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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?

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私が世界の映画でも特にルーマニア映画が好きなことはこの鉄腸マガジンの読者ならば知っているだろうが、それ故にたくさんのルーマニア映画を紹介してきた。だが日本においてルーマニア映画の全貌はあまりにも未知すぎる。そこには豊穣たる映画史が存在するのに、知られないというのは余りに勿体ないことだ。ということで今回から、日本ひいては世界にすら知られてないルーマニア映画の古典を集中的に紹介していこうと思う。早速だが、今回紹介するのはルーマニア映画史に埋もれた幻の作家Șerban Creagăのデビュー長編"Căldura"だ。

今作の主人公はセルジュ(Vladimir Găitan)という大学生の青年である。彼には恋人であるラウラ(Emilia Dobrin)や親友のシュメケ(Nikolaus Wolcz)がおり、平凡だが幸せな生活を送っていた。だが彼らにはそれぞれの不安が存在し、この幸せがいつか崩れてしまうのではないかという不穏な予感にも苛まれていた。

今作の演出はすこぶる感傷的であり、瑞々しいものだ。その様は当時隆盛を誇り、東欧にも影響が波及していたヌーヴェルヴァーグを多分に反映しており、同時代に映画を製作していたLucian Bratu ルチアン・ブラトゥなどと共鳴しあうものとなっている。そこには若さへの甘い耽溺の感覚が存在しているのだ。

冒頭においては例えば突然炎のごとくのような三角関係ものを想起させられるかもしれないが、今作はまた別の方向へと舵を切っていく。セルジュは大学を中退し、軍事学校へと入学することになる。ここで彼は厳しい規律に翻弄されながらも、同じ境遇の若者たちと友人関係になり、ささやかな青春を経験することになる。

そういった道筋を行く本作は、セルジュの成長を見守る教養小説的な性格を帯びることになる。軍事学校でホモソーシャル的な青春を経験した彼は、卒業後に故郷の村に戻り、木こりとして働くことになる。彼をめぐる状況は様々に変わっていくが、そんな風景を監督は慈しみとともに見据え、丹念に描きだしていくのである。

そして今作はTiberiu Olah ティベリユ・オラフによる撮影も印象的だ。例えばセルジュがラウラとの甘美な日々を回想する時に現れる2人が砂浜に並びすわる風景。ルーマニアの伝統酒ツイカを飲んだ後、酩酊しながら雪に満ちる大地でグルグルと回る風景。そういったものからは若さが直面する孤独が詩的に滲みだすのである(ちなみにOlahは他の作品では作曲家としても活躍している)

終盤、物語は冒頭の三角関係へと帰還することになる。ブカレストへ戻ったセルジュはシュメケと、そしてかつての恋人ラウラと再会することになる。彼女は両親の反対に遭い、セルジュと別れて別の人間と結婚しながらも、今は離婚し、ピアノの教師として生計を立てていた。そんな彼女に対して、セルジュは未だ思いを捨てきれず、2人の仲は再び近づいていく。

監督はこの微妙な関係性を叙情的な形で描きだそうとする。確かに愛しあいながらも、やはり道行きには不安が感じられ、関係性は不安定なものであり続ける。再び別れてしまうのか、それともずっと一緒にいるのか、この愛の宙吊りが今作の終盤を彩ることになる。

この作品の要は間違いなくセルジュ役を演じたVladimir Găitanの内省的な存在感だろう。彼は今作製作の前年、未だ新人作家であった未来の巨匠Lucian Pintilie ルチアン・ピンティリエの第2長編"Reconstituirea"(レビュー記事をどうぞ)で映画デビューを飾った。そしてこの勢いで出演した作品が"Căldura"だった。彼は静かなる苦悩を抱えながら、俯きがちに青春の道を歩きつづける青年を印象的に演じている。彼の存在が今作を牽引していることは間違いない。

そして今作の後、Găitanは売れっ子俳優になるのだが、そこで出会ったのが映画監督Sergiu Nicolaescu セルジュ・ニコラエスである。"Zile fierbinti"で初協同を遂げた後、"Accident"(1977)や"Ultima noapte de dragoste"(1980)、"Întîlnirea"(1982)や"Oglinda"(1994)、"Poker"(2010)と約40年に渡って彼と映画を製作しつづけ、国民的な俳優となる。が、映画史的にNicolaescuは右翼の豚野郎として評判の作家であり、国粋主義的な作品を多く作ってきたため、そんな作品に出演したGăitan自身の評判も二分されている。

さて"Căldura"が制作された1969年はニコラエ・チャウシェスクが政権のトップに立った初期である。共産主義国家ながら西側諸国の文化を吸収しており、1968年にはチェコの春へのソ連の侵攻に反旗を翻したチャウシェスクが気骨ある指導者として称賛されていた、未だ自由な時代である。今作にはその自由に若者たちが耽溺していた名残が確かに刻まれている。そして今作は甘くて苦い終りを迎える訳だが、そんな青春の終りはチャウシェスク政権の独裁の始まりを意味するようで、何か痛切なものを感じられてしまうのである。

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