di Giacomo"/イタリア、あの夏の日は遥か遠く
Alessandro Comodinのプロフィール及びデビュー長編"L' estate di Giacomo"についてはこちら参照

群青色の闇を駆け抜ける2つの影、彼らは息を切らしながら深き森を走り続ける。耳に聞こえるのは踏みしだかれる草花の悲鳴、それを弔うような悲哀をまとう犬たちの遠吠え、彼らなど一顧だにしない虫たちの奏でる幾重もの響き。だが男たちはそれを味わう余裕などない。疲れ果て地に伏せる1人をもう1人が鼓舞しながら、影たちは森の奥へと突き進んでいく。

"I tempi felici verranno presto"(英題:Happy Times Will Come Soon)は謎めいた2つの物語から構成されている。まず1つはアルトゥーロとトンマーゾ(Erikas Sizonovas&Luca Bernardi)という青年の物語だ。彼らは北イタリアの広大な森に身を隠しながら暮らしている。一体何から逃げているのか? 当然生まれる観客の疑問を尻目に、カメラは2人が自然の中で生き抜こうとする姿を淡々と描き出していく。朝起きてからアルトゥーロは木の実を採集しに行き、トンマーゾは仕掛けた罠にかかったウサギを捕らえ、そして2人で細心の注意を払いながら獲物を解体する。そうして自然が与える試練を乗り越えていくアルトゥーロたちだが、そこにはどこか牧歌的な雰囲気すら感じられる。

撮影監督は前作に引き続きTristan Bordmannだが、彼の存在はComodin作品には絶対に欠かすことは出来ないだろう。今作においてBordmannは35mmフィルムを駆使し、北イタリアの崇高な自然を色彩豊かに映していく。ひしめく緑は生命力を存分に漲らせ、厳と積み上がる岩の数々は灰の彩りの中で鎮座しながら観客を粛々たる心地にさせていく。しかしやはり特筆すべき点は彼女が陽光を捉える時の手捌きだ。葉々の隙間から白みがかった橙が森へと溢れていく瞬間の美しさ、それは木々やアルトゥーロたちだけでなく私たちもまた優しく包み込んでいく。

森の中の開けた土地で、アルトゥーロたちがライフルを持って戯れるシークエンスがある。は自身が第3者であるように絶えず動きながら、兄貴分らしいアルトゥーロがライフルを自由に操る一方、自分も撃ってみたい!とトンマーゾがすがりつく姿を長回しで捉える。手渡されたライフルを構え、ぎこちなく準備を整え、とうとう発射する彼は子供のようにはしゃぎ回る。そしてライフルを構えながら周囲をふらつくトンマーゾだが、陽光に満ちていた光景にいきなり黒い影が差し、彼の姿は一瞬震えを伴う不穏さを湛える。こうしてBordmannは光と影の巷を行き交いながら、融通無碍にテンションを変容させてみせるが、普通ならば照明の強弱によって人口的に作り出すべきそれを、彼は自然光で成立させてみせる。Bordmannこそあの輝かしい太陽に祝福された撮影監督なのだ。

その中でComodinはトンマーゾとアルトゥーロという2人の関係性に官能の手触りを宿していく。前作"L' estate di Giacomo"において彼は森を彷徨う幼馴染みたちの姿を溌剌と且つ官能的に描き出していたが、今作にもその要素は濃厚だ。運命共同体である2人は共に狩り、共に食べ、共に眠る生活を送るが、そこには慈しみと慄えを漂うような未分化な愛が存在する。"自由だ!"そう叫ぶアルトゥーロは敵の襲撃を恐れるトンマーゾに"黙れ"と組み伏されるのだが、それはいつの間にかじゃれあいの様相を呈し、微笑ましさすら浮かび、更にそれが一瞬にしてトンマーゾの殺意へと変転する。森の風景が光と影を行き交うように、彼らの関係性もまた両極を行き交うのだ。だがそんな2人が川辺において、薄い筋肉を纏った上半身を並び立たせる時、太陽の煌めきによって彼らはギリシャの神々にも似た美を閃かせる。トンマーゾらもやはり太陽に祝福された存在だ。

そして今作で語られるもう1つの物語は、2人が生きていた時代からは遠く隔たりながらやはり同じ森を舞台としている。ここにはある時から狼たちの住み処となり、近隣住民たちは彼らの対策に気を揉み続けている。更に、ある1匹の狼が人間の女をさらい、拐われた者は死者として帰ってきたという伝説が真しやかに信じられてもいた。そんな中でアリアーヌ(「最後のマイ・ウェイ」サブリナ・セヴク)という女性は父ディノの元で静養する日々を送っていた。だが俄に狼の被害が広がりゆく中で、彼女は森の中に奇妙な穴を見つける。

余りにも淡々たる生活の素描である前者に比べると、こちらはその停滞をゆっくりとだが進めていくような展開を見せる。病弱な体を押してアリアーヌはその謎を解くために穴を掘り続けるが、その道行きと狼たちの暗躍は共鳴しあう。そしてアリアーヌが奥へ奥へと進むにつれ、あれほど豊かであった陽光は消え失せ、黒一色の光景が不気味に広がり始める。まるで彼女の行動は謎を解いていくどころか、謎を大いなるものへと変えていっているとでも言うように。そしてそれはこの物語において唯一の真実であると証明される。

映画監督とは人々に夢を見せる意味で魔術師であると言えるかもしれない。だがAlessandro Comodinとは魔術師ではなく"魔術"そのものだ。彼は私たちの見ている世界を文字通り一瞬にして変えてしまう。長回しで紡がれ、時間が絶え間なく連続する風景の中で、彼は静かにだが劇的に、時間や場所という概念など軽く踏み越え、世界を変貌させてしまうのだ。最初私たちはそれに気づかないかもしれない、それでもいつか全てが上下逆さまになるような感覚と共に変化を悟り、到来した新しき世界に驚愕と郷愁を抱くことになる。

Alessandro Comodinの作品を観ることは、柔らかな陽光が溢れる森を彷徨うことと同じだ。だがその時、深い闇の広がる洞窟を見つけるだろう。好奇心からその中を行く中で、私たちは映画という名の深淵を目撃することとなる。その後私たちは呆然としながら、一生を懸けたとしても解けない謎を抱きながらこの地を去るしかないのだ。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&"The Summer of Sangaile"/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&"Pour faire la guerre"/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと
その146 Virpi Suutari&”Eleganssi”/フィンランド、狩りは紳士の嗜みである
その147 Pedro Peralta&"Ascensão"/ポルトガル、崇高たるは暁の再誕
その148 Alessandro Comodin&"L' estate di Giacomo"/イタリア、あの夏の日は遥か遠く
その149 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その150 Rina Tsou&"Arnie"/台湾、胃液色の明りに満ちた港で
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
その177 ドミンガ・ソトマヨール&"Mar"/繋がりをズルズルと引きずりながら
その178 Ron Morales&"Graceland"/フィリピン、誰もが灰色に染まる地で
その179 Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&"Die Einsiedler"/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&"La Soledad"/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その183 Krzysztof Skonieczny&"Hardkor Disko"/ポーランド、研ぎ澄まされた殺意の神話
その184 ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&"Home"/親という名の他人、子という名の他人
その187