1964年アメリカで「火星着陸第1号」というSFが公開された。とある事故から宇宙船が火星へと不時着、何とか生き延びた宇宙飛行士の命を懸けたサバイバルが描かれるのだが、謎の鉱物を燃やすと酸素が出てきたり、探検途中に偶然水場を発見したかと思えば、そこで水生植物をゲットし食料確保に成功と、火星ってこんなんだったらいいな〜的な、のほほんとした描写に溢れた作品だった。今作は原題を"Robinson Crusoe on Mars"――"火星のロビンソン・クルーソー"というのだが、この公開から半世紀後、正にこの題名に相応しいSF映画が現れた。それこそがリドリー・スコット監督の最新SF「オデッセイ」だ。
聳え立つ岩山と何処までも広がる赤茶色の砂漠、物語はそんな火星の風景から幕を開ける。メリッサ・ルイス隊長(「欲望のバージニア」ジェシカ・チャステイン)率いるミッション<アレス3>のクルーは、任務のため火星の大地を探索する日々を送っていた。しかしある日彼女たちを猛烈な嵐が襲い、任務は中止に追い込まれる。宇宙船へと撤収しようとするクルーたち、しかし隊員のマーク・ワトニー(「インターステラー」マット・デイモン)が事故により消息不明となり、クルーたちはそのまま地球への帰還を余儀なくされる。しかしワトニーは奇跡的に生きていた。
そうしてサバイバルは幕を開けるのだが、火星には酸素を出す謎の鉱石もなければ、良い感じの水場も良い感じに食欲満たせる水生植物も存在しない、「火星着陸第1号」なんて嘘っぱち、火星は果てしのない死の星じゃないか!……
だがマーク・ワトニーという男は諦めない。火星に科学の恐ろしさ見せたるわ!とばかり、左手にじゃがいも、右手に自分のウンコ、そして心にはユーモアを忘れずサバイバルへと挑む。畑作に適した火星の土を吟味し、水素を燃やして水分を確保、科学の知識をフル動員しながら着実に生きる術を打ち立てる。だがもちろん無様な失敗を遂げることだってある、そんな時だって彼は減らず口を叩き、笑いで自分を奮い立たせるのだ。そんなワトニーをマット・デイモンがさすがの演技力で演じてみせる。この役だと否応なく「インターステラー」のマン博士を思い出さざるを得ないが、こっちはもうポジティブシンキングの塊で、私たちを大いに笑わせてくれる。
そんなワトニーの努力が実を結ぶ頃、NASAの面々も彼の生存を知ることとなる。皆は喜びに湧くが事態はそれほど単純ではない。NASA長官のテディ・サンダース(「帰ってきたMr.ダマー バカMAX」ジェフ・ダニエルズ)や広報代表アニー・モントローズ(「ほぼ冒険野郎マクグルーバー」クリステン・ウィグ)、火星探査の統括責任者ビンセント・カプーア(「キンキー・ブーツ」チウェテル・エジョフォー)らは渋い顔を浮かべながら議論を始める。本当にワトニーは生きているのか、だが火星へどうやって助けに行くのか、もしくは助けるべきでは……
上層部ではワトニー救出についての駆け引きが繰り広げられる一方、現場ではワトニーとの通信手段確保や救出の手だてを整えるため上を下への大騒ぎ。このシリアスとコミカルの入り交じる地上の人間模様の中心となるのが名コメディ俳優クリステン・ウィグ……ではなくチウェテル・エジョフォーなのだ、これが。最近は深刻なドラマばかりの彼だが、上層部と現場に挟まれる中間管理職野郎としてこの事態にウンザリしたり、進展に快哉を叫んだりとそのコメディセンスで観客を引っ張る。彼はこの映画の第2の主人公な訳だ。
そして物語においてリドリー・スコット監督の提示するヴィジョンといったら素晴らしい。「エイリアン」「ブレードランナー」なんてまあいちいちタイトルを挙げる必要もなくSF界の極大巨匠なリドスコ監督な訳だが、今回はとにかく火星とか科学とかも別に知らなくとも、ああこれが今のリアルなのか!と観る者を心の底から信じさせる画力が凄い。プロダクション・デザイナーのアーサー・マックスと共に作り上げた火星に建てられた居住施設の緻密なディテール、ヘルメス号の雄大な姿は見るだけでワクワクを抑えきれない。それでいて監督の盟友ダリウス・ウォルスキーによる撮影は赤く果てしない火星の光景に崇高なまでの美を宿し、期待以上に"こんな場所で本当に生きられるのか?"という巨大な絶望で観客の心を満たす。
そんな場所で私たちの、そしてワトニーの希望を繋ぐのが音楽だ。ルイス隊長が残していった物には膨大なプレイリストがあって、ワトニーは退屈紛れにそれを流す訳だがヴィッキー・スー・ロビンソンの"Turn the Beat Around"やABBAの"Waterloo"など70, 80年代のディスコミュージックばかり。ワトニーはことあるごとにこのセンスひでぇ!と軽口を叩くのだが、あっけらかんとしたビートの数々はワトニーを勇気づける。グロリア・ゲイナーの"I Will Survive"なんか正に彼の決意を示している訳だ。
だがもう1曲だけ重要な曲がある。様々な困難が皆を襲いながらも、ワトニーは火星で、ルイス隊長たちはヘルメス号の中で、カプーアたちは地上でそれぞれの成すべき仕事を果たそうとする。その時に流れる曲こそがデヴィッド・ボウイの"Starman"なのだ。彼らの姿に重なるボウイの歌声は科学の光るある可能性として、私たちの生きる喜びとして響くのだ。
「火星着陸第1号」予告編の冒頭にはこんな言葉が流れる。"この映画は科学的に信頼できます!現実の一歩先を行っているのです!"今見ると思わず笑ってしまうが「オデッセイ」においてはこの言葉が冗談にはならない、だがもしかすると未来の人にとっては冗談になるかもしれない、何故なら「オデッセイ」が高らかに歌い上げるように、科学の進歩はかくも無限の可能性を持っているのだから。