Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
ルチアン・ピンティリエの作品群についてはこちら参照。
今から約50年前、ベトナム戦争が泥沼の様相を呈する頃、アメリカにおいて新たなる映画の群れが世界を席巻していた。日本ではアメリカン・ニューシネマと呼称される映画群は自分たちを抑圧する権威や大人たちに反旗を翻し、自由を求める若者たちの怒りの炸裂と来たるべき虚無を忌憚なく描き出した作品だった。その中でも重要な役割を果たしたのが無軌道な愛の数々だ。社会を転覆させると共に若さをも燃やし尽くす愛は、この時代に華々しく炸裂しては散っていった。そしてこのブームが終息して20年後、遠きルーマニアの地においてこの精神性を受け継いだ作品が突如現れる。それがルチアン・ピンティリエが1998年に手掛けた第7長編“Terminus paradis”だった。
主人公はブカレストに住む青年ミトゥ("Câini"Costel Cașcaval)、彼の日常に淀んだ虚無感に満ちていた。屠殺場で働く彼には友達と呼べる存在はブタたちだけしかおらず、しかも前まで一緒に住んでいた女性に梅毒を移され、身体すらもうボロボロだった。彼は孤独に家畜の世話をしながら独りごつ。人間は猿じゃなくブタから進化したんだろう、俺たちは我慢なんていう概念を持ち合わせてない、悪魔みたいな好奇心にとり憑かれてる同じ穴のムジナなんだ……
ピンティリエと撮影監督Călin Ghibu&Silviu Stavilăはまずそんなミトゥの虚無的な精神に呼応するような、世紀末を目前としたブカレストの風景を描き出していく。冷えた大気を切り裂くようなプロペラ音に続いてやってくるのは軍服を纏った男たち、彼らは脱走した新兵を追っているのだ。鬱蒼たる叢に紛れこむ新兵、銃を構え血眼で彼を探す男たち、橋の上からは子供たちがこの追跡劇を見守っている。そしてとうとう血まみれの惨劇が繰り広げられると人々は歓声を上げて万雷の拍手を響かせる。中世ヨーロッパにおいて死刑執行は大衆にとっての娯楽だったそうだが、正にそんな不気味な風景がここには広がっているのだ。
だが段々と今作には若さという名の生命力が湧き上がり始める。ある日彼は謎めいた女性ノリカ("Selfie 69"Dorina Chiriac)と運命的な出会いを果たす。2人は出会った直後からウォッカ一瓶を呑みほし、ドロドロの泥酔状態でミトゥのアパートへと突っ込んでいく。酩酊のままに何故か道端にいた馬に乗っては落ちて頭から鮮血を流し、アパートの階段では身体を冷えた壁に衝突させまくる。部屋に雪崩れんですぐミトゥの意識が途切れたかと思えば、全裸でマットレスに横たわる自分に気づき、ノリカは適当に朝食を作っている。どこか爽やかな心地のミトゥは裸のままベランダに飛び出し、眼下に並ぶ車へオシッコをブチ撒けていく。
それでもやはり2人の置かれている状況はドン詰まりに近い。ミトゥはニューヨークに住む兄とは違い、親から見離されほぼ絶縁状態と化している。更にそれが原因で2年間の兵役に就くことを余儀なくされる。そしてノリカは凄絶な貧困に耐えることが出来ず、豊かな生活と引き換えに雇い主であるデブのクソ野郎ジリ(「ラザレスク氏の最期」ドルー・アナ)と結婚することを決めていた。だがそこに突如降って湧いてきた情熱的な愛、これを成就させるためミトゥは行動を起こすこととなる。
ここから私たちは世紀末のルーマニアに満ちる抑圧的かつ末期的な空気と若い愛から迸る生命力の壮絶な戦いを目撃していく。軍隊に入ったミトゥは早速問題を起こし、上官には楯突き、厳しくしごかれる日々を送り続ける。だが彼は幾ら踏みにじられようとも体制に歯向かうことを止めず、自分の道を突き進んでいく。その力強い姿にはピンティリエ監督の90年代以後の作品、例えば“Baranța”や“Prea târziu”の主人公たちの姿と重なりあうが、そこに向こう見ずな愛が掛け合わさることで彼ら以上の異様な力がミトゥには宿っている。軍隊を抜け出したかと思うと、盗んだ戦車を駆りクソ野郎の経営する店へ突っ込んでいく様はそれを象徴しているだろう。
そんな中でいつしか今作は、正に冒頭で記した通りのアメリカン・ニューシネマ的な様相を呈していく。例えば「俺たちに明日はない」や「ダーティメリー・クレイジーラリー」など、社会に中指を突き立てる若者たちによる反逆の物語の道行きを今作は駆け抜けていくのだ。更にニューシネマは60年代後半から70年代前半にかけて全盛期を迎えたムーブメントだが、ピンティリエがルーマニアでの映画製作を禁じられていた時期と重なっている。当時作ることの出来なかった映画を、捉えることの出来なかったあの頃の空気感をこの時代のルーマニアの現状に託すことで生まれたとそう言いたくなる感触がここには濃厚に感じられるのだ。
そして今作において若き反逆者を演じるのはCostel CașcavalとDoina Chiriacという俳優2人だ。Chiriacはクリスティーナ・リッチ然とした風体で当惑と自由への渇望の間を揺れ動き、Cașcavalは狂気スレスレの愛を原動力に突き進んでいく。その途中でミトゥたちは立ち寄った教会で結婚式を上げることとなる。彼らの微笑ましい姿はピンティリエのデビュー作“Duminică la ora 6”において結婚式ごっこをしていたラドゥとアンカの姿をも想起させる。しかしこの事実は彼らの愛が呪われたロマンスであることの証左でもある。そんな予感を振り払うかのごとく、ミトゥとノリカは“Terminus paradis”、つまりは楽園という最終地点を目指す、そこが消失点ではないようにと願いながら。
さて、ここから少しルーマニア映画史に関連する要素を記していこう。今作のキャスト陣にはピンティリエ作品の常連であるラズヴァン・ラドゥレスクやヴィクトル・レベンジュクに加えて、シェルバン・パヴルやドラゴシュ・ブクルなどこのブログでもお馴染みな俳優たちが出演している。今作の製作年は1998年なので彼らは未だ下積み時代を過ごしており、出番は殆どない。だがこの先彼らはコルネリュ・ポルンボユやラドゥ・ジュデなど、ピンティリエがルーマニアを追放された時期に生まれた作家たちの映画に出演し“ルーマニアの新しき波”というムーブメントを生み出すこととなる。その萌芽が今作には存在しているという訳である。
ルーマニア映画界を旅する
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その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
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その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
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その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる