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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

リンゼイ・C・ヴィッカーズ&「アポイントメント/悪夢の約束」/少女の絶望、父の悪夢

私は自他共に認める天邪鬼だ。皆がもう既に観ている映画は観たくない、既に映画史でそれ相応の地位にあり出来が保障されている映画は別に観たくない、少なくとも日本人が多く知っている映画は観たくないし、日本語でレビューが多く書かれている映画は特に何も書きたくない。この気質がまあ自分でも困ったものだと思っていて、ではこれを逆に利用するにはどうしたらいいか?を突き詰めてこの日本未公開映画紹介ブログを書き始めた訳だが、そういう経緯も相俟って旧作は唯一ベネズエラ"Araya"を除きこのブログでは取り上げていなかった。しかし日本ではほぼ紹介されていない知られざる一作を探し出して紹介するというのは、なかなか気持ち良いことでもある訳だ。ということで新シリーズ"たまには昔の映画も観てみよう!"、第1回は英国ホラー史において忘れ去られた異形の一作「アポイントメント/悪夢の約束」とその監督リンゼイ・C・ヴィッカーズを紹介して行こう。

リンゼイ・C・ヴィッカーズ Lindsey C. Vickers は1940年にイングランドのアクスブリッジに生まれた(IMDB情報なので信頼しない方がいいかもしれない)。助監督として映画界に入り、とある弁護士が辿る苦しみの道筋を描いたドラマ作品"Inadmissible Evidence"(1968)を手掛け、そこからはハマープロに所属、"吸血鬼ドラキュラ"シリーズの第5弾「ドラキュラ血の味」、何度目か分からない程のフランンケンシュタインの映画化作"The Horror of Frankenstein"、ドラキュラシリーズ第6弾(一体どこまであるんだって感じだが)「血のエクソシズム/ドラキュラの復活」、考古学者たちが女王の棺を持ち帰って来たことから起こる恐怖を描くホラー「王女テラの棺」、吸血鬼に狙われた村と彼らに戦いを挑む青年の姿を描いたサスペンス「吸血鬼サーカス団」や洋館ホラー「スクリーミング/夜歩く手首」などに携わる。

そこから数年のブランクがあった後、1978年にヴィッカーズはデビュー短編"The Lake"を監督する。若いカップルが湖畔に建てられた屋敷へと赴くが、そこは管理人が家族を惨殺し姿を眩ましたという曰くつきの場所であった……今作は予算28000ポンド、撮影期間11日という小規模な体制で作られた作品で当初はチャック・ノリス主演の「フォース・オブ・ワン」と抱き合わせで公開されたのだという。そして1981年、ヴィッカーズは初めてで且つ唯一の長編作品「ザ・アポイントメント/悪夢の約束」を監督する。

少女サンディは学校でも有数のバイオリニストとして皆に慕われる存在だった。運命の日、友人と別れて家に帰る途中、彼女はふと思い立ち近くの森へと向かう。そこを通り抜けた方がと家まで早く帰れるからだった。しかし森の中で、彼女は自分の名前を呼ぶ声に気づく。恐怖を覚えながらもサンディはそのまま森を行くが、突然何か禍々しい力が彼女を襲いその姿は忽然と消え失せてしまう。残されたのはバラバラに砕け散ったバイオリンの欠片だけだった。

この不可解な失踪事件から3年後が、物語の主な舞台だ。車のディーラーであるイアン(「暗殺指令ブラック・サンデーエドワード・ウッドワード)は妻のダイアン(「高熱怪物の恐怖」ジェーン・メロウ)と娘ジョアン(サマンサ・ウェイソン)と共に幸せな生活を送っていた。だが彼は娘のことで悩みを抱えてもいる。14歳を迎えて思春期真っ只中にある彼女の心を、父親であるにも関わらず彼には理解できなくなっていたのだ。そんな中、彼は仕事の都合で出張へと行かなくてはならなくなるのだが、それはジョアンがバイオリンの腕を見せるリサイタルに参加出来なくなることを意味していた。イアンはそれをどう伝えていいものか分からなくなってしまう。

序盤は家族の何気ない風景が綴られていくのだが、その時点で何者かが忍び寄るような気配をスクリーンの裏側に感じる筈だ。その源はトレヴァー・ジョーンズが手掛ける、不愉快なまでに鋭くがなりたてる音楽にある。物語に絡めたバイオリンの音色が私たちを少しずつ不穏の崖のその先へと追い詰めていく。

イアンは躊躇いながらもジョアンにリサイタルにいけない事を伝える。パパにとって私はもう特別じゃなくなったの?……彼女は無表情のままそう尋ね、いつしか瞳からは一筋の涙がこぼれる。しかし余りにしつこいジョアンにイアンは辛く当たってしまい、彼女は部屋に籠ってしまう。ベッドの上で見つめるのは父と自分が笑顔を浮かべる写真の数々、彼女はそうして涙と共に眠りにつくのだが、これが家族にとって悪夢の始まりだった。

この時から、ヴィッカーズ監督の演出は洗練されながらも謎めいた悪夢的感触に満ち溢れることとなる。深い黒の色彩に包み込まれた邸宅、その周りに現れるのは闇よりも黒い3匹の獰猛な犬たちだ。彼らは家の外壁にまとわりつき、平穏を破り捨てるような鳴き声を響かせる。その響きはイアンをとある情景へと誘う、白く開けた空、山の斜面に広がる緑、彼は幅の狭い道路を車で走り抜ける。監督は此処において全ての存在を不穏なる何かの象徴として描き出していく。後部座席のバッグ、幾つものリンゴ、そして牙を剥く犬たちの存在。その中で彼は、破滅の予感をそこに見出だすこととなるのだ。

そしてこの一種異様な悪夢の感覚を支える重要な要素が音楽の他にもう1つ、それがDoPブライアン・ウェスト(荒野の千鳥足)による陰鬱で眩惑的な撮影だ。固く腰を据えながら目前の光景を撮しとる最中、突然這いずるような早さでカメラが動き始める瞬間がある、その時こそ世界が不穏さに歪み始める瞬間だ。現実が夢に侵食され、闇が彼らの傍らで蠢く。永遠さながらに引き伸ばされた夜にイアンの心は疲弊していくが、彼が体験する全ては何を意味している?そこに映る全ては何を意味している?そういった問いに答えが与えられることはない、私たちはイアンと共にこの状況に当惑する他はない。

そして長い長い夜が明け、朝がやってくる。イアンは予定通りに出張に行くため一人車を走らせることとなる。監督は勿論あの破滅の予感をただ反復させるには終わらない。不気味な予兆をむしろ太陽の光の下でこそ加速度的に膨張させ、悪夢は思わぬ形で現実に結実することとなる。このシークエンスは正にヴィッカーズ監督の類い稀なビジュアルセンスが発揮される瞬間だ、センス的な側面でも技術的な側面でもどうこの映像をここに結実させたのかと驚かされる筈だ。

「アポイントメント」を解釈する上で重要なのが娘ジョアンの存在だ。中盤から彼女の存在は不可解な形で掻き消えていくのだが、それでも物語の中心が彼女であることは間違いない。今作はつまり思春期をテーマとした寓話なのだ。若い彼女/彼らの世界は未だに小さく、親という存在はその小さな世界の大部分を占めている。言うなれば彼女たちは親に依存しながら自分の世界を拡大していく訳だが、この時点において親から否定されることは、例え彼らにとっては些細なことであっても思春期を生きる者にとっては"彼らはもう私を愛してはくれないんだ!"という世界が崩れるような衝撃となりうる。ジョアンはイアンがリサイタルに来てくれないことに涙を流すほど悲しむが、このちょっとした否定はジョアンには全てから見放されたかのような深い絶望として襲いかかり、これが悪夢の源としてイアンを呑み込む。それを理解できなかったイアンの末路は悲惨な物だ。「アポイントメント」は思春期の少女が抱く絶望を特異なビジュアルセンスで以て描く恐るべき作品だ。全てが終わった後ふと現れるジョアンの姿には、しかし絶望の先に広がる更に残酷な断絶が浮かび上がる。

今作を監督後は一切作品を残さず、プロデューサーとして映画作家デヴィッド・G・ホプキンスと共に活動を続ける。1984年には「ウォレス&グルミット」の製作スタジオであるアードマン・アニメーションズが手掛けた戦争を描き出すアニメ短編"Babylon"を製作しオタワ国際アニメーション映画祭で観客賞などを獲得、そして1986年には短編"Death of a Speechwriter"BBCのミニシリーズ"Zastrozzi"を手掛ける。後者はメアリー・シェリの夫として有名なパーシー・ビッシュ・シェリー1810年に執筆した同名ゴシック小説が原作で、現在ではティルダ・スウィントン「カラヴァッジョ」でデビューした直後に出演した作品として有名だ。しかしヴィッカーズ監督自身はこれ以降映画界から姿を消し、現在でも消息は掴めていない。

そんな中、2012年にはBFI Flipsideというカルト映画をリバイバル上映する映画祭で、"The Lake"リバイバル公開され話題を博し、ヴィッカーズの名も再び知れ渡るのだが、それをきっかけとして監督が現れるなどそういうことは全くなく、未だ多くの人々が彼の謎を追っている。だがおそらく、監督は唯一残した長編「ザ・アポイントメント」と同じように謎に包まれたままで居続けるのだろう。

参考文献
http://www.bfi.org.uk/films-tv-people/4ce2ba8070159(BFIのフィルモグラフィ)
http://markgordonpalmer.blogspot.jp/2012/07/shortshock-celebrating-movies-where.html?showComment=1392092042443#c1518165666392366162("The Lake"レビュー記事)

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