Alessandro Comodin&"L' estate di Giacomo"/イタリア、あの夏の日は遥か遠く
Alessandro Comodinのプロフィール及びデビュー長編"L' estate di Giacomo"についてはこちら参照
群青色の闇を駆け抜ける2つの影、彼らは息を切らしながら深き森を走り続ける。耳に聞こえるのは踏みしだかれる草花の悲鳴、それを弔うような悲哀をまとう犬たちの遠吠え、彼らなど一顧だにしない虫たちの奏でる幾重もの響き。だが男たちはそれを味わう余裕などない。疲れ果て地に伏せる1人をもう1人が鼓舞しながら、影たちは森の奥へと突き進んでいく。
"I tempi felici verranno presto"(英題:Happy Times Will Come Soon)は謎めいた2つの物語から構成されている。まず1つはアルトゥーロとトンマーゾ(Erikas Sizonovas&Luca Bernardi)という青年の物語だ。彼らは北イタリアの広大な森に身を隠しながら暮らしている。一体何から逃げているのか? 当然生まれる観客の疑問を尻目に、カメラは2人が自然の中で生き抜こうとする姿を淡々と描き出していく。朝起きてからアルトゥーロは木の実を採集しに行き、トンマーゾは仕掛けた罠にかかったウサギを捕らえ、そして2人で細心の注意を払いながら獲物を解体する。そうして自然が与える試練を乗り越えていくアルトゥーロたちだが、そこにはどこか牧歌的な雰囲気すら感じられる。
撮影監督は前作に引き続きTristan Bordmannだが、彼の存在はComodin作品には絶対に欠かすことは出来ないだろう。今作においてBordmannは35mmフィルムを駆使し、北イタリアの崇高な自然を色彩豊かに映していく。ひしめく緑は生命力を存分に漲らせ、厳と積み上がる岩の数々は灰の彩りの中で鎮座しながら観客を粛々たる心地にさせていく。しかしやはり特筆すべき点は彼女が陽光を捉える時の手捌きだ。葉々の隙間から白みがかった橙が森へと溢れていく瞬間の美しさ、それは木々やアルトゥーロたちだけでなく私たちもまた優しく包み込んでいく。
森の中の開けた土地で、アルトゥーロたちがライフルを持って戯れるシークエンスがある。は自身が第3者であるように絶えず動きながら、兄貴分らしいアルトゥーロがライフルを自由に操る一方、自分も撃ってみたい!とトンマーゾがすがりつく姿を長回しで捉える。手渡されたライフルを構え、ぎこちなく準備を整え、とうとう発射する彼は子供のようにはしゃぎ回る。そしてライフルを構えながら周囲をふらつくトンマーゾだが、陽光に満ちていた光景にいきなり黒い影が差し、彼の姿は一瞬震えを伴う不穏さを湛える。こうしてBordmannは光と影の巷を行き交いながら、融通無碍にテンションを変容させてみせるが、普通ならば照明の強弱によって人口的に作り出すべきそれを、彼は自然光で成立させてみせる。Bordmannこそあの輝かしい太陽に祝福された撮影監督なのだ。
その中でComodinはトンマーゾとアルトゥーロという2人の関係性に官能の手触りを宿していく。前作"L' estate di Giacomo"において彼は森を彷徨う幼馴染みたちの姿を溌剌と且つ官能的に描き出していたが、今作にもその要素は濃厚だ。運命共同体である2人は共に狩り、共に食べ、共に眠る生活を送るが、そこには慈しみと慄えを漂うような未分化な愛が存在する。"自由だ!"そう叫ぶアルトゥーロは敵の襲撃を恐れるトンマーゾに"黙れ"と組み伏されるのだが、それはいつの間にかじゃれあいの様相を呈し、微笑ましさすら浮かび、更にそれが一瞬にしてトンマーゾの殺意へと変転する。森の風景が光と影を行き交うように、彼らの関係性もまた両極を行き交うのだ。だがそんな2人が川辺において、薄い筋肉を纏った上半身を並び立たせる時、太陽の煌めきによって彼らはギリシャの神々にも似た美を閃かせる。トンマーゾらもやはり太陽に祝福された存在だ。
そして今作で語られるもう1つの物語は、2人が生きていた時代からは遠く隔たりながらやはり同じ森を舞台としている。ここにはある時から狼たちの住み処となり、近隣住民たちは彼らの対策に気を揉み続けている。更に、ある1匹の狼が人間の女をさらい、拐われた者は死者として帰ってきたという伝説が真しやかに信じられてもいた。そんな中でアリアーヌ(「最後のマイ・ウェイ」サブリナ・セヴク)という女性は父ディノの元で静養する日々を送っていた。だが俄に狼の被害が広がりゆく中で、彼女は森の中に奇妙な穴を見つける。
余りにも淡々たる生活の素描である前者に比べると、こちらはその停滞をゆっくりとだが進めていくような展開を見せる。病弱な体を押してアリアーヌはその謎を解くために穴を掘り続けるが、その道行きと狼たちの暗躍は共鳴しあう。そしてアリアーヌが奥へ奥へと進むにつれ、あれほど豊かであった陽光は消え失せ、黒一色の光景が不気味に広がり始める。まるで彼女の行動は謎を解いていくどころか、謎を大いなるものへと変えていっているとでも言うように。そしてそれはこの物語において唯一の真実であると証明される。
映画監督とは人々に夢を見せる意味で魔術師であると言えるかもしれない。だがAlessandro Comodinとは魔術師ではなく"魔術"そのものだ。彼は私たちの見ている世界を文字通り一瞬にして変えてしまう。長回しで紡がれ、時間が絶え間なく連続する風景の中で、彼は静かにだが劇的に、時間や場所という概念など軽く踏み越え、世界を変貌させてしまうのだ。最初私たちはそれに気づかないかもしれない、それでもいつか全てが上下逆さまになるような感覚と共に変化を悟り、到来した新しき世界に驚愕と郷愁を抱くことになる。
Alessandro Comodinの作品を観ることは、柔らかな陽光が溢れる森を彷徨うことと同じだ。だがその時、深い闇の広がる洞窟を見つけるだろう。好奇心からその中を行く中で、私たちは映画という名の深淵を目撃することとなる。その後私たちは呆然としながら、一生を懸けたとしても解けない謎を抱きながらこの地を去るしかないのだ。
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その187