シルヴァーノ・アゴスティ、エトガル・ケレット、マイケル・クライトン、西川美和、ジョン・セイルズ、ミランダ・ジュライ……ここに挙げた人々の共通点は何か、それは“映画監督でかつ小説家でもある”ってことだ。さてヴェネチア国際映画祭特別編その8、今回紹介するのはチベットの小説家であり映画監督でもあるペマ・ツェテンと彼のオリゾンティ部門出品作"Tharlo"だ。 ……とまずこの前文を書いてから調べてみると、ペマ・ツェテン監督、その映画のほぼ全てが映画祭で公開されており、しかも「 ティメー・クンデンを探して」という短編集が日本でも翻訳されていた。なのでネットを探せば彼のプロフィールは幾らでも転がっているという訳である。もう既に日本語で紹介されている事柄について、私がこのブログに書くことくらい不毛なことは(私にとって)ないので、紹介は飛ばして、早速レビューの方、行ってみよう!
羊飼いのタルロ(Shide Nyima)はチベットの山間で何百匹もの羊を育てながら、独りで暮らしていた。ある日彼は警察に呼ばれたかと思うと、署長から、君はIDカードをもらっていないな?とそう聞かれる。タルロにはIDカードが何なのか、IDカードを何故持つべきなのか分からないが、とりあえず必要は必要らしい。ということで彼はIDカードに付ける写真を撮るため、可愛い子羊を連れて久しぶりに町へと出掛ける。
冒頭、署内のシーンから顕著なのだがペマ・ツェテン監督は長回しがものすごい好きだ、しかも使い方が頗る上手い。カメラは固定、レンズは壁に平行、カット割りは禁欲的に、ゆったりと流れる時間を――長い時は10分ずっと!――そのまま撮しとることで、様々にタルロの人生の移り変わりを描き出す。
序盤、タルロの道中はとてもゆるゆるで可笑しみに満ちている。写真館に行ってみると、夫婦が記念写真を撮っていて順番待ちをする羽目になる。背景の何だか安っぽい幕は天安門になったり、ニューヨークになったり、そんな幕の前で真剣な顔する夫婦の姿はどこか笑えてしまう。やっと自分の番になったらカメラマンにその頭ボサボサすぎといちゃもんを付けられ、向かいの床屋で頭を洗い、頭を洗ってくれた店員(Yangshik Tso)と仲良くなり、写真屋に戻ったらまた順番待ちをする羽目になり……何故だか目的を果たせないでタルロがふらふらする様は、ゆるゆるなユーモアに溢れたカフカみたいで、頬が緩むのを押さえきれなくなる。
だけどもホント何故だか仲良くなった床屋の店員な女性とカラオケに行くあたりからちょっとずつ何かが変わっていく。小さい頃から羊飼いとして孤独な生活を送っていた彼は、女性との接し方が分からず個室でどぎまぎしたりする。自由な彼女はそれを分かってタルロをおちょくったり、音痴な声でラブソングを歌ったり。監督はその光景を優しいまなざしで見つめながら、だけど何だろう、心が締め付けられるような、そんな。そして舞台はいつの間に彼女の部屋の中、そこで2人の抱えていた孤独が徐々にあらわになり、何でこんなに切なさを感じるのかが分かってくる。「こんなところ、もういたくない、だから私と一緒に」「……もう、行かなくちゃいけないんだ」2人は立ち上がるがカメラは動かない、彼らの顔はフレーム外に見切れてしまうが、そこでこそ溢れる思いがある、監督はそれをスクリーンに滲み渡らせる。
家に戻ったタルロを待つのは変わることのない羊飼いとしての生活だ。人里離れた岩深き山間、鳴きわめく羊たちをなだめ導く様は、大自然の雄々しさをそのまま切り取った崇高な絵画のようだ。ゆるやかさを伴っていたツェテン監督の眼差しはここで険しさを帯び始め、家で酒を呑みながらラジオを聞くタルロの孤独は皮膚を突き刺すような痛みすら感じられる。そしてある痛ましい事件が起きてしまった時、タルロは1つの決意をする。ここから序盤からは想像できないほど悲壮に、物語は綴られてゆくこととなる。
ツェテン監督はこう語る。“塔洛の経験は、中国西部に住む多くの若者の現状を反映している。彼らは、体験したことのない現代文明に魅力を感じるものの、どうしたらいいか分からない。また、未知の生活を求めるものの、元の状態や伝統文化に対する思いを心にしまっておくことはできず、自分を見失ってしまう若者もいる”*1
"Tharlo"はチベットで時代が移り行く最中、過去に取り残されようとしている人々の寂しさを丁寧にすくいとる。ペマ・ツェテン監督のことはかぶんにして知らなかったが、世界の映画を観てきて、今のトレンドはどの時代にも増してシャンタル・アケルマン監督の「ジャンヌ・ディエルマン」に代表されるPlanimetric Shotをいかに使いこなせるかだと思っていて、それを使いこなす監督の中でもトップレベルの熟練度だと思った。世界を箱庭的に描くためにも、敢えて大自然の広がりを際立たせるためにもどうこのショットを使えばいいか完全に熟知している印象を受けた。 ツェテン監督は世界の最先端を行く本当に素晴らしい監督だと思う、今後の活躍に期待[A]
私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
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その17 Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で
その18 Ramon Zürcher&"Das merkwürdige Kätzchen"/映画の未来は奇妙な子猫と共に
その19 Noah Buchel&”Glass Chin”/米インディー界、孤高の禅僧
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その21 アンドレア・シュタカ&"Cure: The Life of Another"/わたしがあなたに、あなたをわたしに
その22 David Wnendt&"Feuchtgebiete"/アナルの痛みは青春の痛み
その23 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その24 Lisa Aschan &"Apflickorna"/彼女たちにあらかじめ定められた闘争
その25 ディートリッヒ・ブルッゲマン&「十字架の道行き」/とあるキリスト教徒の肖像
その26 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その27 ハンナ・フィデル&"6 Years"/この6年間いったい何だったの?
その28 セルハット・カラアスラン&"Bisqilet""Musa"/トルコ、それでも人生は続く
その29 サラ=ヴァイオレット・ブリス&"Fort Tilden"/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その30 Damian Marcano &"God Loves the Fighter"/トリニダード・トバゴ、神は闘う者を愛し給う
その31 Kacie Anning &"Fragments of Friday"Season 1/酒と女子と女子とオボロロロロロオロロロ……
その32 Roni Ezra &"9. April"/あの日、戦争が始まって
その33 Elisa Miller &"Ver llover""Roma"/彼女たちに幸福の訪れんことを
その34 Julianne Côté &"Tu Dors Nicole"/私の人生なんでこんなんなってんだろ……ヴェネチア国際映画祭特別編
その1 ガブリエル・マスカロ&"Boi Neon"/ブラジルの牛飼いはミシンの夢を見る
その2 クバ・チュカイ&"Baby Bump"/思春期はポップでキュートな地獄絵図♪♪♪
その3 レナート・デ・マリア&"Italian Gangsters"/映画史と犯罪史、奇妙な共犯関係
その4 アナ・ローズ・ホルマー&"The Fits"/世界に、私に、何かが起こり始めている
その5 アルベルト・カヴィリア&"Pecore in Erba"/おお偉大なる排外主義者よ、貴方にこの映画を捧げます……
その6 ヴァヒド・ジャリルヴァンド&"Wednesday, May 9"/現代イランを望む小さな窓
その7 メルザック・アルアシュ&"Madame Courage"/アルジェリア、貧困は容赦なく奪い取る