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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生

6月、トルコの新鋭作家デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの長編デビュー作裸足の季節が公開される。2016年度セザール賞の編集・音楽・初監督作・脚本賞を獲得した。が、もちろんここではエルギュヴェン監督を紹介する訳ではない。実は脚本賞はエルギュヴェン監督の他にもう1人、共同で脚本を手掛けたアリス・ウィンクールという人物も受賞したのだが、彼女はエルギュヴェン監督と並んで将来を嘱望される映画監督であり、実は彼女のデビュー作が日本でも観られるのである、「博士と私の危険な関係なんていう文芸エロ映画的なタイトルで!……ということで"文芸エロ映画に世界が見える"、今回はフランス映画界期待の新鋭アリス・ウィンクールと彼女のデビュー作「博士と彼女の危険な関係aka "Augustine"を紹介して行こう。

アリス・ウィンクール Alice Winocourは1976年パリに生まれた。フランスの国立映画学校フェミスで脚本について学ぶ。脚本家としてのデビューは日本でもソフィアの夜明けが公開されたブルガリア映画作家カメン・カレフの短編"Orphée"だった。ギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケーの挿話に基づいた作品で、カレフとはフェミスの同窓生だった縁で今作に参加、出演も果たしている。2008年にはスイス人監督ウルスラ・メイヤーの初監督作「ホーム 我が家」の、そして2009年には同じくフェミスの同窓生であるセルビア人作家Vladimir Perisicの作品"Ordinary People"の脚本を執筆するなど欧州を股にかけ広く活躍する。

監督としては2005年の短編"Kitchen"でデビュー、フランス人の主婦がアメリカ風にロブスターを調理しようと苦闘する様を奇妙な形で描き出したコメディでカンヌ国際映画祭でプレミア上映後、アメリカやポーランド、日本などで公開され話題となる。2007年には"Magic Paris"、2009年には"Pina Colada"と2本の短編を製作、前者はカブール・ロマンティック映画祭で監督・女優賞を、ロサンゼルス映画祭短編部門では作品賞を獲得した。そして2012年には彼女にとって初の長編作品"Augustine"を監督する。

舞台は1885年のフランス、19歳の少女オーギュスティーヌ(「嫉妬」ソコ)は大邸宅でメイドとして働いていた。ある日彼女は突然凄まじい痙攣に襲われ、それ以来右目が開かなくなってしまう。医師の診断を仰ぐオーギュスティーヌだったが、彼女は否応なく精神病院へと収監され、それから外界から隔離された過酷な日々が始まる。

この病院に勤める医師の1人がシャルコー教授(「バスターズ―悪い奴ほどよく眠る―」ヴァンサン・ランドン)だ、彼は病院の近代化を目指すと共にある1つの理論を証明するために奔走していたが、証明の糸口が見つからず焦燥の日々を送っていた。しかし彼は思わぬ偶然から彼女を見つけ出す。悪霊にとり憑かれたかの如く肉体をおぞましく震わせる少女、彼はその少女オーギュスティーヌを自身の病室へと連れていく。

"Augustine"はこの2人の関係性を牽引力として展開していくが、アリス・ウィンクール監督の指向する演出を見極めるには1度冒頭に立ち戻るべきだろう。オーギュスティーヌはメイドとしてパーティ会場に料理を運んでいく、だがその動きには少しずつ震えが伴われ始める、あなた気分悪そうよ、ううん大丈夫だから、その言葉とは裏腹に震えは激しさを増していく。その時動き以上に不快な印象をもたらすのは音だ、食器が立てる小刻みな振動音、外から響いてくる雷と風雨の轟音、来賓客たちの喋り声、料理に供された蟹の脚がパキパキと折れる響き、不快感が頂点に達する時その瞬間は訪れる。オーギュスティーヌののたうち回る肉体、それを呆然と見つめる来賓客たち、カメラもまた彼らに混じり彼女を見据えるのだが、痙攣の激烈さに巻き込まれまいとカメラは精神的に距離感を取り続ける。この不気味さと冷めた明晰性が同居する演出で以て、ウィンクール監督はこの驚くべき物語を語らんとする。

オーギュスティーヌの症状は医師たちによって診断されていく。彼女は右目が開かなくなると同時に右半身の感覚が殆ど失われていることも発覚する。彼女はそんな理解不能な症状に絶望し、そして精神病院の劣悪な環境に神経を磨り減らしていく。その心につけこもうとする存在がシャルコー教授だ。シャルコーは病室に呼びつけたオーギュスティーヌに対してこんな言葉を向ける、君は馬鹿者なのかもしれないな。傷ついたような表情を浮かべる彼女に簡単な質問をいくつも投げ掛け、最後にまた"馬鹿者"呼ばわりをする。それでいて治療が可能であるという自信を見せるシャルコーは彼女にとって唯一の救いだ、そしてオーギュスティーヌは寝室で祈りを捧げる、あの人が私を治してくれますよう……

作品の前半においてウィンクール監督は、人がいかに他人を支配するか、この場合においては特に男性がいかに女性の心を掌握していくかを吐き気を催すほど丁寧に描き出していくのだが、この不快感はある場面において最高潮に達する。シャルコー教授はオーギュスティーヌを多くの教授が集まるアカデミーへと連れていく。そこで当時はまだ発展段階の催眠療法を彼は駆使することで、オーギュスティーヌの痙攣を人為的に発生させる。彼女が床をのたうち回る様を教授たちーー彼らは全員男性だーーはある種の興奮を以て見守るグロテスクな光景は見世物小屋を彷彿とさせるほどだ。そしてシャルコー博士は言う、この症状こそが私たちが今研究している"ヒステリー"の実態なのですと。

見えてくるのは"Augustine"という物語の描こうとしているテーマだ。つまり今作は今後の長きに渡って女性を悪辣な形で規定する"ヒステリー"という偽りの概念がいかにして生まれたのかを描いているのだ。そこには男性→女性の支配関係が密接に関わってくる。オーギュスティーヌとシャルコー博士の関係性は複雑さを増していく、彼女は症状を通じて今まで意識すらしなかった――しかし確実に彼女にとって重荷となっていた――性的抑圧の存在に気づき対峙せざるを得なくなるが、その苦しみは唯一の希望であるシャルコー博士への依存を誘発し、彼の名声のために搾取されることとなる。二者間の愛と憎しみは意外な道を経ながらも苛烈さを増していく。

そして今作が秀でているのは、この"ヒステリー"の誕生が彼女たちの手から離れ、社会システムに組み込まれる様までを忌憚なく描き出している点にある。それは2者の対立の最終地点、それぞれの剥き出しの感情が引き起こす結果であり、後にはシャルコー博士の弟子であるフロイトへ受け継がれ、そして現在にも確かに根強く残り続けている。個人にはどうしようもない大いなる抑圧、その始まりの風景が"Augstine"に刻まれている。

2015年には監督としての第2長編「ラスト・ボディーガード」を手掛ける。アフガン派兵でPTSDを患った男が富豪の元でボディガードとして働くこととなり、そこに住む美しい妻に行為を抱くのだが……という作品でマティアス・スーナールツダイアン・クルーガーが共演、"Augustine"で見せた不穏な演出がここで更なる深まりを見せているそうで"ヒッチコック的スリラー"とも評されている。日本では5月にWOWOWでプレミア放送、ソフト化はいつになるかはまだ未定だが観たらレビューを書く予定だ。ということでウィンクール監督の今後に期待。

私の好きな監督・俳優シリーズ
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その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
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その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
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その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
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その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
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その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
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