金属音のリフレイン。その内に現れるのは、ナイフの刃を遊ばせる男だ。その隆々たる筋肉には雄々しき刺青が刻まれている。その男、ルーク(ライアン・ゴズリング)を呼ぶ声が響く。ルークは無言を返答として、服を持ち、部屋を出る。
喜びの狂想が極彩色の光として、人々の声として彼の前に広がる。だがルークがそれらに何を想うのか、カメラはただ彼の背中を映し続けるだけだ。
筋肉が脈動する赤銅色の肉体、袖の無い真黒いシャツ、白い汚れが目立つ、着古したのだろう赤いジャケット。歩むと同時に服を着ていく様が淡々と映し出されていく。やがてルークはとあるテントの前に辿り着く。熱狂の観客たちに迎え入れられ、彼は舞台に躍り出る。ルークがバイクに跨ったその時から、ショーは始まる。そして大いなる宿命の物語がその幕を開く。
このショーン・ボビット(「SHAME」「ヒステリア」)のトラッキングによる長回しより始まる「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」。悲哀、葛藤、怒り、そして宿命を背負い歩いていくルーク、エイヴリー(ブラッドリー・クーパー)、ジェイソン(デイン・デハーン)たち、ボビットが映し出す三つの背中は劇中において、ともすれば執拗にと表現できるほどに何度も現れる。そう、この映画は背中こそ最も雄弁に思いを語る映画だ。
ルークは、ロミーナ(エヴァ・メンデス)とそして息子のジェイソンを養うために、銀行強盗という罪に手を染める。そんな彼の体は塵埃に汚れきっている。おそらくは彼自身それに自覚的――ジェイソンを抱く時、手を擦り汚れを落とすあの場面――なのだろう。だがその姿は全編変わる事がない。汚れたルークの背中には、ジェイソンたちを守ろうとする誇りが、それと同時に言い知れぬ悲哀さえも満ちる。だがその背中の意味が決定的に変貌を遂げるシーンがある。
銀行強盗で得た金でプレゼントを買い、ロミーナの家に勝手に上り込む場面だ。招かれざる客である彼は、ロミーナの現夫フィー(マハーシャラ・アリ)に詰め寄られた末に、彼の顔面を殴りつけてしまう。ルークは苦しむコフィーを尻目に、ジェイソンを抱いて階段を下りていく。映し出されるその背中にはままならぬ怒りがあった。そして誰に抱かれても泣く事を止めなかったジェイソンは、ルークの胸で初めて泣く事を止めていた。
最後に映し出されるのは、妙に落ち着いたルークの表情、そしてルークに抱かれるジェイソンの背中だ。汚れた手が触れるその背中、ルークの怒りはジェイソンへと受け継がれいく。
この事件をきっかけにルークは狂気の闇へと真っ逆さまに堕ちていく。
闇より昏い黒のバイクに跨り、破滅の道を激走するルーク。その背中を捉えた第二の主人公がエイヴリーだ。彼はルークを射殺してしまったことで、良心の呵責に苛まれながらも、否応なく警察の暗部と対峙することとなる。彼の背中には葛藤がある。再びのトレッキングによる長回し撮影は、青いジャージを着たエイヴリーの背中を追う。彼は負傷した足を引き摺り、警察署に凱旋する。所内の仲間たちから祝福されながらも、エレベーターに乗り一人になった彼は苦悩を隠す事が出来ない。
その最中、エイヴリーは事件の証拠品となる、ルークの背負っていたリュックからある物を見つける。それは写真だ、ルークとロミーナ、そしてジェイソンが映った、一つの家族のいつか有り得た追憶。彼は殺めてしまったルークを想い、そして彼が遺していった者たちを想う。彼の震える背中に、ある決意が宿る――
そして物語は第三章に至る。
1,2章より15年の歳月がたち、17歳になったジェイソンが第三の主人公となる。
彼はロミーナとコフィーの下で育つが、非行に走り問題児と成り果てる。だが一人の少年AJ(エモリー・コーエン)との出逢いをきっかけに、自分の本当の父親とは一体何者なのか? それを見つめ直すこととなる。そして父の背中を追う内――その時彼が背負うリュックの黒さ、それはルークが好んで身に纏い、そしてバイクをも染めていたあの黒だ――AJの父こそが父親ルークを殺した張本人であると知り、あの時受け継いでしまった怒りがギラついた黒を以て暴走を始める。
暴走の矛先、15年、正義の在りかを探し求めたエイヴリー、背広を鎧の如く纏う彼の背中に、もはや葛藤は微塵も存在しない。だが歳月は彼から何かを奪っていった。そしてその歳月こそが、ジェイソンという少年の体を狩りて、彼に最後の復讐を遂げようと迫る。
据えられる銃口と少年の瞳、犯してしまった罪の耐えられない程の重さを知り、彼の背中は震える。しかし歳月は同時にエイブリーに言葉をも与えた。ジェイソンの父を殺してしまった後悔が、彼の口から滔々と流れていく。それを聞いて、ジェイソンはどうやって復讐を遂げれば良かったのだろうか。どうにもならないままま、ジェイソンはエイヴリーに背を向けて、その場から逃げ出す。息を切らし、走り続けた彼がその果てに観る物……
劇中、ほんの束の間に挿入される空撮シーンがある、森の中の道路、ルークはバイクでその道を駆け抜ける、おそらく5秒にも満たなかった場面がある。そして第三章、彼の息子であるジェイソンが自転車で同じ道を駆けるシーンがある。二人の人間、二つの時代、父と子が交わり合うあの瞬間、全てが二つの背中に収斂していく瞬間、あの背中の美しさが、堪らなく私の胸を打つ。
500ドル、バイクの値段。
ジェイソンは殆ど何も言わずに、男に金を渡すと、すぐさまバイクに跨り走り出す。
「乗れるのかい!」
呼びかけに言葉は無い、カメラにも彼の走る姿は映らない、だがぎこちないエンジン音が言葉の代わりなのだろう。
その内に、しかし、現れる小さな背中。微かに見えるそれは、均衡を取り戻したエンジン音を高らかに響かせ、どんどんスピードを上げて、そしてすぐに見えなくなった。
エモリー・コーエンのムッティムティさと、デイン・デハーンのジャッキジャキさ
えっ、パトリシア・クラークソン出演してたかって?してませんけど?丁度プビヨンパのプレミアに来てて、写真撮られてたから。ていうか私パトリシア・クラークソン好きだから、載せてるだけですけど?悪いですか?