ギリシャ、財政破綻を迎えたこの国で、それでも映画を作ろうとする者たちが世界に衝撃を与えることとなる――グリーク・ウィアード・ウェーブ、Athina Rachel Tsangari監督の長編デビュー作"Attenberg"から始まったこの奇妙な波は、ヨルゴス・ランティモス監督作「籠の中の乙女」と"Alpeis"、 Babis Makridis監督作"L"、 Giorgos Servetasの"Standing Aside, watching"と作品が発表されるたび話題を呼ぶ。ベルリン国際映画祭で"Miss Violence"のAlexandros Avranasが銀熊賞を獲得した辺りからは、このトレンドは最早賞獲りの道具となり形骸化してしまったという声も上がり始める、だが私はその意見に同意しない、この後も Syllas Tzoumerkas初監督作"A Blast"やTsangali監督待望の第2長編"Chavelier"、ランティモス監督の英語デビュー作"The Lobster"が世界的に評価され、その独創性は些かの衰えも見せることなく、さらに新たな才能も現れ始めているのだから。ということでヴェネチア国際映画祭特別編その9、今回は新鋭ヨルゴス・ゾイス監督と彼の長編デビュー作"Interruption"を紹介していこうと思う。
ヨルゴス・ゾイス Yorgos Zois は1982年にギリシャ・アテネに生まれた。彼はアテネ教育大学(NTUA)で応用数学・物理学、アテネのStavrakou映画学校とベルリン芸術大学(UdK)では監督業について学んだ、テオ・アンゲロプロスのアシスタントをしていたこともあるらしい。2010年に短編"Casus Belli"で監督としてデビュー、違う場所、違う時間、人々が7つの列に分かれて並んでいる、列の一番前に並ぶ者がもう1つの列の一番後ろへ、それを繰り返し、全てが終わるとそしてまた全てが始まる……そんな謎めいた今作はまずヴェネチア国際映画祭で上映された後、ロッテルダム、パーム・スプリングス、メルボルン、そして東京などの映画祭で上映、本国ギリシャではギリシャ映画アカデミーで最高短編賞を獲得した。2012年には第2短編"Titloi Telous"を手掛ける。そして2015年、ゾイス監督は初長編"Interruption"を監督する。
闇こそがこの映画の始まりだ、その果てしない黒色に淡くぼやけた光が現れる、灯が闇にたゆたう内、その傍らに何者かが見えてくる、どんな人間だか理解する前にカットが変わる、再び灯、しかし傍らには先とは別の人物、そして闇に響くのは仰々しき名前の数々、アガメムノン、クリュタイムネストラ、エレクトラ、そしてオレステス、それはつまりセリフであり、その闇は舞台だ、ギリシャに息づく悲劇を演じるための舞台、劇が進むにつれて俳優たちの装いが露になり、要素要素の解離は露骨になり、観る者の心にポストモダン/脱構築とそんなうんざりするような言葉が浮かぶころ明らかになるのは、俳優たちが透明で巨大なキューブの中で演技を全うしようとする光景、しかし突然舞台の明かりが落ちていく、俳優たちはキューブに閉じ込められ当惑の影が揺れる、そして足音を響かせ7人の若者が舞台へと上がってくる、1人の男がマイクに向かって喋り始める、劇を中断してしまってすいません、ですが、私は昨晩、とある女性と朝まで踊り続けたのです、と。
謎めいた冒頭、現れる"Interruption"(中断)という題名、おそらくこの展開を目の当たりにした人々の頭には疑問符が浮かび上がるだろう、この作品は美しき不条理劇だ、だから残念に思う方もいるかもしれないが、その疑問符を完全に消し去られるのを期待するのはよした方がいい、しかしその不条理に身を任せ流されるままに流されたのなら、心地よい当惑へと辿り着くことができる。
7人のコロスたち、そのリーダーであるのだろう男は観客たちの何人かに舞台へと上がるよう求める。コロスたちに選ばれた観客たちは、舞台の一環だと思い、何の抵抗もなく舞台へと上がっていく。「名前は?」「私はオディセアスといいます」「あなたのお仕事は?」「仕事は弁護士をしています」「どちらがお姉さんでしょう?」「彼女が姉で、私が妹です」「ルカ、俳優というなら、今すぐ泣けますか?」「……とりあえず、やってみます」そんな自己紹介が何人も続き、ある時、男はある問いを向ける。「この状況は現実でしょうか、幻想でしょうか?」1人の女性はこう答える。「現実でしょう、もちろん」
オレステス、オレステス、舞台上の観客はオレステスの神話を――つまり、後ろのキューブに閉じ込められた俳優たちが演じていた劇を再演することとなる。男の指示に従い、最初は笑いが介在する余地のある、何か弛緩した空気の中で彼らは悲劇の道行きを辿っていく。その中でふと投げ込まれるのは「現代の視点から見て、オレステスの復讐、母であるクリュタイムネストラを殺すというのは正しいことでしょうか?」とそんな問いだ。殺人は悪に決まっている……弁護士の観点からいえば……神話はそのようなモラルを越えて存在する……そんな議論は男の一存で乱暴に中断させられ、オレステスの復讐の一幕は始まる、セリフを口にするうち彼らは否応なく役に入り込んでいく、そしてオレステスを演じるルカの手には本物の銃が握られている。
舞台で繰り広げられる不条理劇、ルイス・ブニュエルの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」にそんな光景を映し出されるシークエンスがあった、だがゾイス監督はブニュエルの猥雑さを指向することはない。むしろ彼はキューブリックの偏執的な端正さ、そしてシンメトリーを以て、舞台だけではなく劇場一体を全て巻き込み、不条理を組み上げていく。Yiannis Kanakisの撮影、単音の響きが鼓膜を不気味に揺らすSilvan Cheauveauの音楽、その圧力は私たちをあの観客席に強く押し込む。そして監督が現実と幻想を自在に操り、2つがうねりゆく様をただただ観ていることしか出来ない。しかしそうして翻弄される、不愉快ではない、むしろ脳髄がピリピリと快感の火花を散らすようだ、このまま翻弄され続けたいとそう思うようになるだろう。
舞台は混迷を極めていく。キューブの中の俳優たちは何の前触れもなく解き放たれる、アマチュアとプロの奇妙な晩餐会が幕を開ける、とある観客がトイレに行って排尿するまでの姿が映し出される、ゾイス監督は徹底的に虚実を撹拌し、最後に取り払われる二項対立は、まなざすもの/まなざされるものという対立だ。それは観客/舞台、そして観客/映画であり、この共犯関係は最後にうち響く巨大な音によって美しく不条理な完成を果たす。
もしかすると、この作品を完全に読み解くためにはオレステスの逸話を知っていること、舞台の素養、そして現代ギリシャ史についての知識が必要だろう。だがそれらを排してただ一点“不条理であるということ”その一点だけですらこの"Interruption"は輝きを放つ。そして"Interruption"を以て、ギリシャ神話すら取り込んだグリーク・ウィアード・ウェーヴは新しいフェイズへと移行を遂げたのである[A-]
「籠の中の乙女」でお馴染み、ギリシャで家父長制を担わせたら右に出る者なしのこの方も、舞台上でまごまごする舞台俳優役として出演
参考文献
https://boxoffice.festivalscope.com/film/interruption(紹介ページ)
http://casusbellifilm.com/
http://outofframefilm.com/(短編2作の公式サイト)
私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
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その6 ヴァヒド・ジャリルヴァンド&"Wednesday, May 9"/現代イランを望む小さな窓
その7 メルザック・アルアシュ&"Madame Courage"/アルジェリア、貧困は容赦なく奪い取る
その8 ペマ・ツェテン&"Tharlo"/チベット、時代に取り残される者たち