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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
ルチアン・ピンティリエのデビュー長編および第2長編についてはこちら参照。

“Reconstituirea”ルーマニア当局に体制批判的な作品と見なされたルチアン・ピンティリエは、チャウシェスク政権下においては映画を作ることが難しくなり、止むを得ず演劇界での作品作りを余儀なくされる。そのせいで約20年の間に彼が監督できた映画はたった2本と頗る少ない。今回はこういった経緯のせいでピンティリエ作品でも余り省みられることのない作品たちを紹介していきたいと思う。

まず1本目が彼がユーゴスラビアで製作した、アントン・チェーホフの短編「第六病棟」が原作の第3長編“Paviljon VI”だ。今作の主人公は医師のアンドレイ(Slobodan Perović)、彼はユーゴスラビアの雪深い田舎町へと赴任してきた。当初彼は人々を救うため必死に奔走していたが、いくら助けても増えていく病人たちの姿を見てこう思い始める。人はいつかは死ぬ運命だ、ならば私が彼らを救うのはこの極自然な人間の営みを妨害していることになる、それでも人を救うことに意味はあるのか?……彼はそんな思いに囚われ、書斎に閉じ籠もるようになってしまう。

Daneliucの技術の成熟は冒頭を見れば明らかだ。家から出て病院への道を行くアンドレイ、カメラは彼の歩く姿を追っていく。防寒着を着込んだアンドレイの風体、彼の横顔には苦渋の思索が滲み渡っている。そして彼の後ろにはくすんだ白い雪に覆われた世界が広がっているが、透明な絶望感に活気が全て刈り取られたような様相を呈し、時おり現れる町民の姿にも精気は感じられない。そんな中でアンドレイを慕う少女だけは微かな灯火のように、世界に微笑みを与えてくれるが、この絶望の中では本当に微かなものだ。そして病院から家へと彼が帰る時、私たちはほとんど変わっていない白い虚無に包まれた世界を目撃する。その忌々しいまでの深さを、ピンティリエは厳たる2つの横移動撮影のみで描き出してみせる。

そんな日常の中で、アンドレイは病院から少し離れた第六病棟へと足を踏み入れることとなる。ここは精神を病んだ患者が収容される隔離病棟であり、粗悪な環境が改善されることなく広がっていた。彼はそこでイワン(Zoran Radmilović)という患者と出会う。ここから出せ!と騒ぐ彼を宥めようと会話を繰り広げるうち、イワンが高い教養を持っていることを知る。教養のない町民たちや知的生活の存在し得ない現状に不満を覚えていたアンドレイは、男との哲学的対話にのめり込み始め、第六病棟へ足しげく通うこととなるのだが……

ここから本作は生と死をめぐる対話劇へと姿を変え始める。人間は内的反応によって生かされるか、それとも外的反応によって生かされるのか、自身も医師であったチェーホフがその知識を駆使して練り上げていった対話の数々を、ピンティリエはPerovićとRadmilovićという2人の俳優に託し、物語を進めていく。この時期ピンティリエは舞台を中心として活躍していたからか(実際彼はチェーホフ「三人姉妹」「かもめ」の舞台をフランスで演出している)、その傾倒が映画にも色濃く見られ、冒頭に見られた技巧は影を潜めていくが、それでも画面には力強い思索が血のように浸透している。

劇中において頗る不気味な存在感を放つのが禍々しい音楽だ。まるで工場から谺する金属音のような響きが、この物語全編において延々と響き続けるのだ。何かが歪み、何かが潰され、何かが弾ける。そんな聞く者の神経を削っていく音の連なりに導かれ、アンドレイは危機的な状況へと追い込まれることとなる。生と死の、正気と狂気の境界線は熱に冒された鉄さながら曲がり、絶望の世界はそのまま異様なる精神の迷宮に姿を変えるのだ。

この作品の後、ピンティリエは他ならぬ政府の要請でルーマニアへと戻り、映画を製作することになる。それが“Paviljon VI”とはガラリと趣を変えた祝祭の一作“De ce trag clopotele, Mitică?”だ。物語の始まりはパンポン(「日本からの贈り物」ヴィクトル・レベンギュウク)という警察官が見つけた手紙からだ。ギャンブルが習慣の彼がいつものように家へ朝帰りすると、いつものように散らかった寝室にいつもとは違う何かがあるのに気づく。彼は床に落ちたその手紙を読んでみると、何とそこには今ベッドで寝ている妻ディディナ(Tora Vasilescu)と何者かが密会の約束をする旨が書かれていた。怒り心頭のパンポンは浮気相手を見つけ出しブチ殺してやる!と家を飛び出していく。

今作は正に狂騒の愛憎劇としか形容できない凄まじい力に満ち溢れている。パンポンはナエ(Gheorghe Dinică)という床屋を経営する男が怪しいと店へと乗り込んでいくのだが、そこには彼の妻であるミツァ(Mariana Mihuț)と従業員のヨルダケ(Mircea Diaconu)がいるばかりだ。彼はナエが帰ってくるまで店で待とうと思うのだが、ミツァもまた夫の浮気を知っており、二人は意気投合したかと思えば混乱をぶつけ合い、互いの感情が爆発したかと思えば罵倒が炸裂する。更にミツァ自身も実は他の男と浮気しており、混乱と勘違いが巡りめぐって、パンポンはその男こそが自分の妻と浮気していると考え、公衆浴場で飛沫ブチ撒く大乱闘が勃発、収集つくとかつかないとかそういう問題じゃない事態に陥っていく。

今作の原作はIon Luca Caragiale ヨン・ルカ・カラジャーレが執筆した戯曲“D-ale carnavalului"なのだが、カラジャーレは以前の“Două lozuri”のレビュー記事でも書いた通り19世紀のルーマニア演劇界を代表する人物であり、今作は彼の戯曲を映画化した膨大な映画群の中の1つという訳である(ピンティリエは舞台演出家としても彼の戯曲を上演していた)だが今作が他の作品と一線を画する点が、異様なまでの狂騒と祝祭ぶりである。この感性はルーマニア的というよりも、例えばエミール・クストリッツァ作品に見られる類いのユーゴスラビア的な物と言えるかもしれない。というか今作はクストリッツァの長編デビュー以前に作られた作品で、むしろ彼の原点はここにこそ存在すると主張する人物もいたりする。

そして主に狭苦しく埃臭い床屋で爆発的な狂騒を起こした後、舞台はカーニバル会場に移されることとなるが、読者が予想する通り物語は更なる混迷を見せ始める。来賓客は誰もが仮面を被り、妖精や怪物などキッチュな扮装に身を包み、腕や足を狂ったように振り上げ、汗と体臭を毛穴から発憤させ、唾に叫びにと会場へと常軌を逸した興奮をブチ撒けていく。パンポンたちもその混沌へと飛び込み、それぞれの理由のため痴情沙汰を繰り広げるが、扮装のせいで誰が誰だか見分けがつかず、ただただ色彩と叫びが怒濤さながら五感に押し寄せていく様はもはや暴力としか言い様がないほど凄まじい。観てる間もはや五感を通り越して、脳髄すらも悲鳴をあげてしまうほどだ。その結果は当然ルーマニアでの上映禁止措置だった、ルーマニア政府の要請で撮影したというのに!

上記2作は共にユーゴスラビアという国の文化に著しく影響を受けた作品であり、ピンティリエとしては例外的なものであると言えるが、逆に考えれば彼の監督としての技術の幅広さをも伺える映画となっている。そして“De ce trag clopotele, Mitică?”から8年後、チャウシェスク独裁政権は終わりを告げ、ピンティリエは本格的な映画製作に復帰、彼は90年代に数々の名作を産み出すこととなるが、それについては次回以降に語っていこう。

ルーマニア映画界を旅する
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その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
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その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……