鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり

クリスティ・プイウのデビュー長編"Marfa şi Banii"は、徹底したリアリズムと社会システムへの静かな怒りによって、ルーマニア映画ゼロ年代に花開く切っ掛けを作り出した、それが2001年のことだ。更に2004年にはCătălin Mitulescu"Traffic"カンヌ国際映画祭短編パルムドールを、プイウの"Un cartuş de Kent şi un pachet de cafea"ベルリン国際映画祭短編金熊賞を獲得と3大映画祭の短編部門2つを制覇することとなる。こうして俄にルーマニア映画が注目を得た後、翌年の2005年、死と生の滑稽なるエピックが世界を席巻する。それこそがプイウの第2長編「ラザレスク氏の最期」(原題:Moartea domnului Lazarescu)だった。

ラザレスク氏(イオアン・フィスクテーヌ、今作が遺作)は62歳の引退した技師、3匹の猫たちと共に埃のかぶった狭苦しい一室で余生を過ごしている。ハンガリー人の妻は数年前に死去、娘はアメリカだかカナダだかに住んでおり没交渉、何故かラザレスク氏の妹とは自分を差し置いて仲良くしているそうで、彼はそれに我慢がならない。ある日、酷い頭痛に襲われたラザレスク氏は病院に電話するのだが救急車はやってこない、頭痛が更に酷くなるのでラザレスク氏はまた電話するのだが救急車はやってこない、その間にも彼の体調はどんどん悪化していく。

「ラザレスク氏の最期」のランタイムは実に2時間半、最近のハリウッド産超大作も斯くやといった長さだが、こちらにはド派手なVFXも目を見張るアクションも存在しない。前半はただひたすらにラザレスク氏の日常生活を追っていく。頭痛を我慢しながらひとり孤独に酒を呑み、テレビを観ながらネコちゃんたちの世話をする。人恋しさ故か妹と電話で話し込むのだが、会話にはたちまち罵倒が飛び交う有様。そして寝室で上着を脱いだ時に晒される彼の肉体、代謝もクソもなく醜く肥え太った体、あらん限りに膨張した二の腕は脂肪でデコボコになり、真っ黒な影があちらこちらで膿んでいる。その姿は饒舌なまでに老いの悲哀を語る。

だがただ哀れな日常をダルデンヌ兄弟的なアプローチで描くに終われば、ルーマニア映画はここまで称賛を浴びはしなかっただろう。このムーブメントにおいて重要な要素はドス黒いユーモアなのだ。頭痛に耐えかねたラザレスク氏は隣人のサンドゥとミハエラ夫妻(4ヶ月、3週と2日」ドルー・アナ&"Sieranevada"ダナ・ドガ)の元へと痛み止めをもらいに行くのだが薬はほとんど無いらしく、しかも会話の最中にミハエラが料理を焦がし夫婦の仲が険悪化、自分を介抱してくれる間にも料理の失敗がどうだと会話の節々に怒りが滲み、とうとうラザレスク氏は血反吐を吐くに至るのだがそれでもフライパンが焦げただのと小言は尽きない。私たちはそれを聞きながら口角が上がるのを抑えきれなくなるが、そんな自分に気付いて居心地悪い思いを抱く。全く嫌がらせとしか言い様がない展開が続く訳である。

しかしその最中、とうとう部屋に救急隊員のミヨアラ(「私の、息子」ルミニツァ・ゲオルギュ)が現れる。頭と腹部の痛みを訴えるラザレスク氏に応急処置を施した後、彼を救急車に乗せて病院へと向かう。さあこれで病院に行って治療してもらってめでたしめでたし、と行く訳は勿論ない、本当の地獄はこれからである。病院に運ばれ診断を受けるラザレスク氏だったが、病室へ担ぎ込まれてくるのは血塗れの人々、何でも近くで大規模なバス事故が起こり死傷者が多く出ているらしい。そんな状況で医師は、酒飲んでるから頭痛いだけだろ、ちゃんと診断したけりゃ大学病院とか行けよと信じられない言葉をぶつけ、埒が開かないので、時間をかけて大学病院へと向かうのだが、お前らバス事故あったって知っててこっち来たのか?と喧嘩腰……

こうして「ラザレスク氏の最期」は現代ルーマニアにおける医療システムの腐敗を炙り出していく。医者は患者という下の立場の人間に対して舐めた態度を取り、診断中に愛人とイチャつくのは当たり前、医者によって診断が結腸やら肝硬変やらとコロコロ変わり、様々な理由から厄介払いを喰らって病院をたらい回しにさせられる。まるでカフカの小説が現代のルーマニアで再現されるような不条理展開が繰り広げられるのだが、オレグ・ムトゥによる手振れカメラによる撮影によって、この不条理は胃の痛くなるような現実味を以て立ち上がってくる。

この作品を読み解くにはルーマニアにおける医療制度について少し知っておくことも必要だろう。その悪名高さは世界に広く知られているが、例えば外務省は2015年の時点でサイトにこういった注意勧告を掲載している。"EU加盟後も当国の医療状況は改善されておらず, 専門性が求められる高度医療においては, 未だ西欧先進諸国の水準には遠く及ばないと判断されます。医師流失や財政状況の悪化等が背景にあると考えられますが, 特に、国公立病院は設備の老朽化が進んでおり、邦人が受診・入院する際には著しいストレスを感じるかもしれません。国公立病院の医師はある程度英語を話しますが, 看護師や受付職員との対応にはルーマニア語が必須です。ブカレストや一部の地方都市では, 近年,新しい私立病院・クリニックが増えて来ており, 24時間体制で初期救急対応を行っている病院もあります。これらの病院では多くの部署で英語が通じます。

 しかし, 国公立・私立病院ともに, 大きな手術や重症管理には十分対応できないと考えられますので, その場合, 近隣の医療先進国または本邦への移送が推奨されます。当地滞在時には必ず緊急移送特約付きの海外旅行傷害保険に加入してください"*1

だが「ラザレスク氏の最期」のテーマとは少し離れるが、医療システムの被害者は患者だけではない(とは思えないほど本作の医師たちの描き方には悪意がある)。医者や看護士たちも苦境に追いやられているのだ。この状況について国民健康保険議会(CANS)のトップであるCristian Vladescuはこのように語っている。"悪循環が起こっているのです。ルーマニアの医師たちは命を救うことにおいてプロ意識と効果的な処置を求められる、それは西欧でも同じですが、違うのは前者が些末な存在として国に扱われ賃金も低い点です。ルーマニアEUに参加し医者たちがより良い待遇を求めて国を去るようになり悪循環は致命的なものになりました。西欧で好待遇の仕事が提供されるる限りその状況は続くでしょう"

更にVICEに掲載された"ルーマニアの医療制度は破綻、医者たちもこの国を去っていく"という記事には5年間で1万4000人もの医者が国外へ流出したという驚きの数字と共に、苦しい状況に置かれる医療従事者たちの怒りや嘆きが多く綴られている。幾つか抜粋していこう。

"給料が驚くほど少ないですし、患者の家族たちや社会それ自体が私たちを尊重してはくれません。それなのに万全の状態で仕事に臨むことも出来ず不満が溜まるばかりです"

"楽観的ではいられません。私の将来を表すにうってつけな言葉は"恐怖"です。ルーマニアで学生をしているというのは不運としか言い様がありません。私たちはこの苦境と折り合いをつけるか此処を去るか選ぶしかないんです、どちらにしろ辛い選択です"

"こんな経験があります。ある時、手袋が必要になったので看護士に渡すよう頼んだのですが、彼女は片方しか渡してくれませんでした。「片方だけでちゃんと仕事が出来ると思ってるの?」と私が聞くとこう言ってきました。「それでどうにかしてもらうしか。手袋だってお金がかかるんですから」"

こういった想像を絶する医療制度の腐敗を背景に「ラザレスク氏の最期」は展開していくのだが、その中で作品の良心を一手に担うのが救急隊員のミヨアラだ。彼女はラザレスク氏に親身に付き添い続け、不誠実な態度を取る医師や看護士たちに義憤を抱く。演じるルミニツァ・ゲオルギュは、日本においては「私の、息子」の母親役でお馴染みだろうルーマニアの新たなる波を代表する俳優(プイウの前作・次回作にも出演)だが、良心を以て職務を全うしようと奔走する姿はこの作品唯一の救いとして胸を打つ。

だがラザレスク氏もミヨアラも体制の前ではちっぽけな存在でしかなく、個はシステムによっていとも容易く捻り潰される。「ラザレスク氏の最期」はそんな光景を異様なまでの丹念さと窒息するほどのリアリズムによって、一切の容赦すらなしに描き出す。病院をたらい回しにされる内、ラザレスク氏は瞬く間に衰弱していき、最初はハキハキと自分の名前を口にしていたのにその声は憔悴の中で痛ましいまでに掠れていく。余りにも憐れで、言葉すら絶する状況、私たちはいつしか監督の中には怒りを越えて故郷に対する圧倒的な絶望が存在していることに気がつく筈だ。1度腐敗のシステムに巻き込まれたが最後、人々は惨めたらしく殆ど誰にも省みられることもないまま打ち捨てられる、ルーマニアという国の如何ともし難い救えなさ。「ラザレスク氏の最期」は私たちにいつか来たる黙示録を見定めさせる、それは命の終りであり、世界の終りであり……

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
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その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源

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その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
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