鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか

ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
ラドゥー・ムンテアンの略歴および彼の長編についてはこちら参照

今作の主人公はサンドゥ(“Aferim!”テオドール・コルバン)というどこにでもいそうな中年男性だ。彼は会社を共に経営する妻のオルガ(Oxana Moravec)、パソコン依存症な息子マテイ(Ionuț Bora)、そして愛犬であるジェリーと共に、平凡ながら幸せな人生を送っていた。“Un etaj mai jos”はそんなサンドゥの日常で構成された作品と言える。例えば彼が公園でジェリーを訓練する様子、仕事をこなすため辺りを駆けずりまわる姿、マテイとの“パソコンやりすぎるなよ”なんていう他愛ない会話、こういったものが作品の中で浮かんでは消えていくのだ。

だがそんな日常を崩しかねない事件が彼の身に降りかかることとなる。ある時散歩から自身のマンションへ帰ってきたサンドゥは、下の階で繰り広げられる男女の口論を耳にしてしまう。しばらくそれを聞いているうち、中からヴァリ(Iulian Postelnicu)という住民が出てくるのを目撃する。その後、サンドゥは部屋に住んでいた女性が殺害されたのを知る……

“Un etaj mai jos”の基本設定はスリラー/ミステリー映画のそれに酷似している。これからサンドゥはどうするのか?他の映画の主人公がそうであるように、事件へ首を突っ込み事件の真相を探ろうとするのか?倒叙トリックもの的に、犯人であるヴァリのアリバイを崩そうとしていくのか?だがあの凄絶なリアリズムを良しとするルーマニア映画が、そう容易くジャンルの定型を行くと思ったら大間違いである。

むしろ今作の道筋は観客の期待とは真逆の方向を行く。警察には一連の出来事を語らぬまま嘘をつき、家族や住民たちにも何もかもを秘密にしておく。かと言って独自に調査を開始するということもない。そしてサンドゥは全てを腹に納めたまま、以前と同じような”平凡ながら幸せな人生”を送り続ける。探偵役などは御免だとばかりに。

ムンテアン監督は事件が起こった後も、ストイックなまでに日常描写を積み重ねていく。彼は映画としての面白さよりもリアルを追求する。もし事件に繋がる何かを目撃したとして、一般人がわざわざ自分の身を危険に晒す真似をするだろうか。むしろその逆、余計なことに巻き込まれたくないだとか人生に波風を立てたくないというのが自然ではないだろうか。こういった生々しい小市民ぶりと、その臆病さや良心の呵責の中で過ぎていく時を彼は書き込んでいくのだ。

さて、ムンテアン監督の今までのトレードマークと言えば、その長回し描写だった。“Boogie”では10分以上続く長回しの連続によって、大人になりきれない主人公の苦悩や彼を包む空気感を巧みに切り取っていたし、前作「不倫期限」では流麗な長回しを駆使することで、1つの愛の終りを残酷なまでの冷ややかさで描き出していた。だが今作ではその長回しは影を潜め、比較的短いカットが目立つ。武骨、優雅ときて今回は素朴というべきスタイルは監督の成熟の証しとも言うべきかもしれない。

だがそこに不穏な影が兆し始める。サンドゥが事件の犯人では?と疑うヴァリが家族に接触し始めたのだ。彼はマテイのためにインターネットを繋ぎ、そのお礼にとオルガからは昼食をご馳走になる。動揺を隠しきれないサンドゥの姿からは、日常を侵食されていく男の恐怖感が濃厚に滲み渡る。そして彼はある行動に打って出ることとなる……

今作の核は他のルーマニア映画と同じく倫理への問いだ。危険を犯して罪を暴き出すのか、それとも危険を見越して保身に走るのか。私たちはどちらかを選ばざるを得ないサンドゥの姿をこれでもかと眺めることになる訳だが、彼がどちらを選ぶにしろ“Un etaj mai jos”の説得力は揺るがない。何故ならムンテアン監督の確かな観察眼が、人間の心が避けがたく直面する震えを克明に刻み込んでいるからである。

さて2018年、ムンテアン監督は最新長編である“Alice T.”を発表した。今作は奔放な高校生の少女アリーチェと彼女の母との衝突を描き出した作品で、ロカルノ映画祭のコンペティション部門でプレミア上映された後、アリーチェを演じた主演のAndra Gutiが最優秀女優賞を獲得するという行幸に恵まれた。ということで今後もムンテアン監督の動向から目が離せない。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか