鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源

先頃、私はCINEPUBというYoutubeアカウントを見つけたのだが、これがマジでスゴかった。CINEPUBはルーマニア映画の発信拠点であるカルチャーセンターなのだが、そこが過去・現在問わず様々なルーマニア映画を英語字幕付きで無料配信しているのである。そしてそこには何と今年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に最新作"Sieranevada"が出品された、ルーマニアン・ニューウェーブ創始者クリスティ・プイウの初期長編すら配信されていたのだ。私はルーマニア映画を語るにあたり、彼の作品は絶対に紹介する必要があると思っていたのだが、なにぶん観る機会がなく後に後にということになっていた。だがそんな状況も終わりを告げた!ということで今回は現代ルーマニア映画界の巨人クリスティ・プイウと彼の長編デビュー作"Marfa şi Banii"を紹介していこう。

クリスティ・プイウ Cristi Puiu は1967年4月3日ブカレストに生まれた。妻のアンカ・プイウの間に3人の子供がおり、共に製作会社Mandragoraを経営している。子供の頃は絵画に興味があり、チャウシェスク政権崩壊をきっかけにスイスへと留学、ジュネーヴ高等視覚芸術専門学校(ESBA)で絵画を学んでいた。しかし1年後には専攻を映画に変えて、精力的に短編やドキュメンタリーを制作する。スイスでしばらく活動したのち、ルーマニアへと帰国、そして2001年には初の長編映画"Marfa şi Banii"を監督する。ということで本編、下に張っときます。

オヴィディウ(Alexandru Papadopol, "Toni Erdmann"にも出演)は何処にでもいそうな20代の若者だ。ロクに仕事もせず朝遅く起きて時間を無意味に費やすとそんなモラトリアムな日々を送っている。そんなある日彼の元にやってきたのがイヴァノフ(ゲンズブールと女たち」ラズヴァン・ヴァシレスク)という中年男性、彼はぐうたらな生活を送るオヴィディウに苦言を呈しながらある荷物を渡す。中身は長ったらしい名前のついた薬品数箱、これを午後2時までにコンスタンツァから約200km離れたブカレストへ運ぶのが今日の仕事だ。少し怪しさも感じるが、彼は自分が雑貨屋を開店するための資金を提供してくれた訳で、その依頼を無下にはできない。

物語の序盤はルーマニアの一般家庭に広がる日常をありのまま切り取っていく。オヴィディウの母(「私の、息子」ルミニツァ・ゲオルギュ)は朝早くから店に立ち、夏なのにコーラやビールの在庫がもうないとぼやきながら、台所に行ったと思うと認知症らしき義母を介護するなど慌ただしい。そして狭苦しく色のくすんだリビングには母に義母にオヴィディウに、仕事のために運転を頼んだヴァリ(「不倫期限」ドラゴシュ・ブクル)に彼の恋人のべティ("Un etaj mai jos" Ioana Flora)にともう満杯。お喋りと不平と笑いが混線状態の風景は、見てくれのくすみとは裏腹に生き生きしたリズムを伴っている。

そしてオヴィディウ、ヴァリ、べティの3人は車に乗り込みブカレストへの旅が始まる。自分で雑貨店を経営するようになったら親なんてどうでもいいさ……ラジオで流れてるこの歌手と同じ服を父親が来てた時なんか……メジディアだかどっかである男が車で事故ったらしいんだけどさ……車内ではそんな他愛もない会話が繰り広げられる訳だが、印象的なのはSilviu Stavilaによるカメラが常時オヴィディウが座る助手席の後ろを定位置としている所だ。カメラはオヴィディウを映したと思うと運転席のヴァリ、後部座席のべティを映したりと目まぐるしく動き回る。"Marfa şi Banii"の異様さは今後何十分の間その場を動かず、第4者の視点で物語が紡がれていくこのリアリズムにあるのだ。

だけど友人同士が無駄話繰り広げてる様を映すのにリアリズム極められたって困るわ、それマンブルコアじゃないんだから……と思う内に本作は劇的な展開を見せる。ある時オヴィディウたちは赤いSVUが自分たちの周囲で怪しい動きをしているのに気づく。そして追い越していったかと思うと、行く先て待ち構えバットを持って有無を言わさず襲撃してきたのだ。命からがら逃げ出した3人は自分がヤバい仕事に足を突っ込んでしまっているのを悟る。

この時から物語はクライム・サスペンスの様相を呈するのだが、いわゆるハリウッド産のB級映画とは全く違い、こんな展開でもほとんど車内を出ることがない。その意味では車内を舞台としてトム・ハーディが渾身の一人芝居で魅せる「オン・ザ・ハイウェイ」や、全編が車内カメラの映像で構成されたポール・ウォーカー主演の「逃走車」のはしり、プロトタイプ的な作品と言っていいかもしれない。様々な事情で車を乗り捨てる訳にも行かない3人はブカレストへと車を走らせるが、赤いSVUは脅威として彼らの視界にチラつき、狭い車内で不安と恐怖が膨張を遂げる。何で自分たちは追われている? 一体あの鞄の中には何が入っている?

プイウ監督はこの旅路にルーマニアの原風景や現実を刻み込んでいく。オヴィディウたちの出発地点コンスタンツァは黒海沿岸にあるルーマニア最大の港湾都市だ。首都のブカレストは約200キロ西に位置しており、彼らはそうして西を目指すのだが、一旦コンスタンツァを出ると周囲には何処までも続くだろう緑の風景が広がっている。フロントガラスからは果てしのない草原や美しい山の連なりがチラと見え、ルーマニアの自然に対する想像力が掻き立てられる。

だが勿論そう美しいだけがルーマニアではない。ある時彼らはスピード違反と免許不所持を理由に途方もない罰金を要求されるのだが、それを片付けるにはまあ当然賄賂が必要な訳だ。賄賂はルーマニアン・ニューウェーブ作品においてDoru Nitescu"Roxana"クリスティアン・ムンジウの最新作"Bacalaureat"など頻出のモチーフなのだが「ルーマニアを知るための60章」において六鹿茂夫氏はこの文化についてこう記している。

"ルーマニア社会に浸透している国民的習性とも言うべきものが「袖の下」や賄賂である。これは、オスマン帝国が残していった負の遺産であるとルーマニア人は口を揃えて言う。確かに、賄賂を意味するルーマニア語の「チュブーク(ciubuc)」や「バクシシ(bacsis)」は、トルコ語から来ている。ルーマニアの諸公達は、公国の独立を護るためにトルコに貢ぎ物を施し、さらにトルコの政府高官にバクシシュと呼ばれる贈り物を差し出すことで、公的なポストを手にした。

このような賄賂の伝統は、共産主義時代においても是正されることはなかった。日本からの訪問者に対して、当時の共産党官僚はつねに胸を張って応えたものである。「我が国では、学校や病院はすべて無料です。差し出して良いのは、花ぐらいのものです」と。しかし、実情は違っていた。病院に世話になるときは、町中では外国製タバコ(中略)、村では鶏などを持参するのがつねであったし、手術などの場合はそれ相当の礼金を支払うのが常識であった。

また、卵、肉、砂糖などが恒常的に不足し、外国からの輸入品が歯磨き粉に至るまで希少価値のあった社会では、インテリよりも売り子さんの方が良い暮らしをしていた。なぜなら、お互いに希少価値の高い商品を店頭に出さないで、彼らの間で廻していたからである。そのような閉鎖的な販売経路に部外者が分け入りお裾分けを頂くためには、「チュブーク」が不可欠であった。さらに、袖の下はギスギスした官僚体制に潤いをもたらす潤滑油とも言われ、諸々の便宜を図ってもらうために警察や役所でチュブークが横行したのである。そして、1989年後の自由化は、小規模で行われていたこのチュブーク社会を、大規模な汚職国家へと変貌させた。学校や病院、さらには警察官から大臣や首相に至るまで、汚職までもが「自由化」されたのである"

更に現代のルーマニア賄賂事情については2007年に執筆されたノリカ・パナヨッタ氏のルーマニアの森の修道院に興味深い記述がある。"ルーマニアの道路はデコボコ。道を見ればその国の経済状態がわかるというように、この社会の仕組みもかなりデコボコである。どこでも賄賂、笑って賄賂。無賃乗車がばれたら車掌に賄賂、単位のために学生が教授に賄賂。病気になったら医者に賄賂。賄賂なしでは手術もしてもらえない。友人は結石切除の手術の際、医者に賄賂300ユーロ渡し、身の周りを世話してくれる看護師にも心付けを渡してやっと手術ができた。ちなみに300ユーロはルーマニア人の平均月収相当"だそうである。

そんな文化を背景としながら、オヴィディウたちはジワジワと追い詰められていく。彼らの仕事の裏側には大いなる腐敗のシステムが存在し、1度絡め取られてしまったとしたなら個は成す術もなく踏みにじられるしかないという状況。プイウ監督は静かな怒りを以てそれを告発しようとする。その結果が"Marfa şi Banii"であり、この時は未だ小さな波紋を広げるのみであったが、いつしか怒りは"ルーマニアの新たなる波"という名の大きな波濤となり世界を席巻することとなる。

ルーマニア映画界を旅する
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その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本

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その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
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