田舎の美しい風景を背景とした少年と鳥の交流、このキーワードで連想する映画はなんだろうと言われれば、やはりケン・ローチの「ケス」じゃないだろうか。どこにも居場所のない労働者階級の少年がある日タカのヒナを救ったことをきっかけに人生が開けたかのように見えたが……というケン・ローチ仕込みの痛烈なリアリズムに裏打ちされた作品で、交流の暖かさに心を緩ませていると頬骨に一発ブチかまされる凄まじさを持っていた。今回紹介するのはそんな「ケス」を思わせる、少年と鳥の交流を通じて英国の現在を描き出す1作だ。
Joe Stephensonはロンドンを拠点とする映画作家だ。7歳の頃から映画監督を志しており、ニューヨーク映画アカデミーを卒業後、イギリスの老舗撮影スタジオであるイーリング・スタジオで働きながら、アニメーションやMV製作など映像作家として広く活躍する。MV作品には英国を代表する若手ビートボクサーBeardymanの"Where Does Your Mind Go"などがある。自身が設立したB Good Picture Companyという製作会社の運営も行っている。
映画監督としては2009年に短編"The Alchemistic Suitcase"を手掛ける、古いスーツケースを運ぶ青年の不気味な道行きを描き出した作品は広く話題となる。2011年には美術専門チャンネルSky Artsにおいて、ブリテン諸島の文豪を紹介するTVシリーズ"In Love with..."を監督し、シェイクスピアやチャールズ・ディケンズ、ノエル・カワード、オスカー・ワイルドなどを取り上げた。そして2014年にはワイルドの「幸福な王子」を元にしたアニメ"The Happy Prince with Stephen Fry"を製作した後、2015年には初の長編作品"Chicken"を手掛ける。
15歳の青年リチャード("U Want Me 2 Kill Him"Scott Chambers)はイングランドの田舎町、その草原にポツンと捨て置かれたトレーラーハウスで生活している。一緒に住んでいるのは粗暴な兄ポーリー(「キングスマン」モーガン・ワトキンス)だけで、両親はだいぶ昔に出ていったきり戻ってこない。その暮らしぶりは荒みきり過酷な日々が続きながら、リチャードは希望を捨てていない。唯一の友達である雌鳥のフィオナを連れて、彼は草原を駆け回るのだ。
"Chicken"はそんなリチャードの眼を通じ、労働者階級で燻り苦しむ若者たちの姿を描き出していく。彼の住み処であるトレーラーハウス、白い外壁には黒いシミ、中はとにかく埃まみれ、床には兄が飲み捨てたビール缶が散らばり、部屋を分け隔てるのはカビだらけの大きな布1枚。毎朝食べるパンは薄汚れ、窓から外を眺めようとしてもガラスは白く濁り、自然は遥か彼方に霞んでいる。そして兄のポーリーは弟に対して威圧的な態度を取り続け、リチャードは怯えるしかないが、彼が居ないと自分は生きていけないことも知っている。このトレーラーハウスはリチャードにとって監獄も同然なのだ。
それでもリチャードの生きる姿には輝きが満ちている。冒頭、広大な草原を駆け抜けたり、精肉工場に忍び込んで吊るされた豚の肉に抱きついたり、藁を保管する倉庫にはフィオナと自分だけが知る秘密基地があり、道で拾ってきた宝物をそこに隠して無邪気な笑顔を浮かべる。彼にとっては過酷な状況も一種おとぎ話のような世界に見えているのだ。Tom Lindenの手掛ける音楽はリチャードの頭の中を象徴するような響きを持ち合わせている。ピアノの旋律はまるで闇夜の空に星が瞬くような感覚を宿し、イングランドの荒んだ田舎町を驚きと喜びの世界へと塗り替えていく。
そしてリチャードの前に現れる存在が1人。トレーラーハウスの玄関から見える煉瓦造りの大きな邸宅にやってきたのはアナベル(「嗤う分身」ヤスミン・ペイジ)という少女だ。地主である彼女の父親が地域一帯を買い取った関係で、夏休みの休暇としてこの地にやってきたのだ。しかし彼女としては携帯の電波も通じないド田舎は気に入らず、母親に対して不機嫌な態度ばかり取ってしまう。そんなある日、彼女は洗濯物を盗もうとしたリチャードと遭遇、それがきっかけで2人の交流が始まる。
片やブルジョア階級のご息女、片や労働者階級で苦しい生活を続ける青年、今まで出会ったことがない類いの人物に2人は興味を抱き、会話は弾む。それによって互いの住む世界が完全に違うことを悟りながら、彼らの心は確かに近づいていく。この交流を彩るのが撮影監督Eben Bolterが捉える美しい自然の数々だ。高く聳えたつ木々の勇猛な佇まい、その根本で慎ましやかに流れる小さな小さな川、そして何処までも続く豊饒なる緑の色彩はぎこちなくも交流を遂げるアナベルたちを優しく包み込んでいる。
だがリチャードを取り巻くシビアな現実は兄ポーリーという形を取って彼を襲う。彼は廃品工場で仕事をして何とか金を稼ぎながらも、それを酒に注ぎ込み最低限2人で生活できる金以外は何も残らない。そしてその仕事すらも癇癪を起こしと辞め、リチャードを責めることで鬱憤を晴らす。この状況をポーリーの弱さにのみ依る物だとは言えない。町は寂れ、道端にはタイヤや煉瓦が堆く積み上がっている。町としては完全に死に体であり、仕事自体が存在しない。かと言って簡単にこの地から出ていくことも出来ない、今を生きていくのみで限界なのだ。憔悴と憤怒がポーリーを暴力に駆り立て、リチャードは彼のはけ口となる。こうして出口なき負の螺旋が豊かな緑に浮かび上がる。
この作品はFreddie Machinの戯曲を原作としているが、これを原作に選んだ理由について監督はこう語っている。"まず1つに今作は貧困ラインの下で暮らしている2人の兄弟を描いた作品で、彼らの声は掬い取られることのないのが普通だったという点があります。その声を聞くのは多くの人にとって簡単なことではありませんが、彼らの経験がいかなる物か、社会が人々をいかに悲惨な状況に追い込んでいるかを理解し、同時に私たちには事態をより良い方向へと変化させるチャンスがあるのだと理解することは重要なことなんです。
