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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景

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ゼロ年代より以前、女性監督というものは極端に少なかった。だがその映画産業の規模に比べて、ルーマニアには割かし多くの女性監督がいた。外国人の私ですら4人も名前を挙げられる。子供映画の名手Elisabeta Boștan エリサベタ・ボシュタン、アントニオーニの後継者Malvina Urșianu マルヴィナ・ウルシアヌルーマニアの職人監督Cristiana Nicolae クリスティアナ・ニコラエ、そしてもう1人がたった1本の長編を残して映画界から姿を消したAda Pistiner アダ・ピスティネルである。今回はそんなPistiner唯一の長編映画"Stop cadru la masă"を紹介していこう。

今作の主人公は中年男性フィリップ(Aleksandr Kalyagin)である。彼は建築士として名を馳せ、娘のドリナ(Estera Neacsu)や妻のクララ(Dorina Lazăr)に囲まれて幸せな家族生活を送っていた。だがその裏側で彼は自分よりもずっと若い、デザイナーの女性ヌサ(Anda Călugăreanu)と不倫をしていた。彼は自分の素顔を隠しながら、そんな二重生活を送っていたのだ。

Pistiner監督はドキュメンタリー畑出身ゆえに、その演出はリアリズムを指向したものである。虚飾などは一切なしに、彼女は家庭生活の平凡さやブカレストに広がる日常を淡々と描きだしていく。その淡々さが静かに積みかさなっていくことで、80年代のルーマニアに広がっていた真実性が立ちあらわれてくるのである。

フィリップは秘密が妻にバレそうになるのも気にせず、二重生活を享受する。時には仕事の合間に、近くの砂浜へと赴き、寝転がりながらヌサと愛を語りあうのである。その果てに彼はとうとうヌサとの同棲を決め、クララたち家族を捨ててしまうのだった。そんな状況に追いこまれたクララは独りで娘のドリナを育てることを決意するのだが、その道は険しいものだった。

その意味でフィリップは第1の、クララは第2の主人公と言えるが、第3の主人公はブカレストという都市それ自体であるだろう。撮影監督のAnghel Deccaはこの魅力的な都市の光景を豊かに切りとっていく。人々がひしめく色とりどりの市場、古さと新しさが共存する瀟洒な通り、どこか心地よく弛緩した雰囲気の漂う砂浜。そういったものが印象的に切りとられているのである。

80年代はルーマニアにおいてはチャウシェスク政権の末期であり、貧困が国全体に蔓延していた。それを反映してか、映画自体もかなり規模が縮小していく(もしくは反体制的な作家は追放されるか検閲の犠牲になる)印象であり、今作もそういう意味では登場人物の半径5mだけを描く小さな映画だという印象を受ける。

それをカバーしているのが脚本である。今作はルーマニアの家庭生活、特にインテリ層の日常の風景を描きだそうと試みている。知識階級の独善的な自由さ、その裏側で犠牲になる女性、そういった現実が綿密に書きこまれているのだ。さらにそこに絡みあってくるのが男女の機微というものである。妻がいながら若い女性を愛してしまう男性の身勝手さ、その身勝手さに翻弄されながらそれを受けいれてしまう社会的抑圧に押しつぶされる女性の心……

今作の脚本を執筆しているȘtefan Iureș共産主義下のルーマニアにおいて、社会主義リアリズムの旗手として名を馳せた詩人、小説家である。そして今作は彼の長編小説"Plexul solar"を映画用にIureș自身が脚色したものだ。ちなみに映画に関わったのはこれ1本だけである。

そして注目すべきなのは今作でフィリップを演じているのはロシア人俳優のAleksandr Kalyaginである点だ。この頃ルーマニアソ連の関係性は特に良くはなかったが、どういう訳か彼は他のルーマニア人俳優を差しおいて主演の座に就いている。別にルーマニア語が喋れる訳でもなく、俳優のMarin Moraruが吹替を担当している。とはいえ、中途半端にハゲた何とも哀愁ある風体は今作で味のある雰囲気を醸しだしている。こんなうだつのあがらない風貌の中年男が不倫して家族に迷惑をかけているというのも、なかなかにリアルでそれは万国共通のものかと思わされる。

"Stop cadru la masă"とは日本語で"食卓のスナップ写真"である。それが意味している通り、今作は共産主義末期のルーマニアにおける家族の行く末の瞬間瞬間を切りとっていった魅力的な作品である。監督のPistinerがこれ1本だけを残して、ひっそりと映画界から姿を消したというのは何とも寂しいところである。

最後に少しだけAda Pistinerの経歴を紹介していこう。Pistinerは1938年3月14日に地方都市の1つヤシで生まれた。ブカレスト大学では哲学を、I.L.カラジャーレ演劇映画大学では映画製作を学んだ。そしてドキュメンタリー作家として"Muzeul Storck""O echipă de tineri și ceilalți"などを製作、話題となる。そして1982年には"Stop cadru la masă"を完成させ、批評的に大きな成功を収める。しかしこの頃活躍できた女性作家は限られており、彼女は道を閉ざされてしまう。そして1986年から89年までイスラエルに亡命していたが、ルーマニア革命後、故郷に戻ってくることになる。そしてドキュメンタリー作品"Protecția cui?""Un an ceva mai lung""Performance""Contemporani în București"などを残すのだが、大きな結果を残すことはできず、今に至っている。

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