鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

私の孤独は貴方の孤独と相容れない「それぞれの場所をさがして」

ブノワ・ポールヴールドという名前に聞き覚えがなくとも「ありふれた事件」の妙に陽気なクソ殺人鬼役といえばピンとくる人は多いのではないだろうか。カメラクルーの前でヘラヘラと自身の哲学を語りながら、良心の呵責も覚えることなく人を殺していく姿に戦慄した人はやはり多いのではと思う。そんなポールヴールドが今やベルギーの国民的俳優として活躍していると言っても信じられないかもしれないが、「ありふれた事件」とは全く違う、国民的俳優の片鱗が垣間見えるだろう作品が2013年制作の「それぞれの場所を探して」だ。

ポールヴールドが演じるのは人生に疲れた写真家アントワーヌだ。とはいえもう写真を撮るのもただ金を稼ぐためだけの行為であり、彼は陽もほとんど射さない部屋で孤独な生活を送っている。そんな彼にも慰めとなる存在がある。一人は近所に住む少年マテオ(「ベルサイユの子」「友よ、さらばと言おう」マックス・ベセット・ド・マルグレーヴ)だ。シングルマザーである母親は家を留守にしがちで、アントワーヌが代わりに話を聞かせたり宿題を手伝ったりと、彼の子守りをしているのだった。そしてもう一人、中庭を挟んだ向かいのアパルトマンの一室、そこでピアノを弾く女性をアントワーヌは毎日眺めている。時々ひそかに写真を撮りながら、彼女について考える。“彼女は何者だろう”“彼女はなぜピアノを弾くのだろう”そうして孤独に凍りついた心がほんの少しだけ癒えるのを、彼は感じるのだ。

ある日、いつものようにカメラ越しに女を眺めていたアントワーヌは、彼女が自殺を図る瞬間を目撃してしまう。それがきっかけで二人は出会うことになる。彼女の名前はエレナ(「Alpeis」「fidelio l'odyssée d'aliceアリアンヌ・ラベッド)、学生、少年院でケアワーカーの仕事もしているらしい。見舞いへと足しげく通ううちに、アントワーヌとエレナの間には微かな絆が芽生えていく。

この作品は二つの孤独な心が惹かれあう様を描く物語だ。そう書けば年上の男/年下の女という陳腐な恋愛劇を連想するかもしれないがファビアンヌ・ゴデ監督はその方向へはなびいていかない。

“何も望んでいない、だからダメなんだ”ある時アントワーヌはそう嘯くが、彼はもう望むことすら諦めている。語られない過去によって彼の心は孤独にむしばまれ、アントワーヌは生ける屍を自分から演じているにすら思われる。

“いつも誰かのための悩んでいる”エレナの心を一言で表すならばこうだ。家族と上手く付き合うことの出来ない兄のために彼女は悩み、少年院で騒動を起こし続けるマルゴという少女のために彼女は悩み、いつしかエレナは自分でも理解できないままに自殺を図る。

そんな2人が出会うことで、今までとは違った何かが彼らのもとに訪れる。孤独は癒され、笑顔すら戻ってくる。かけがえのない幸福な時間、しかしそれは長くは続かない。2人の孤独は余りに深すぎる、自分のいるべき場所は彼女の/彼の傍らではない、互いが互いを理解できるには遅すぎる出会いだったというのが明らかになっていく。それと共にポールヴールドが見せる佇まいの悲壮さも深まっていく。自分を孤独へと追い込んでいった末、他者に対しどうやって苦しみを吐き出せば良いのか分からなくなり、静かかな狂気にまで達してしまうか、それとも持ちこたえるか、そのギリギリの危うさを彼は演じきってみせる。だからこそラストの安易さは惜しいが、それでもポールヴールドの存在はそこを補って余りある魅力を持っていると言えるだろう。

「それぞれの場所を探して」は磁石のように引き合う2つの孤独を映しだす。だが引き合うのは彼らが置かれた状況がそうさせるだけであり、その孤独同士は反発しあう物でしかなかったという苦い現実を監督は指し示す。しかしそれでも、それでもこの繋がりには何かがあった筈だという思いが、叫びと共に、ポールヴールドの瞳に託される[B+]


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