鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ケリー・ライヒャルト論〜旅人たちは彷徨い、怒り、失いながら

ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
ケリー・ライヒャルト監督作の個別レビューはこちらの記事を参照

ケリー・ライヒャルトという名前に聞き覚えのある方は、相当な米インディー映画好きだろう。もしかしたら偶然ミシェル・ウィリアムズ「ウェンディ&ルーシー」ジェシー・アイゼンバーグ「ナイト・スリーパーズ/ダム爆破計画」を観たことがある方は多いかもしれないが、その監督がこのライヒャルトだと意識して観た方は多くない筈だ。今年のサンダンス映画祭では最新作の"Other Woman"が上映され話題を博していたが、そのキャリアは約20年に渡り、アメリカは元より主にヨーロッパでその作風が評価されているが、日本においては殆ど紹介されていないのが現状だ。故にここでは米インディー界の静かなる巨人ケリー・ライヒャルトのキャリアを追うと共に、彼女が一貫して描いてきたテーマとは何かを探っていきたい。

ケリー・ライヒャルトは1964年フロリダ州マイアミに生まれた。両親は警察官(父は科学捜査研究所所属、母親は麻薬取締官)だったが、ライヒャルトが子供時代に離婚している。まず小学校の頃から写真に興味を持ち始め、父親が仕事の時に使うカメラを使って撮影をしていた。だがフロリダには余り良い思い出がないようで"フロリダでの生活はどうでした?"と聞かれ"酷かったですよ"と答え、その後にはこう続ける。"もしあなたがフロリダ出身だとして、そこから脱出して魅力的な人々と共に自分の人生を築いていけたとしたら、もうその時点で勝ち組ですよ(笑)"

翌年Bob Rich School of Photographyに入学して写真を学び、19歳でマイアミを脱出しボストン美術学院に入学、ここで映画に目覚める。スーパー8で短編を製作しており、三部作のロードムービーを監督するなどしていた。卒業後は美術係など裏方として映画界に入ったが、その時に出会ったのが映画監督のトッド・ヘインズだった。彼の長編「ポイズン」の撮影現場で意気投合した2人は生涯に渡る親友となる(ライヒャルトの第2長編"Old Joy"以降の作品全てにヘインズは製作として関わっている)そして映像作家としても彼女はMV製作などをしていたが、その時に出会ったJesse Hartmanがマイアミが舞台である物語の脚本を書いているのを知り、彼と共に故郷フロリダへ戻って彼女にとっての初長編"River of Grass"を監督することになる。家庭に閉じ込められた主婦と人生に不満を抱く青年があるきっかけから逃避行を行う羽目になるロードムービーであり、インディー映画の登竜門サンダンス映画祭で賞を獲得、華々しいスタートを切ったと思われていたが、ライヒャルト監督は"River of Grass"以降、12年もの間長編映画を作ることがなかった。何故そんなにブランクが開いたのか、彼女はFandorのインタビューにこう答えている。

"お金の問題はいつだって本当に厄介でした。私の映画には稼げる見込みがなかったのでしょう。ですから私はスーパー8で撮影した50分の劇映画"Ode"や、実験的な短編映画を作っていました。どれもとても気に入っているのですが映画製作だけに集中できる状況は楽でした、出資してもらった人々の期待が重荷になるとそういうことがありませんから(中略)こう小規模で映画を作ろうとなると撮影も編集も自分でやらなくてはならず、映画製作の技術は磨かれながらもその所為でより広い形で作品が作れなくなってしまったのかもしれません。

"River of Grass"は13人のスタッフで作ったのですが、楽しい経験とは言い難いものでした。映画の製作中、私は脚本を改善する立場にはなかったと感じていましたし、人生において様々な形でそういった立場に私はいたんです。ですからこのやり方は違うと思い、そして"Ode"に取り掛かりました。クルーは2人で俳優も2人、照明は自然光のみという撮影スタイルでしたが完全な自由を感じていました。ただ映画製作に集中すれば良かった、政治もなければ作品に難癖付けてくる存在もいませんでしたから。とてもオープンで創作意欲の湧く環境にあったんです"

そして彼女は"純粋に創作的でいれる親密な雰囲気をどうキープしていくか"を重んじ、この環境を勝ち取るために、教師として大学で映画製作の教鞭を取り製作費を稼いでいたのである。その目途が立った2006年にとうとう彼女は自身にとっての第2長編"Old Joy"を監督することとなる。親友2人がオレゴンの山奥を旅する姿を描いた作品はサンダンス映画祭で上映後、ロッテルダム国際映画祭で最高賞のタイガーアワードを獲得し、ここからライヒャルト監督の快進撃が始まる。

2008年にはミシェル・ウィリアムズを主演に据えた第3長編「ウェンディ&ルーシー」を監督、カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品されるなど話題となるが、アメリカに限らず欧州での評価をも決定付けたのが同じくウィリアムズ主演の"Meek's Cutoff"だった。アメリカ開拓時代を舞台によりよい将来を求め西海岸へと向かう開拓者の一団を描いた本作はヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品、特別賞を獲得し、ライヒャルト監督の名を欧州に轟かせる一作となった。そして2013年にはジェシー・アイゼンバーグが主演のエコテロリズムを主題としたスリラー作品「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」を、2016年にはウィリアムズと3度目のタッグとなる群像劇"Certain Women"を監督、映画界で独自の地位を築いている。さて彼女のキャリアを駆け足で眺めていった所で、ライヒャルト監督の作家論に移っていこう。

ケリー・ライヒャルト監督の長編諸作において、主人公たちは誰もが旅をする。デビュー作"River of Grass"では30代の専業主婦コージーが退屈な日々に背を向け、アウトローの青年とフロリダの高速道路をアンニュイに走り続ける。"Old Joy"では疎遠だった親友のマークとカートが久し振りの再会を果たし、オレゴンの奥地にある秘湯へと忘れられない旅に出る。「ウェンディ&ルーシー」ではアラスカへの旅を続けるホームレスの女性ウェンディが唯一信頼する愛犬ルーシーとはぐれ、オレゴンの田舎町を孤独に彷徨い歩く。そして最も広大な旅を繰り広げるのは"Meek's Cutoff"に登場する開拓者たちである。1845年、ミズーリ州からオレゴン州へと続く約3200kmの長大な道"オレゴントレイル"を行くことで太平洋岸北西部を目指す。

彼らは何故旅をするのだろう?それは登場人物の皆が社会の周縁へと追いやられた者たちだからだ。コージーは家事と育児に追われ、否応なく家に閉じ込められている。周りに広がる環境は違うが、50年代のアメリカにおいて社会から切り離され郊外の邸宅に押し込められた女性たちと状況は同じだ、一見幸せに見えながらその実、透明な空虚と狂気へと堕ちていっている姿も含め。他の3作においては彼らを周縁へと追いやる社会の姿がそれぞれ明確だ。"Old Joy"はもうすぐで父親になるマークと対称的に自由な日々を生きるカート、しかしどちらにも今後に対する深い不安があり、再び紡がれる友情がその救いになるのではという思いを抱え旅に出る。この時期は9.11後ブッシュの勝利とリベラルの敗北によって未来への悲観が濃厚に漂っていた時代であり、正にその空気感と2人の心象風景は共鳴している。「ウェンディ&ルーシー」の場合、ウェンディはアラスカを目指し旅をしているのだが、その背景には2007〜2008年にかけてのサブプライムローンの破綻から世界経済危機に至る激動がある。彼女の過去は明確に説明されることはないが、ある時彼女は「ここじゃ住所や携帯がないとロクな仕事につけない。だから私はアラスカに行くの」と呟く。そして"Meek's Cutoff"は1845年――ゴールドラッシュにアメリカ中が湧く3年前である――当時のアメリカは不景気に見舞われており、住民たちも苦しい生活を送らざるを得ない状況にあった。その中で彼らはよりよき未来を求めて西を目指すことを決意する。現在の視点から見ると、アフリカ大陸から地中海を渡りヨーロッパを目指す人々、空爆から逃れて故郷のシリアを後にする者たち、彼ら難民の苦しみと孤独を開拓者たちの旅路に見出だすことも可能だろう。

こうして旅を通じて首尾一貫して社会の周縁を生きる者たちを描き出すライヒャルト監督だが、彼女は自身についても"アウトサイダー"なのだと形容し、それに誇りを持ってもいると言える。 "アウトサイダーであることにはネガティブな意味がいつでも付き纏います。ですがこの言葉は全ての外圧から解放されていることを意味してもいるんです" *1

この共感は彼女の演出方法にも見えてくる。デビュー作の"River of Grass"を除いてその演出は一貫してミニマルだ。現在を生きる登場人物たちの姿だけを映し出す、例えばマークとカートが焚き火の前で自分の人生について語る、ウェンディがルーシーの名前を呼びながら町を彷徨う、開拓者一行が休憩中に洗濯物を干す、そういったシーンを彼女はただひたすらに見据える。ここに説明や回想が入る余地はほとんどない。言ってみれば観察的と形容できるこの演出は一定の距離感を感じさせ、むしろ共感は排されるのではないかと思われるし、実際物語の大部分においてはそういった雰囲気が漂う。しかしふとした瞬間に、語られない背景や距離感というある種の空白が圧倒的な感情で満たされる時が彼女の作品には存在する。諦めや後悔、孤独を選びとらなくてはならないという哀しみ、そして自分の人生を誰にも奪わせないという強い決意。情報量を削ぎ落としに落とし続けたからこそ初めて映画は豊饒足り得るのだとライヒャルト監督は知っているのだ。

そしてこのミニマルな豊かさを語る上で欠かせないのが"Old Joy"から「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」まで全ての脚本を担当している小説家ジョナサン・レイモンドだ。故郷であるオレゴンにずっと住み続けている彼はこの地を舞台として小説を執筆しているのだが、ライヒャルト監督は同じくオレゴンに住んでいる親友トッド・ヘインズの紹介によって彼と出会ったのだという。監督はレイモンドとの共同作業について次のように語っている。 "長編映画を作るにあたって彼の小説を読むとその書き方に共感を覚えます。だから彼のやり方――例えば人と人との関係性や人々がある環境に順応していく過程を描いたり、個人的なものを政治的なものに変えるそのやり方と同じ方法で映画を作りたいと思うんです"

更にライヒャルト作品に欠かせない要素として、人間と自然の関係性というものがある。彼女は自身と自然の関わりあいについてインタビューでこんなことを語っている。"昔はアメリカ中をキャンプして回っていました。今だと違法ですが、当時は道にトレーラーを停めてそこで夜を過ごすことも出来ました。だからベッドに横になって、窓から景色を眺めながら、マイアミからモンタナへと旅も出来たんです。3ヵ月の旅行の間はラジオを聞いたり、煙草を吸ったり……キャンプには両親と行きましたが、独りになりたい時は自転車に乗って夜になるまで辺りをフラフラするなんてこともしていました、今じゃ子供たちもそんなこと出来ないでしょうけど。大人になってからは自動車の相乗りもよくしていました。自分で運転はしたくないから誰かの車に乗ってテキサスやテネシーへ、車を乗り継ぎながら様々な場所を巡っていきました。ネブラスカへ行ったら次はサンフランシスコというように。毎年夏には、3ヵ月そういう生活を続けていたんです"

デビュー作"River of Grass"は監督が元々住んでいたフロリダの巨大な湿地帯エヴァーグレーズ付近が舞台であり、"Old Joy"においてはマークとカートはオレゴンに広がる豊かで広大な森の奥深くへと旅をするが、"Meek's Cutoff"においては逆に果てしない荒野を主人公たちは旅することとなる。前者においては鮮やかな緑を湛えた木々と川の密やかなせせらぎが2人を優しく包みこむ。しかし特に"River of Grass""Meek's Cutoff"において自然は旅人を追い詰める存在として君臨する。前者は果てしない湿地とその周りに張り巡らされた高速道路を行くコージーたちは、何処にも辿り着くことが出来ない。ある意味でフロリダの自然は彼女がかつていた家と同じく監獄として機能する。そして後者に広がるのはどこまでも続く乾いた大地、緑など何処を見回せども存在しない圧倒的な無の光景、そして太陽の激烈な熱が旅人たちの肌を突き刺す。

しかし共通するのは安らぎとしての自然、脅威としての自然に関わらずーー更には例え直接的に自然が関わらないとしてもーー旅人たちは道に迷うことになる。だがそれは彼らを思索へと導くことともなる。マークとカートは道に迷い夜を森の中で過ごすにあたり、焚き火を前にして人生について語りあう。そして異なる道を歩むにしろそれぞれに困難さからは逃れられず、ままならなさと共に生きていかなければならないと悟り始める。そしてウェンディはルーシーを求めてオレゴンの田舎町を彷徨い歩き、否応なしに孤独との対峙を迫られる。

そしてそれは何かを失うこととセットで語られることも多い。"River of Grass"は所持金、「ウェンディ&ルーシー」は車の故障と愛犬ルーシーの失踪、"Meek's Cutoff"は食物・飲み水などがそれに当たるだろう。当然旅を続けるにあたっては物資が必要であり喪失は旅人を必然的に危機的状況に追い込むが、ライヒャルト監督は終始一貫してこの喪失を強調する。これが共感に並列される厳しさへと繋がっていく。彼女は登場人物たちに対して深い共感を抱きながらも、生半可な救いをもたらすことはない。社会から炙れた旅人たちは自分たちの居場所を探して旅を続けながらも、そんな彼らに対して現実は容赦なく牙を向いていく。この過酷な状況を安易な感傷に流されることなく見据え、映画として描き出すことという徹底したスタンスが彼女の作品を唯一無二のものとしている。

そんな監督が映画を作り続けるための原動力とは何か、それは怒りだ、社会への深き怒り。彼女は教師としての経験を交えながらこう語っている。"私は教師としてこういう大学に通う余裕のある生徒たちに囲まれて過ごしています。もちろん愛してます、ですけど彼らは何かに怒りを覚えるということがありません、かつて私たちがそうだったようには。両親を愛していて、たくさんお金を持っていて、何かに恐れることもなく怒りを抱くこともありませんし、その意味で彼らはとても良い人間に見える。ですがそれでは偉大な芸術を作れはしない。だからいつも彼らに言うんです、何かに怒りを覚えたことはない?と。"

その意味でライヒャルト監督の怒りが最も色濃く現れている作品こそが"Meek's Cutoff"と言えるだろう。劇中においてミシェル・ウィリアムズシャーリー・ヘンダーソンゾーイ・カザンの演じる女性たちは開拓者の一群において発言権は殆どない。案内人のミークを筆頭に家族の男連中がこの先進むべきか戻るべきかという命に関わる選択について議論を繰り広げるが、彼女たちはそれを遠くから見つめるしかない。それでいて洗濯や料理、朝の焚き火起こしなどは彼女たちに全て押し付けられ、何処に辿り着くとも分からない旅に巻き込まれる。ライヒャルト監督はここに差別の再生産を見る。開拓者は確かに社会の周縁に置かれ彷徨うしかない存在でありながらも、この差別される者たちの中に彼女たちのように蔑ろにされる人々がいるのだ、そしてその根底にある価値観は開拓者を爪弾きにする正にその社会が宿す価値観ですらある。

今作は19世紀の開拓時代を描き出した西部劇と言えるが、この西部劇とは生来的にアメリカの歴史と切っても切れない関係にある、アメリカがいかに繁栄と衰退を繰り返してきたか、この地に元々住んでいた原住民たちとどのような関係を築いてきたか、もしくは彼らにどのような抑圧を向けてきたか、こういった物を西部劇は映画史の始まりより今まで描いてきた。だが同時に考えなくてはならないのが、西部劇において中心になったのは殆どが男性であったことだ。物語に登場する人物、そしてその裏側にいる作り手たちも殆どが男性だ。女性は脇役か、物語の中心に据えられるといっても男性の視線を介した客体であり続け、作り手においてはもっと少ないと言うべきだろう。

そういった現状がある中で"Meek's Cutoff"は今まで周縁に置かれてきた女性たちの視点から西部劇を、アメリカの歴史を語り直すという壮大な野心に満ちた作品なのである。そして監督のこの思いはエミリーと、彼女を演じるミシェル・ウィリアムズにこそ託される。旅が進むにつれて男の処遇を巡り内部の軋轢は厳しさを増す、そしていつまでも目的地に着かない焦燥がミークへの不信を呼ぶ。この2つの緊張が最高潮に達する時、ミークと対峙したエミリーの浮かべる表情には無二の力が漲っている。埃と砂に薄汚れながら、恐怖に身を震わせながら、しかし眼光は鋭く満ちる気迫に揺るぎはない。彼女の姿にはライヒャルト監督の男性中心主義への怒りと、大いなるシステムを転覆させる覚悟が浮かび上がる。"Meek's Cutoff"は女性たちが奪われた声をその手に取り戻すまでの物語だ、荘厳なる戦いの物語なのである。

そうして首尾一貫したテーマを提示する中で、しかしその中でライヒャルト監督が変化していることを2013年の「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」は証明する。オレゴンが舞台、レイモンドの共同作業、そしてある意味で人間と自然の関係性についての総決算的な側面を持ちながら、前作と大きく異なるのは主人公たちの旅路を描いている訳ではないことだ。ジェシー・アイゼンバーグらが演じるエコ・テロリストは1つの場所に定住しながらダム爆破計画を静かに進行させ、遂行後は何事もなかったかのように振る舞う。彼らにとって重要なのは大それたことをした上でこの日常を維持することに他ならない、むしろ旅する事態になることを巧妙に避けようとする。それでもラスト、アイゼンバーグ扮するテロリストは妄執の末に仲間を殺害、逃走の身となり、過去の登場人物たちが通ったスタートラインに初めて立つことになる。しかし他作品とは全く違い、いくら旅を続けようと妄執からは逃れられないことが仄めかされ映画は幕を閉じる。

ライヒャルト監督は社会の周縁に追いやられた存在を描いてきたが「ナイト・スリーパーズにおいても現代の資本主義・消費主義に抗するテロリストたちを描く意味ではこの姿勢が貫かれている。それでいて他作と異なるのは周縁の存在に対する暖かな眼差し/共感が欠けているということだ、おそらく意図的に。今までの作品は観察的な中でも何処かで観客が登場人物と心を通わすことのできるふとした瞬間が幾つも存在した。だが今回、監督は3人のテロリストの行動を否定することもないが肯定することも勿論ない、厳然たる一本の線を彼方と此方の間に刻んでいるのだ。このアウトサイダーへの共感の排斥は「ナイト・スリーパーズを純粋なる人間観察へと昇華し、ライヒャルト監督が新たな境地に辿り着いたことを証明している。

だが彼女にとって真に新しいと言える作品は2016年の最新作"Certain Women"かもしれない。メイリー・メロイ Malie Meloy の原作を映画化したこの作品はモンタナに生きる女性たちの人生を切り取る群像劇であり、再びのウィリアムズ起用やクリステン・スチュアートローラ・ダーンの出演などが話題になっておりライヒャルトの最高傑作との呼び声も高い。だが重要なのは今作においてジョナサン・レイモンドとのコンビを一時解消、そして舞台はオレゴンからモンタナ州に移るという大きな相違が存在していることだ。この違いが彼女の作風にどう作用しているか気になる所である。

ライヒャルト監督が活躍し始めたゼロ年代後半は、ジョー・スワンバーデュプラス兄弟などいわゆるマンブルコアというムーブメントに与する作家たちが多く活躍する時代でもあった。超低予算、仲間内での少数制の映画製作など彼女の製作スタイルと重なる所も多く、マンブルコアとしてはカウントされないながら、批評家からはヌーヴェルヴァーグにおける左岸派アニエス・ヴァルダのように捉えられることもあった。その中で他のインディー潮流は段階を踏みメジャーへと進出していきながら、彼らは常に仲間内で映画を作り続け今後もそうなるだろうと言われていたマンブルコアのメンバーも、デュプラス兄弟リドリー・スコットと共にジョナ・ヒルなど有名俳優を起用したコメディ「ぼくの大切な人と、そのクソガキ」を手掛けたのを皮切りに、ジョー・スワンバーはインディー映画界の先輩格ノア・ボーンバックやコメディ界の首領ジャド・アパトーに見初められ彼らと仕事を共にした後、Netflixで自身がクリエイターのドラマ製作が決定するなど、やはり彼らも以前のインディー作家たちと同様のキャリアアップを続けている。

だがライヒャルト監督はメジャーへと進出する心づもりは一切ないのだという。彼女は自分の映画が興業収入を稼げるなんてことは有り得ないだろうし、そういった映画を作る気はサラサラないとも語る。バーク大学で映画製作について教鞭を取っていることは先に記したが、それで一定の予算が貯まった時に友人ヘインズやデビュー長編"River of Grass"からの付き合いであるラリー・フェッセンデンらの力を借り、誰に邪魔されることなく自分が作りたい映画を作っていく。そんなライヒャルト監督こそ、真に孤高たるインディー作家と呼ぶべきだろう。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
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その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
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その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
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その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&"The Summer of Sangaile"/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&"Pour faire la guerre"/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと