鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ロッジ・ケリガン&"Claire Dolan"/猜疑心と虚無感は、いつか狂気へと至る

「クリーン、シェーブン」という90年代を代表する電波映画がある。離れ離れになった娘に会いに行こうと旅する統合失調症の男の精神世界を凄まじく狂気に満ちた映像美で描き出す作品なのだが、これを観て魅了されたその時からずっと思っていることがあった、このすげえ映画を作ったロッジ・ケリガンは今何をしているだろうと。

そんな中でつい先日彼に名前を見つけたのだ、ケリガンはいま米ドラマ界で活躍しており、何とスティーブン・ソダーバーグガールフレンド・エクスペリエンスドラマ化作品の監督を務めているというのだ。そんな訳で調べてみると実はケリガン「クリーン、シェーブン」以降寡作ではあるが今までに3本の長編映画を作っていたのだ。ということで今回紹介するのは彼の第2長編であり、件のガールフレンド・エクスペリエンスに大きな影響を与えた作品"Claire Dolan"だ。

1人の女性が電話ボックスに籠り密やかに言葉を連ねる、あなたに会いたくてしょうがない……あなたは特別な人だから……私の中にあなたを早く感じたい……それじゃあ今日の夜に……そして電話を切った彼女は別の場所へと電話をかける、あなたに会いたくてしょうがない……あなたは特別な人だから……私の中にあなたを感じたい……今すぐ会いましょう……そして再び彼女は電話を切る。

クレア(「ビフォア・ザ・レイン」カトリン・カートリッジ)は高級娼婦として日々男たちと肌を重ねている。この日も美辞麗句を重ねて客の1人を絶頂へと導こうとしていたのだが、彼女の元にある電話がかかってくる。施設の職員が言うには、クレアの母親が亡くなったと。動揺する彼女は施設へと向かい、母の死体を確認する。だが彼女は書類にサインした後再びホテルに向かう、そして待っていた客とセックスする、男に後ろから突かれ続ける。

クレアがこんな生活を送らざるを得ないのはロナルド(ザ・コミットメンツ」コルム・ミーニィ)という男の存在があるからだ。アイルランド移民であるクレアは彼に対して多額の借金を抱えており、母の養護施設代も肩代わりしてもらっていたのだ。翌日金を渡す際ローランドはお母さんの調子はどうだ?と尋ねてくるがクレアは答える、元気よ、ありがとう。彼女は既にこの負の連鎖からの逃走を固く決めており、母の死が彼にバレるその前にニューヨークを後にする。

ロッジ・ケリガンの描き出す画の数々は表面上は潔癖症的で且つ都会的な洗練を宿しているが、彼の作家性はクレアの逃走後を描くその時にこそ顕わになっていく。新天地ニューアークにやってきた彼女は美容師として新しい生活を送ろうとするが、道を歩くクレアを車でノロノロと追いかけてくる存在がいる。何とか彼を巻きながら、ダイアーで食事をしていると再び男が現れる、俺は孤独なんだ、アンタもそうだろ、友達にならないか……その日からクレアの心にある疑念が巣食うようになる、向かいの窓の男は私を狙っているのではないか、何処かから聞こえるひそひそ話は私についてのことではないか、喫茶店で後ろに座っている男はロナルドの手先ではないか?

つまりケリガンの作家性とは、1度生まれてしまったとしたらそこからは逃れられない大いなる狂気だ。猜疑心は猜疑心を産み出し、それらは負の螺旋として人々を永遠に捕らえる。この状態にある者たちは周りの全てに対し偏執的な疑念を抑えることは出来ず、心が休まることはなく、見えない脅威に神経を磨り減らしていくしかない。こういった狂気を描く作品は少なくないが、ケリガンの描く狂気は"Claire Dolan"では特にどこまでも洗練され、そこに何とも似ていない恐怖がある。音楽を担当する○による脳髄を震わすようなヴァイオリンの戦慄も、正気と狂気の危うい綱渡りに生々しき神経崩壊の感覚をもたらしている。

だが"Claire Dolan"において印象的なのは、このケリガンの作家性が狂気とは対極にある日常に共鳴する点だ。クレアはニューアークで心休まらぬ日々を過ごし、それはローランドによる監視・襲撃の恐怖に常に晒されているからだが、例えそうでなくとも女性はこの種の不安に恒常的に晒されているのではないか。最近では「イット・フォローズ」がホラーという体裁を取りながら同じ物を描いていたが、中盤において今作はこの世界で女性が生きることに本質的に付きまとう猜疑心と不安を観客に追体験させようとするのだ、映画的な洗練と誇張をほとこされた狂気を通じて。

しかしある男の登場はこの物語の意味を少しずつ変えていく。ある時クレアが出会うのはうらぶれたタクシー運転手のエルトン(フルメタル・ジャケットヴィンセント・ドノフリオ)だ、2人は孤独を共有しあう仲間であり傷を舐め合う関係に陥る。それは愛、もしくはそれ以外の言葉で説明するべきか明らかでない曖昧な物だが、少なくとも一時的な救いとして2人には機能する。それでいてこの平穏な関係が長く続くことはない、ここにはローランドがいる、クレアは彼の魔の手から簡単に逃れることなど叶う筈もない。

此処から物語はエルトンの視点も交えながら進んでいく。彼は自分の前から姿を消したクレアを探し求めるうち、彼女が高級娼婦としてローランドに所有されていることを知る。彼は彼女を救おうとする素振りを見せながら、それでいてその意図を伺い知れない不可解な行動にも出始める。だがそれでもクレアへの執着心が都市部の無機質な風景の節々から滲み出るの私たちは感じるだろう。そして彼の曖昧な心はいつしか1つの大いなる虚無感へと繋がっていく。

例えば「チャイナタウン」ジャック・ニコルソンが愛した女性を救えなかった無力感に打ちひしがれるが、そういったアメリカン・ニューシネマの時代に濃厚だった諦念の感覚、男性が最愛の女性を救えないという(ある意味では独りよがりな)虚無の感覚を"Claire Dolan"は共有しているのだ。しかし今作は洗練された都会的な狂気に、男性が抱く無力感と女性がこの世界に生きることの絶望が斑模様として浮かび上がる所にその異様さがあり、この2つの感覚をヴィンセント・ドノフリオカトリン・カートリッジという90年代という時代に頭角を表した名優2人――後者は殆ど90年代に殉じた――が担う様は正に圧巻だ。

そして物語はケリガンにとってもう1つのオブセッションの対象である"子供"が中心となる。未来への希望か、それとも絶望の未来を象徴するのか、クレアとエルトンの道行きはその可能性のあわいを行き交いながら不気味な終盤へともつれ込んでいく。"Claire Dolan"は猜疑心と虚無に裏打ちされた孤独の光景を静かに描き出していく、劇中で最も凡庸なラストカットにこそケリガンの悪意と狂気は最高潮を迎える。

たまには昔の映画も観てみよう!
その1 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その2 リンゼイ・C・ヴィッカーズ&「アポイントメント/悪夢の約束」/少女の絶望、父の悪夢
その3 イヴァン・パッセル&"Law and Disorder"/ニューヨークを守れ!オッサン・スクワッド出動!

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&"The Summer of Sangaile"/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&"Pour faire la guerre"/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する