2つ目にはリチャードの楽観主義に惹かれたというのがあります。学習障害ゆえにしろ単に彼の性格ゆえにしろ、リチャードはそうやって人生に対処してきた、その愛おしさが物語を気の滅入るようなものに変えないでいるんです。そして私としては初長編を鬱々たる文芸映画にしたくはなかったので、リチャードが持つユーモアも気に入りました(中略)今作には希望があって欲しかった、あの悲惨な状況下でもリチャードは希望の光であってくれる。
Freddie Machinの戯曲はそういった要素と複雑な関係性が美しい形でバランスを保っています。それでいて観客が自分自身の解釈を入れる余地もあるんです。舞台においてもそれは素晴らしく機能しているのですが、(映画として)脚色するにも適していることを意味しています。映画なら舞台において生来的に存在する限界を拡げることができると私は思いました。そして映画として作り変えても舞台の映画化に堕すことがないとも感じました、それは他の作品には余り言えないことです"*1
リチャードはその中でも必死に生き抜こうとする。彼を演じるScott Chambersの姿には無邪気ゆえの生命力とそれが踏みにじられる故の深い痛みが滲み出ている。そんな彼をStephenson監督は光に満ちる世界へと導こうとする。今作の題名"Chicken"はもちろんリチャードの親友である雌鳥のフィオナを指しているが、同じようにリチャード自身をも指しているのだ。凄まじい貧困と痛みの中で途方に暮れる彼の耳にある時1つの声が響く、今が巣を飛び立つその時なんだ!と。そしてリチャードはフィオナやアナベルの力を借り飛び出していくことを決意する、その時に広がる光景は私たちの真上に広がっていた、私たちの耳に響いていたあの美しい輝きに満ちている。
現在は2本の計画が進行中。1本目は彼が"どうしても作りたいと思っていた"ドキュメンタリー(内容はまだ不明)、そしてもう1作品が"In Love with..."で取り上げたノエル・カワードの伝記映画だそう。カワードの若年期を中心に描き出す作品らしく、出演俳優はクリス・コルファー、イアン・マッケラン、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョナサン・プライス、ジャネット・マクティアなどなど錚々たる面々が並んでいる。ということでStephenson監督の今後に期待。
参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/stephenson-joe(監督プロフィール)
https://www.filmdoo.com/blog/2016/06/06/interview-joe-stephenson-on-chicken/(監督インタビューその1)
http://www.heyuguys.com/interview-joe-a-stephenson-chicken/(監督インタビューその2)
ブリテン諸島の映画作家たち
その1 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その2 Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は
その3 Carol Morley&"Dreams of a Life"/この温もりの中で安らかに眠れますように
その4 アンドリュー・ヒューム&"Snow in Paradise"/イスラーム、ロンドンに息づく1つの救い
その5 Daniel Wolfe&"Catch Me Daddy"/パパが私を殺しにくる
その6 私が"The Duke of Burgundy"をどれだけ愛しているかについての5000字+α
その7 Harry Macqueen&"Hinterland"/ローラとハーヴェイ、友達以上恋人以上
その8 Clio Barnard&"The Arbor"/私を産めと、頼んだ憶えなんかない
その9 Joanna Coates &"Hide and Seek"/どこかに広がるユートピアについて
その10 Gerard Barrett&"Glassland"/アイルランド、一線を越えたその瞬間
その11 ベン・ウィートリー&"Down Terrace"/自分の嫌いな奴くらい自分でブチ殺せるよ、パパ!
私の好きな監督・俳優シリーズ
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
その114 ヨーナス・セルベリ=アウグツセーン&"Sophelikoptern"/おばあちゃんに時計を届けるまでの1000キロくらい
その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
その117 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その118 アランテ・カヴァイテ&"The Summer of Sangaile"/もっと高く、そこに本当の私がいるから
その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その120 サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく
その121 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その122 Léa Forest&"Pour faire la guerre"/いつか幼かった時代に別れを告げて
その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと
その146 Virpi Suutari&”Eleganssi”/フィンランド、狩りは紳士の嗜みである
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その148 Alessandro Comodin&"L' estate di Giacomo"/イタリア、あの夏の日は遥か遠く
その149 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その150 Rina Tsou&"Arnie"/台湾、胃液色の明りに満ちた港で
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち