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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛

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山はルーマニア人にとって心の故郷である。私の友人である20代の女性も、小さな頃には裸足で山を駆けまわっていたそうである。悲しいがルーマニアは貧しい小国で、地方にはリソースが少ないので、ブカレストやクルジュ=ナポカなどの都市に移住する者が多いが、最後には心は山へと帰っていくのである。今回紹介するのはそんな思いが濃厚に反映された作品、Andrei Cătălin Băleanu監督のデビュー長編"Muntele ascuns"である。

今作の主人公はペトル(Horațiu Mălăele)という眼鏡の青年だ。彼は両親の離婚とそれによる不在によって傷つき、傷心の日々を送っていた。だがある日、彼は一念発起し、母が現在住んでいる山岳地帯のペトリマヌへと赴く。そして彼はここに位置する鉱山で働き、生計を立てることを決意したのだった。

最初、ペトルは優男ということで同じ鉱山の労働者たちから馬鹿にされてしまうのだが、持ち前の頑固さを以て彼らの信頼を少しずつ獲得していく。鉱山での生活は疲労困憊にさせられることばかりであったが、労働者たちに囲まれながら生活を続けることで、ペトルは家族の暖かみを知っていく。

都市生活で疲れた心が、自然に溢れた田舎での暮らしによって少しずつ癒されていく。そんな田舎幻想に裏打ちされた芸術作品は古今東西多く存在するが、最初"Muntele ascuns"は正にそんなジャンル映画の1作のように思われる。ここで描かれる田舎町は都市部に比べてもちろん不便ではありながら、自然が輝き、人々の繋がりもとても密なものだ。つまりは都市で生活している人々が忘れてしまったものが、そこには存在しているといった風である。

そして今作で特筆すべきなのは、70年代におけるルーマニアの鉱山生活が活写されていることである。鉱山での採掘作業はドス黒い闇のなかで行われる、すこぶる危険なものでありながら、炭鉱の人々はそれを苦にしてはいない。仕事が終われば賃金をもらい、仲間同士で酒を酌みかわすのである。古きよき関係性という奴である。Băleanuはペトルを中心に群像劇的な様式で鉱員たちの生活ぶりも描きだすことで、その雰囲気を豊かに浮かびあがらせる。

だが70年代が過ぎ去ると、こういった古きよき情景も徐々に姿を消しはじめる。特に共産主義政権崩壊後の90年代は不景気によって鉱山の閉山が連なり、鉱員たちの仕事が無くなっていく。そんな労働者たちは、政府によって反体制デモを潰す作業員として雇われるなどもはや古きよき情景など存在する余地もなくなるのだ。この危機的な状況は、後にLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ"Prea târziu"という作品で描くことになるが、それに関しては今作についてのブログ記事をどうぞ。

さらに、この"Muntele ascuns"もただ郷愁一辺倒に陥ることはなく、今後の未来を予感させるような世知辛い展開へと舵を切っていくことになる。鉱山における中間管理職の悲哀、凄惨な事故によって失われていく命、仕事の微妙さを反映して不安定なる夫婦の関係性などなど負の側面も丹念に描かれている。こうして全編に満ちるのは、全てがいつかは消え果ててしまうのではないかという曖昧な哀しみなのである。そしてそれは遠くない過去に結実してしまう。

"Muntele ascuns"は鉱山に広がる労働者たちの生活を通じて、失われゆくものへの哀愁を描きだした作品だ。ラストにはBăleanu監督が託した精いっぱいの希望が宿っている。が、今作後に起きた鉱山の閉山や労働者たちの搾取を考えると、色々な意味でより濃厚で物悲しい郷愁に襲われる類の映画でもあるのである。

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さて次に紹介するのはBăleanu監督の2作目であり、悲しいことに最終作でもある"E atât de aproape fericirea"である。"Muntele ascuns"を観た人は驚くかもしれないが、今作はブカレストというルーマニアで最も巨大な都市を背景とした愛の物語である。

今作の主人公はパウル(Albert Kitzl)という青年である。彼は労働者として工場で働きながら、将来は大学へ行き、勉学に励むことを夢見ていた。そんなある日、彼はクリスティーナ(Diana Lupescu)という同年代の女性に出会い、すぐさま恋に落ちる。そして急速に距離を深めて、恋人同士になるのだったが……

まず今作はパウルの日常の風景を豊かに綴っていく。今作での工場での勤務風景はとても溌溂としたものであり、ここには夢と友情がある!とばかりに明るい光景が描かれる。そこは共産主義政権のプロパガンダのようだが、観ながらなかなか心が躍らされるのもまた事実である。

そしてRadu Goldișの手掛ける音楽がなかなかに瀟洒で、刺激的なものだ。まず冒頭、ブカレストの街が切りとられていく中で、彼のファンク音楽が流れるのだが、それによってブカレストは当時パリやベルリンを越えて最もお洒落だった都市のように見えてくる。さらにその音楽が工場勤務中に流れると、工場はまるでディスコである。ここには希望がある!といった風に。

こうして本作は都市に生きることの楽しさを鮮やかに描いていくのである。前作"Muntele ascuns"は都市生活に疲れた主人公が、田舎の炭鉱での生活に癒されていく様を描きだしたが、今作は真逆である。むしろ都市部にこそ生の歓びはあると高らかに語るのである。

その後、物語はパウルとクリスティーナのロマンスに移行していくが、この様が何と甘いことか。崖に立つパウルと、安らかに流れる波の上に立つクリスティーナ、彼らは名前を呼びあい、急速に惹かれあう。このロマンティックな名前の交錯を皮切りに、彼らの距離は急速に近づいていくのだ。

しかしその愛には問題があった。パウルは労働者階級に属する人物であるが、クリスティーナの家庭は中産階級に属しており、つまりここには階級差が存在しているのだ。そんな中で彼らは結婚を決めるのだが、当然クリスティーナの両親はそれに猛烈に反対する。そして2人は駆け落ちを決意するのだった。

今作にはチャウシェスク政権がドン詰まりに陥る前の、自由の気風が溢れている。描かれる全てが瑞々しい感触を湛えているのだ。とはいえ描かれる内容は思い通りにならない愛の行く末についてだ。愛しても階級差という差がつきまとい、愛しても不満と不安とともにすれ違う日々が続く。こうして今作はブカレストという巨大都市を背景に、共産主義の時代の愛の構図を描きだしているのだ。

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