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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

思い出という色とりどりの死骸たち「EDEN エデン」

冬と、枯れ木と、霧と、そして海。ミア・ハンセン=ラブ監督の最新作「EDEN エデン」が最初に映し出す、そして主人公のポール(「5月の後」フェリックス・ド・ジヴリ)が最初に見る風景は既に彼の挫折を予告している。90年代パリの音楽シーンを1人のDJの青春に託したこの作品は、しかし一筋縄では行かない歪さを持ち合わせている。

物語は1992年の11月から始まる。大学生のポールは毎夜クラブに繰り出して、仲間たちと共にそのビートを楽しんでいた。ハマっているジャンルはガラージ・ミュージック、とうとう好きが高じて彼は親友のスタン()と共にDJデュオ"Cheers"を結成する。2人の響かせるビートはパリのクラブシーンを席巻、あっという間にスターダムを駆け上がっていく。その中でポールが出会うのはアメリカから来た魅力的な女性ジュリア(「ハンナだけど、生きていく!」グレタ・ガーウィグ)、ポール・バーホーヴェンの「ショーガール」を傑作と言って憚らない中年男アルノー(「女っけなし」ヴァンサン・マケーニュ)、そして彼にとって運命の人とそう思えたルイーズ(「東京フィアンセ」ポーリーヌ・エチエンヌ)……自分たちだけの楽園でセックスを楽しみ、ドラッグを楽しみ、何よりもうち響くビートを楽しみ、ポールは輝かしき青春の時を過ごす。だがそんな絶頂が長く続くことなど有り得るはずがなかった。

この「EDEN エデン」は二部構成になっていて、大まかに分ければ第一部ではポールの成功を、第二部ではポールの挫折を描いていく。しかしまずハッキリさせておきたいのは第一部の恐ろしいまでの退屈さについてだ。ポールがパリのクラブシーンで時代の寵児となる姿、ハンセン=ラブ監督はその成功を結果だけを連ねて描こうとする。1992年のポールを20分ほど描いたら、いきなり1994年に話が飛びもう既にポールは何らかの成功を納めている、そして20分ほど描写が続くと再び数年後に話は飛び、ポールはいつのまに時代の寵児として祭り上げられている!さらに20分経ったら数年後……とこの繰り返しだ。成功の“過程”を全てすっ飛ばし話は淡々と語られてしまう、そこにはポールが成功していくことの興奮は微塵も存在せず、年ごとに“数年後”という深い断絶が横たわっている、つまりハンセン=ラブ監督には年代記を演出する才能が絶望的なまでに欠けているという訳だ。

劇中で流れるダフト・パンクなどのエレクトロ・ミュージックは、監督の才能の欠如に注意を向けさせないためだけに流れる。なまじノリが良いだけその虚しさは流れれば流れるほど際立ってくる。そして監督と彼女の実兄であるスヴェン・ハンセン=ラブの脚本は個々の話の有機的な繋がりを潰しに潰しきった無味乾燥なものだ。大部分が実兄スヴェンの経験に寄るものらしいが、思い出という名の色とりどりの死骸をいくつもいくつも見せつけられるようで苦痛だ。したがって描かれるキャラクターにも何の魅力もない、書き割り的な役割を押し付けられ、主演のフェリックス・ド・ジヴリやポーリーヌ・エチエンヌは勿論、あのグレタ・ガーウィグ――あの退場シーンのダサさといったら!――もヴァンサン・マケーニュすら無だ。スクリーンにキャラクターが映る、スクリーンからキャラクターが消える、ただそれだけの退屈な運動を見るための映画体験。

今年の2月イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」が公開されたが、終盤、主人公が戦地から帰ってきてからラストまで帰還後描写がダラダラダラダラダラダラダラダラと続いてこの映画は一体いつになったら終わるんだと思った方もいるかもしれない。「EDEN エデン」はそれが131分ずっと続く。ダラダラと、ダラダラダラダラと…………だが驚くべきなのは物語が第二部に入りポールの挫折を描くにあたり、今まで挙げてきた短所の全てがそっくりそのまま美点へと転じてしまうことだ。

ポールの音楽は時が経つにつれ時代遅れのものとなり、彼の人気は地にまで落ちる。それでも過去の栄光にこだわり自分の音楽を捨てられず、ドラッグに溺れ、借金まみれになっていく。年代記としては致命的なはずの断絶と雑な編集は、むしろポールの惨めさを際立たせる。成功は過程を描かなければ途端に説得力を失うが、失敗/挫折はむしろ結果だけをつるべ落としに描いた方が悲壮さは絶大という訳だ。そしてさっきまでいたキャラクターが消えそのまま出てこなくなる、さっき結婚していたキャラが今は離婚している、そんな脚本の瑕疵はまるでタオ・リンの小説のように、いかに人生が諸行無常であるかを象徴しさえする。それでもエレクトロの響きはポールにつきまとい、虚しさを増し、その果てに彼が絞り出す一言は悲惨以外の何物でもない。ここまで1人の人間を追い詰めに追い詰め、青春の痛みを観客の眼に焼き付ける容赦なさを持ち合わせる映画は類を見ない。

余りのつまらなさに早く終わってくれよ……とぼやいていた筈が、余りの痛切さに早く終わってくれよ……という言葉の意味が180度変わってしまう作品がこの「EDEN エデン」だ。良い意味でも悪い意味でも、ミア・ハンセン=ラブ監督の次回作には否応なく注目せざるを得なくなる[第一部:E/第二部:A]


ポーリーヌ・エチエンヌが「EDEN エデン」の後に主演した映画。すごい、ヤバそう。