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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Gerard Barrett&"Glassland"/アイルランド、一線を越えたその瞬間

さてアイルランド映画である。最近では「FRANK」や2016年度アカデミー賞の有力候補「ルーム」を手掛けるレニー・アブラハムソンや、自身はイングランド出身だがアイルランド人俳優ブレンダン・グリーソンと共に「ザ・ガード〜西部の相棒〜」「ある神父の希望と絶望の7日間」を手掛けたジョン・マイケル・マクドナーらが有名だろう。ということで今回はそんなアイルランド映画界の新鋭Gerard Barrettと彼の第2長編"Glassland"を紹介して行こう。

Gerard Barrettは1987年、アイルランド・ケリー州リストーウェルに生まれた。同郷の有名人には詩人のブレンダン・ケネリー、劇作家のブライアン・マクマホンジョン・B・ケインなどがいる。トラリー工科大学の映画・TV科で学ぶと同時に、ラジオ局にも勤務していた。在学中からアイルランド放送協会で短編を製作、その時の代表的な作品が2009年の"The Valley of Knockanure"だ。192o年にアイルランド独立戦争中のダブリンで起きた"血の日曜日事件"、その事件で犠牲となったIRAの若者3人を追った作品でケリー映画祭で賞を獲得するなど話題になる。

2013年には初長編"Pilgrim Hill"を監督する。主人公はジミーという中年男性、彼はアイルランドの田舎町で牧場を経営しながら病に倒れた父親と共につつましく暮らしていた。しかし日に日に状況は悪化し、ジミーは1つの決断を迫られる……今作が評価されBarrett監督はアイルランド映画&テレビ賞で新人賞を獲得、アイルランド映画界期待の新鋭としてその名を馳せることとなる。そして2014年には第2長編"Glassland"を手掛ける。

長い夜だった、こんな生活もうウンザリだーージョン(マクベス」ジャック・レイナー)の人生は薄暗い影の中にあった。タクシーの運転手として深夜の町を駆け巡り、疲労感の中で昼に目覚め、汚れまみれの食器が積み上がる台所でひもじくシリアルを貪る日々。彼が心を許せるのはたった1人の友人シェーン(「なんちゃって家族」ウィル・ポールター)だけだ。彼とうさを晴らした後には、再びタクシーに乗り込み、深夜の陰鬱な町並みを駆け抜ける。

ある日、彼が仕事から戻ると寝室で母のジーン(「ジャパニーズ・ストーリー」トニ・コレット)が眠っているのに気づく。アルコール中毒の彼女がそうしてベッドに寝ているのは珍しいことだった。しかし様子がおかしい、ベッドに嘔吐物をブチ撒け、呼吸はひどく浅い、異変を察したジョンは動揺しながらも彼女を病院へと運ぶ。医者はジョンに宣告する、このまま酒を飲む生活が続けばジーンは確実に死ぬ、彼女の毎日はいわば緩やかな自殺でしかないと。だが彼には何も出来ない、使い古しのタクシーで闇に包まれた道を走るしか出来ないーー長い夜だった、こんな人生にはもう耐えられない。

劇中、台所でジーンが暴れまわる場面がある。酒はどこにある!一体どこにあるんだよ!と叫びながら、彼女は次から次へ皿を投げ捨て破壊していく。それをジョンは自身の携帯電話で以て無表情のまま撮影する。彼女がこちらに迫ってきてもジョンは動じず、怒りに赤黒く染まったジーンの顔を淡々と撮影し続けるのだが、このシークエンスは"Glassland"のスタイルをある意味で象徴している。Barrett監督は物理的にもそうだが、それ以上に精神的な距離感を徹底しながら彼らの姿を見つめているのだ。忌々しいほど凍てついたダブリンの町、そこに生きる2人のどうしようもない日常の風景、だが観る者の心が彼らの孤独な心に重なりあう感傷的な瞬間を監督は巧妙に避け、観客に第三者としての思索を促し続ける。

このともすれば退屈になりがちな作品を牽引するのが俳優たちの力強い演技の数々だ。まずアルコール中毒の母親を演じるトニ・コレットミュリエルの結婚リトル・ミス・サンシャインなど様々に印象的な演技で以てスクリーンに現れるたび観客の注目を浚っていくが、今回は酒に頼ることでしか生きていくことすら儘ならない女性を熱演している。激しき憤怒の緊張と深き後悔の弛緩を行き交う姿は凄まじいとしか言いようがないが、その中でもSoft Cellの"Tainted Love"をバックに酩酊のまま踊り続けるシーンのその切実さは胸に迫る。そしてたった1人の友人シェーンを演じるウィル・ポールターも光る。映画ごとに違う顔を見せてくれるポールターだが、今回は反抗期真っ只中といった風の意気がったガキを好演、出番は少ないがジョンと彼の交流は凍てついた空気の中で青くもほのかな温もりとして作品に染み渡る。

だが最も印象的な存在は、やはりジョンを演じるジャック・レイナーだ。代表作はトランスフォーマー:ロストエイジということで、こんな低予算インディー映画に顔を見せる驚きはあるかもしれないが、この"Glassland"という映画の空気に相応しい存在というのが始まって数分で解る筈だ。緩慢な自殺を遂げる母親との日々に、感情がどんどん磨り減っていく様を静かに演じ、序盤は動を体現するコレットの受け止めていく。しかし物語が進むにつれ"もうこんな人生耐えられない"という思いは肥大を遂げ、爆発を迎える。死の気配を濃厚に漂わす助手席の母に憎しみと愛を叫ぶ様、母と子の関係性という映画のテーマの大きさを鬼気迫る形で象徴する。

そんな現状の中で、ジョンはジーンを助けられるかもしれない機会を手にする。だがそのためにはタクシーの運転手などでは払えない金額の金が必要だった。物語はそんな状況に置かれた彼の苦悩をやはり観察的なスタイルで追っていくが、この後の展開はある意味で予想できる代物ではある、というか実際iTunesの粗筋にはその内容も書かれている故に、予想という以前の問題かもしれない。だが私としてはもしこの映画を観る機会があるなら、そこは重要なポイントでないにしろそういった粗筋は読まないことを願いたい。

この作品が巧みなのはだ、何かのために人が越えてはならない一線を越えてしまった瞬間、そして自分は一線を踏み越えてしまったのだと悟ってしまった時に込み上げるだろう不安や狼狽、圧倒的な絶望感、いやそういった言葉では説明しきれない感情の発露をある数十秒のシークエンスで完璧に描ききった所にある。その時、あれほど観察的だった撮影は劇的なまでにジョンの静かに荒れ狂う心へ寄り添い、私たちはもう傍観者ではいられないことに気づく、そして今まで自分がいた世界にはもう戻れないことすらも。

"Glassland"アイルランドのゴールウェイ映画祭でプレミア後、シアトル国際映画祭やテッサロニキ国際映画祭などで上映され、サンダンス映画祭ではジャック・レイナーが特別賞を獲得することとなった。彼の最新作はスザンナ・キャラハンの医療ノンフィクション「脳に棲む魔物」の映画化作品"Brain on Fire"だ。ニューヨークタイムズ紙の記者であるキャラハンを襲った神経疾患の体験を描きだしたノンフィクションで、主人公を演じるのはクロエ・グレース・モレッツ、その他にもリチャード・アーミテッジキャリー=アン・モスジェニー・スレイトトーマス・マンタイラー・ペリーなど出演陣も豪華で、話が早すぎるかもしれないが2017年度オスカーの筆頭候補として名も挙がっている。ということでBarrett監督の今後に期待。


参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/barrett-gerard(監督プロフィール)
http://www.joe.ie/movies-tv/5-things-you-need-to-know-about-glassland-director-gerard-barrett/492364(監督についてのトリビア5つ)

ブリテン諸島映画作家たち
その1 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その2 Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は
その3 Carol Morley&"Dreams of a Life"/この温もりの中で安らかに眠れますように
その4 アンドリュー・ヒューム&"Snow in Paradise"/イスラーム、ロンドンに息づく1つの救い
その5 Daniel Wolfe&"Catch Me Daddy"/パパが私を殺しにくる
その6 私が"The Duke of Burgundy"をどれだけ愛しているかについての5000字+α
その7 Harry Macqueen&"Hinterland"/ローラとハーヴェイ、友達以上恋人以上
その8 Clio Barnard&"The Arbor"/私を産めと、頼んだ憶えなんかない
その9 Joanna Coates &"Hide and Seek"/どこかに広がるユートピアについて

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
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その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
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その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
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