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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
ルチアン・ピンティリエのデビュー長編についてはこちら参照。

さて、ルチアン・ピンティリエ特集第2弾である。40年代の政治闘争に当時のルーマニアに広がっていた不穏な状況を託したデビュー長編“Duminică la ora 6”が製作された後、ゲオルギュ=デジの後を継いでニコラエ・チャウシェスクが最高権力者の座に就くこととなった。しかし当初チャウシェスクは対ソ連、親西側ブロックという政策体制を取り、ルーマニアという国家には自由の気風が吹き荒れることとなった。そしてそんな状況であったからこそ、ピンティリエは隠喩などに頼らず真正面からルーマニアの病巣を描き出す作品作りに取り掛かる。その末に完成したのが、後にはルーマニア映画史において最も偉大な作品と称される彼の第2長編“Reconstituirea”だった。

シナイア地方ののどかな田舎町、この町の酒場に映画の撮影クルーがやってくる。とはいえ殆どの人間は実際映画に携わってはいない。見てくれも態度もオーソン・ウェルズ並みだが特に映画の知識はない“検事”(George Constantin)に、彼に腰巾着さながら連れ添う部下のドゥミトレスク(Ernest Maftei)、そしてヴイカとニク(George Mihăiţă&Vladimir Găitan)という町のチンピラ2人にその他諸々。彼らの目的は映画撮影ではあるが、普通の映画を撮影しようとしている訳ではなかった。

さて、そもそもの始まりは、先日ヴイカとニクがこの酒場で繰り広げた事件だ。酒に酔った彼らはひょんなことから喧嘩を始めコップを割るわ、店主の頭をカチ割るわ、遂にはヴイカが川で溺れて死にかけるわと大騒ぎ。ヴイカたちは即刻逮捕されるが、刑務所にブチ込まれる代わりにある計画に担ぎ出される。“検事”たちはヴイカたちに酒場での事件を再演させ、この映画を様々な場所で流すことで、若者たちにアルコールの危険性を啓蒙しようとしていたのだ。そして長い長い撮影の1日が幕を開ける。

今作はいわゆる映画撮影の舞台裏を描き出したモキュメンタリー的な作品だ。だがアメリカの夜にしろ「リビング・イン・オブリビオン」にしろ何にしろ、映画の中で描かれる映画撮影がスムーズに行く訳もない。撮影中は全く馬鹿なドタバタの連続だ。チンピラたちは当然非協力的で演技もせずにふざけまくるし、いざちゃんと撮影出来たと思えば町民が映りこんで全部台無し、機材も上等なものではないようで何度もメンテナンスせざるを得なくなり、すぐ終わると思われた撮影はどんどん伸びていく。

登場するキャラたちも無駄にキャラ立ちしている存在ばかりだ。こんなんやってらんねー!と小学生のガキさながらふざけまくるチンピラ2人組、偉そうな口を叩きながらも自身は川でゆっくり過ごす“検事”、その間で奔走するドゥミトレスクには中間管理職の悲哀が滲み、途中で乱入してくる老人パヴリユ(Emil Botta)は撮影を非人道的と罵りながら酒を呑みまくる。中でも印象的なのは名もない1人の“お嬢さん”(Ileana Popovici)だ。シェリー・デュヴァル然とした彼女はビキニを着たまま撮影クルーの回りをウロチョロし、消えたと思えば唐突に現れと神出鬼没な存在感を魅せてくれる。

彼女については歴史的な注釈が加えられるかもしれない。彼女はソニー&シェール"Little Man"ビージーズ"One Minute Woman"ポップミュージックと共に登場するが、これは当時のルーマニア情勢を反映していると言える。1965年、チャウシェスクが第1書記に就任した後のルーマニアはいわば宗主国だったソ連を脱して、独自路線を行く政策を取っていた。民主化を潰すためにチェコへと侵攻したソ連を公然と批難したチャウシェスクは西側諸国から称賛され、自由化の道を歩んでいくことになる。この時西側、特にアメリカの文化が流入し、ルーマニアは自由の気風が吹き荒れるが、いわば“お嬢さん”の自由さはこの情勢に根を張っているのだ。

という訳で“Reconstituirea”にはピンティリエ監督の前作“Duminică la ora 6”にはない自由さと笑いが溢れている。だがあの作品に見られた不穏な影が唐突に顔を出す瞬間もまた存在している。それを象徴するのが田舎町に響き渡る音の数々だ。例えば冒頭、酒場にやってきた“検事”の車からクラクションが止まらなくなるというハプニングがある。耳をつんざく凄まじい騒音は部下たちにも止められないまま響き続け、酒場の音楽もヴイカたちの声も全て押し潰していく。いつしか車じゃなく自分の耳がブッ壊れたのではないか?と思える頃やっと止まりながら、あの残響は全編通じて響く。線路を踏みにじるように進む列車の轟音、テレビから聞こえてくるサッカー会場の歓声。それらは絶えず撮影現場に紛れ込み、混乱をもたらしていく。それでも撮影は続く、続く、続く……

だが、日本ではプロパガンダ映画、特にルーマニアのそういった映画については余り馴染みがないだろう。ということでここから少し、今作の背景をある1作のプロパガンダ映画を通じて探っていこう。この時代においてルーマニアでは、他の社会主義国家と同じく映画は国家が国民を啓蒙するための道具として使われていた。素晴らしきルーマニア、この素晴らしきルーマニアに忠誠を誓いましょう、模範的市民として生活しましょう、アルコールは人の心を乱すので呑むのは止めましょう、犯罪を犯し国の秩序を乱す者はこういった報いを受けます、国家はこうして市民の安全と平和を守っているのです……云々かんぬん。これが映画館やテレビで四六時中流され、国民を啓蒙aka洗脳していったのだ。

そんな内容な訳で今から観て面白いはずもなく、殆どのプロパガンダ映画は映画史の闇へと消えていったが、数奇な運命から今にまで語り継がれることとなった一作が今から紹介する1960年製作のVirgil Calotescu監督作“Reconstituirea”だ。そう、この作品は題名が先述の映画と全く同じなのである。冒頭は社会主義国ルーマニアの繁栄が大仰なナレーションで謳われ、小学生がアルファベットを習う姿を映しながら“新しい人民”の誕生を言祝ぐ。だがしかああああしそれに反旗を翻す不穏な輩がルーマニアは跋扈しているのだ!とばかりにデデーンと“Reconstituirea”という題名が現れる。

主人公はとある6人の悪党、彼らはルーマニア中央銀行を襲撃する計画を立てていたのだが、今作ではその過程が丹念に描かれる。会議に現場視察に武器調達にと色々描写が続くが、これが退屈も退屈だ。俳優陣は全員エグいほどド下手で、台詞を読まされている感が半端ない。一周回ってブレッソン映画の登場人物みたいなことになっている。展開も一本調子でスリルもクソもない、まあプロパガンダ映画でスリルあったらReefer Madness”みたいにむしろ犯罪行為をする若者が多くなる可能性があるので、これはこれで正しいのだが。

そして一応悪党は強盗に成功するのだが、市民の通報や裏切り者の密告のせいで逮捕と相成る。通報シーンなんかはもうどこからどう見ても模範的市民といった感じの人物が清く正しく秘密警察セクリターテに電話をかけ、この人を見よ!とナレーションで強調してきたりと何か笑える。更に首謀者が逮捕される場面では、彼がレコードで音楽に耽っている姿が映し出され、逮捕された後にはむなしくレコードの束が映る……という西側諸国の文化は悪だ!それに耽溺する人間はすべからく悪!という価値観がバリバリで興味深い(ここから約7年でアメリカのポップがガンガン流れるまでになる、そして更に数年でこの状態に逆戻りする)ここからは延々と裁判を描く。どういう動機で強盗を行ったのか、使った武器は何だったのか、悪党がただただ延々と証言し、最後にはこれで悪党は裁かれました!ルーマニアの平和は守られました!社会主義万歳!社会主義万歳!となり終わる。これが60分続く訳で、べティ・ペイジバーレスク映画観てた方がまだマシというものである。私のような極度のルーマニア映画好きにしか今作はお勧めしない。

が、重要なのはこの“Reconstituirea”の背景にある。映画に出てきた6人の悪党、実は本物の犯罪者集団なのだ。1958年7月28日、ヨアニード兄弟率いる6人はブカレスト国立銀行の輸送車を襲撃し160万レイを強奪した容疑で逮捕されたのである。秘密警察に拘束された彼らは、おそらく減刑と引き換えにプロパガンダ映画“Reconstituirea”に本人役で出演することになる、そりゃ誰も演技が下手くそな訳である。これだけでもエグい流れだがその後は更に不気味だ。“Reconstituirea”共産党内でお披露目される一方、6人は映画出演の努力も空しく1人を除き全員が死刑となり事件は幕を閉じてしまったのである。それ以外にも実はこの事件がセクリターテの自作自演だったかもしれないなど興味深い要素が多いが本筋から逸れるゆえ、事件の詳細が記されたこの日本語サイトを参照して欲しい(そして読んだ方はもうお分かりだろうが、この事件を元にルーマニアの国民的映画監督ナエ・カランフィルマーク・ストロング主演の“Closer to the Moon”を製作、2015年のゴーポ賞作品賞を獲得している)

長々と説明したが“Reconstituirea”にはこういったプロパガンダ映画製作の背景があるのである。原作を執筆&共同脚色を担当したHoria Pătraşcuは、故郷のカランセベシュでその撮影クルーとして実際の現場を目撃していたという。それは殆ど犯罪者たちを衆目の目に晒す見せしめのようであったと語り、その実態を告発するために作品を産み出したそうだ。ちなみにここまで来てなんだが、ピンティリエの“Reconstituirea”プロパガンダ映画版“Reconstituirea”に題名が同じという以外に特別な関係はないらしい(だがピンティリエらが今作の存在を知り、あてつけで名付けた可能性は大いに有り得る)

そしてプロパガンダ映画において、とても重要視されている要素がリアルさだ。映画を撮影する前にドゥミトレスクがヴイカたちにこんなことを言う。“あの時コップを割っただろう、ならコップを割るんだ。あの時歌ってただろう、なら歌うんだ。ただし心を込めてやるんだ。リアルにやるんだ、リアルを装うんじゃなくてな”……そして撮影クルーはリアルを追求しようと四苦八苦する姿が描かれる訳だが、観ているうちに私たちは“そんなこと可能か?”と思うだろう。あの時起こったことを一挙手一投足そのまま完全に再現するなんて可能か?例え出来たとしてそれを行っていた時に心に浮かんだ感情を再現するなんて可能か? 考えれば考えるほど禅問答めいてくるが、この答えは決まってる、全く以て無理なのだ。それでもリアルを追求しその度に妥協しそれでもリアルを追求しその度に妥協しと、これを繰り返し撮影は延々と続く。このプロパガンダ製作のアホさ加減を今作は痛烈に描き出すのだ(そしてこの禅問答的なリアルの追求は、半分批判的な、半分結構マジな形で“ルーマニアの新たなる波”の作家たちに継承されていくこととなる)

だがこの終わりなきリアルの追求は、必然的にヴイカたちを追いつめていく。彼らは最終的にあの時繰り広げた暴力までも“再演”せざるを得なくなる。私たちはある時に目撃する、アクション、地に伏して倒れるヴイカ、何で俺のこと殴ったんだよぉ、アクション、地に伏して倒れるヴイカ、何で俺のこと殴ったんだよぉ、アクション、地に伏して倒れるヴイカ、何で俺のこと殴ったんだよぉ、アクション、地に伏して倒れるヴイカ、何で俺のこと殴ったんだよぉ……否応なく繰り返される“再演”は滑稽を越え、不気味なる不条理へと至る。人々の運命がその人の手からすり抜け、大いなる社会主義によって握られる瞬間を私たちは目撃することとなるだろう。“Reconstituirea”ルーマニアの忌まわしい一時代が黒い笑いと共に、深く刻みつけられた一作なのだ。そして今作が余りにもルーマニアの宿痾を鋭く描きすぎたからだろう、ピンティリエは今後20年まともに映画製作が出来ない状況に追い込まれることとなる。

ルーマニア映画界を旅する
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