さて、西サハラである。アフリカ大陸の大西洋岸にある地域で、だが国として独立はしていない。亡命政権であるサハラ・アラブ民主共和国とモロッコが領有を主張しており、長きに渡る紛争が続いているのである。このように今も独立を目指す西サハラにおいて、自由と、そのための抵抗の象徴として称えられる歌手がいる。今回はそんな人物の人生を追ったAnna Klara Åhrén、Brahim B. Ali、Alex Veitch、Mohamedsalem Weradらによるドキュメンタリー作品“Haiyu - Rebel Singer Mariem Hassan and the Struggle for a Free Western Sahara”を紹介していこう。
まずは西サハラの現代史をザッと見ていこう。西サハラは1884年にスペインに植民地化された後、長く支配が続いていた。そんな中で60年代に西欧によるアフリカの植民地支配を終わらせようという機運が高まっていき、実際に多くの国が独立を果たしていく。そして1975年のマドリード協定によりスペインは西サハラの領有権を放棄して撤退することになる。だが翌年の1976年には、隣国であるモーリタニアとモロッコが西サハラに侵攻、分割統治を開始する。モーリタニアは政情の悪化で撤退する一方、モロッコとの対立は続き、1991年に停戦協定が一時的に結ばれながらも、2020年11月には再びモロッコ政府が軍事行動を行い、西サハラの独立を目指す武装組織ポリサリオ戦線も停戦の終了を宣言、緊張が続いている。
今作の主人公となる歌手Mariem Hassan マリエム・ハッサン(アラビア語表記:مريم الحسان)はまだスペインの支配が続いていた1958年に生まれた。アラブの遊牧民族であるベドウィンの家庭に生を受けた彼女は若い頃にスペインによる支配とそこからの解放、さらにモーリタニアとモロッコによる侵攻など激動を経験、西サハラや周辺国に存在する難民キャンプを転々とする日々を送っていた。その流浪の最中、音楽とダンスを愛する彼女はエル・ワリ El-Oualiというバンドに加入することとなる。名前の由来はポルサリオ戦線の設立メンバーで、サハラ・アラブ民主共和国の初代大統領だったエル・ワリ・ムスタファ・ザイード El-Ouali Mustapha Sayedである。その殉教をきっかけに、彼の名を後世に伝える意味でバンドはEl-Oualiと名付けられたわけである。
ハッサンや仲間たちが作る歌詞のテーマは西サハラ独立を目指す革命家たちへの檄や自由への想い、戦争の恐怖、殉教していった兄弟への哀悼などなど多岐に渡るものである。こういった歌詞を力強く高らかに歌いあげるハッサンは一躍有名になり、西サハラ各地でコンサートを行う中で彼女はいつしか自由の象徴として祭り上げられることになる。当時、海賊版のカセットテープが出回り、タクシー運転手がこぞって車内で流しまくりさらに人気を獲得したという逸話も存在する。
ハッサンは西サハラに対する支配や抑圧に対し、歌を以て果敢に反抗した。例えば2010年に制作されたアルバム“Shouka”の表題曲が、今作では取り上げられる。1976年、当時のスペイン大統領フェリペ・ガルベス Felipe Gonzálezが難民キャンプでスピーチを行ったのだが、選挙時の公約とは裏腹に西サハラを国として認めない姿勢を明確化することになる。“Shouka”というそのスピーチの1文1文に応答と反駁を行うという形式で歌詞が書かれている。演説から時は多く経ちながらも、今にも禍根を残しているスペインの植民地主義を、ハッサンはこのようにして徹底的に批判していくのである。
こういった活動の裏側、プライベートでも波乱の日々が繰り広げられていた。自由の象徴として祭りあげられツアーを行う中で、必然的に家族とは離れ離れに暮らさざるを得なくなる。さらに息子の1人も難病にかかってしまい、高度な医療を受けるためスペインに移住させざるを得なくなる。後には自身も40代の若さで乳がんに罹り、スペイン移住で故郷を離れることを余儀なくされた。その心中はいかばかりのものだっただろうか。
しかしハッサンはその苦難すらも乗り越えて、歌い続けるのだ。2011年にはグデイム・イジムでのモロッコに対する大規模な抗議活動やアラブの春にインスパイアされた新作アルバム“El Aaiun Egdat”を発表する。ここに収録された曲は、西サハラにおけるアラブの春のアンセムともなったのだという。
アフリカ大陸における強国であるモロッコの妨害工作がゆえに、西サハラの苦境は世界に伝わっていない。こういった嘆きが作品内では語られる。そうした逼迫した状況において、しかしハッサンは諦めることなく歌を通じて西サハラの今を世界中に伝えていった。次の世代が進む道が準備できるまで、私たちは止まってはいけない……こんな言葉を残した彼女は2015年に57歳の若さで志半ばに亡くなった。しかしその志を受け継いだ人々は、今も西サハラの自由のため活動を続けている。そしてその1つの結実こそが、彼女の人生を伝えるこの“Haiyu”というドキュメンタリーなのだろう。