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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か

さてイランである。白色革命によって一時的に近代化・西欧化に舵を切ることになったが、イスラム革命とイラン・イラク戦争が立て続けに起こった70年代末期から80年代後半にかけて、この国は急激に保守化していくこととなる。この急激な転換によって国には大きな傷が刻まれたが、正にこの転換期に幼少期を過ごした映画作家たちが今イラン映画界から表れ始めている。ということで今回はそんな作家の一人であるMassoud Bakhshiと彼のデビュー長編"Yek khanévadéh-e mohtaram"を紹介して行こう。

Massoud Bakhshiは1972年テヘランに生まれた。大学では映画や写真について学び、在学中から批評家として活躍するようになる。そしてイタリアへ留学中から映画監督としても作品を製作し始め、1999年にはイタリア映画ひいてはそこで映画を学ぶ学生たちの姿を捉えた"Cine Citta"やイランの電球工場で働いていた女性を描く短編ドキュメンタリー"Shenasaeiye Yek Zan"を手掛ける。その後も"Namaze Baran"(2003)やイランからヨーロッパ諸国へ亡命してきた人々の姿を映した"Panjerehay–E-Gomshodeh"(2004)など精力的に作品を製作してきた。

そんなBakhshiの名を一躍高めたのが2006年製作の中編ドキュメンタリー"Tehran Has No More Pomegranates!"だ。今に至るまでのテヘランという都市の歴史と変化を描き出した作品で、ロッテルダムサン・パウロなど多くの国で上映され、イラン国内でも様々な賞を獲得するなど話題になる。その後も題名の通りバグダッドの理髪店を舞台とした短編"Bagh Dad Bar Ber"(2009)やペルシャ絨毯の中に1つの家族の歴史を浮かび上がらせる一作"Our Persian Rug"(2010)を製作、そして2012年には彼にとって初の長編映画である"Yek khanévadéh-e mohtaram"を完成させる。

社会学の教授であるアラシュ(Babak Hamidian)はシーラーズ大学で授業を行うため、20年ぶりに故郷であるイランに足を踏み入れる。仕事がつつがなく終ろうとしていた頃、しかし彼はパスポートが取得できないという事態に陥る。そのため甥のハメッド(Mehrdad Sedighian)と共に、彼は一路テヘランへと向かうのだが、それは忌まわしい記憶を呼び起こすきっかけともなってしまう。

若い頃に故郷を捨てたアラシュの目に映る現代のイランは息苦しさに満ちている。反体制派と目される彼の授業は学長によって常に監視され、時には介入も辞さない。イラン国内で発禁の憂き目にあった自身の本を生徒たちに配ろうとした瞬間、職員たちによってそれらは全て回収されてしまうのだ。公然と自分の意見が踏みにじられる現状に、アラシュは忸怩たる思いを抱えるが、それでもそこには憎しみとは言い切れない感情も確かに存在している。

彼の愛憎渦巻く感情の裏には、とある過去が横たわっている。1981年イラン=イラク戦争の勃発によって、アラシュの家族は悲惨な生活を送っていた。食糧もままならないばかりか、抑圧的な父(Mehrdad Ziaei)は鬱憤晴らしに自分や優しい母(Ahu Kheradmand)、そして兄のアミールに対し暴力を振るい続ける。そんな中で母はアミールを大学へ行かせるためにシーラーズの叔父の元へと送るのだが、彼の思いはまた別の所にあった。そしてある日家族の元には、アミールが志願兵として戦争に赴き、イランのために殉死したという報せが届けられる。

そうして今作は現代と過去を行き交いながら、1つの家族を通じてイランという国の歴史を浮かび上がらせていく。アラシュはハメッドに促され、死に瀕した父の元へと向かうことになるが、彼の脳裏には父の暴力と抑圧がチラつく。更に息子の死に精神の均衡を失った母を、父は精神病院へ厄介払いしていたのだ。何とか今まで生き延びた彼女は、そんな夫への憎悪を隠すことはない。彼らの心にはアミールの亡霊が今でもとり憑いている。アラシュは兄の進めなかった道を行き、大学教授となった。しかし兄が祖国に殉じた兵士として奉られるのとは逆に、彼は反体制派として国家に監視される状況にある。自分の行った道は正しかったのか? 兄の幻影はそんな問いとしてもアラシュを苛む。

そしてこの現状をもう1つの家族が更に複雑なものとしていく。アラシュには腹違いの兄であるジャファール(Mehran Ahmadi)がおり、彼との仲は完全に冷えきっている。それでも彼の息子であるハメッドは自分を慕い、パスポート取得のあれこれを世話してくれる。彼の実家に滞在するうち、アラシュはハメッドから“自分も叔父さんみたいに海外で勉強したい”と告白されるなど、彼らの関係性には微かな希望が宿る。その一方、ジャファールの妻でアラシュの幼馴染みでもあるゾーラー(Parivash Nazarieh)に、昔の面影は一切ない。彼女は家の汚れを異常に気にしており、アラシュは朝から床を執拗に掃除し続ける姿を目撃する。そこには20年という時間の残酷なまでの隔たりが存在しているのだ。

この物語には登場人物たちの精神を反映したかのように、濃密で無気味な不穏さが満ちている。アラシュは車の中から様々な事件を目撃する。高速道路上での凄惨な事故、理由は分からないが男たちが殴り合いの喧嘩を繰り広げる光景、それらはまるでアラシュの登場を見計らったかのように起こり続ける。そして撮影監督Mehdi Jafariによって紡がれるイメージもまた印象的だ。幼いアラシュは寝台にくくりつけられた母に電流が流されるのを見て失禁し、現代のアラシュはトイレで死にかけたゴキブリを見つけ、苦々しい表情を浮かべながら水を流す。そんな中で序盤、過去を撮す色味は灰をまぶしたような陰鬱さを誇りながら、いつしか現代のイランもその色彩に覆われていくように思える。

こうして現代と過去が不吉に交錯する時、“Yek khanévadéh-e mohtaram”の語るべき絶望が私たちの目前にも立ち現れることとなる。ホメイニ師によるイラン革命が、そこに連なるイラン=イラク戦争がこの国をいかに変えてしまったのか、監督の見据える物はその問いの中にある。注目したいのは監督とアラシュの世代だ。70年代の前半に生まれた彼らは物心つくかつかないかの頃に革命と戦争を経験することになった世代であり、心に刻まれた傷には他の世代とはまた違う深刻さが宿る。今作から響くのは、私たちはあの時代に大切な何かを失ってしまったという嘆きだ。愛する人々は勿論だがもっと精神的な何か、心の奥底で自分たちを支えてくれる筈だった、光ある未来に繋がる筈だった何かを失ってしまった。いや、アラシュたちの絶望を正確に言うならこうなのかもしれない、”自分たちにとって大切な何かは、あの時既に失われてしまっていた”のだと。

今作はカンヌ国際映画祭批評家週間でプレミア上映、アブダビ映画祭では新人監督部門で作品賞を監督するなど話題になる。そして現在は第2長編"Yalda"の企画が進行中だそう。ということで監督の今後に期待。


参考文献
http://www.bakhshim.com(監督公式サイト)
https://boxoffice.festivalscope.com/all/film/a-respectable-family/(監督プロフィール)

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