さて、ロマンシュ語である。これはスイスで公用語として話されるロマンス語の一種であり、話者4万人前後しかいないという少数言語だ。こういう言語は得てして全編その言語で作られた作品が少ないか、作られてもつい最近なことが多いが、正にロマンシュ語もそうで初のロマンシュ語映画が作られたのは1993年という遅さだったらしい(ちなみに32歳の私が生まれた翌年だ)ということで今回はそんなロマンシュ語映画、Dino Simonett監督作品“La rusna pearsa”を紹介していこう。
フルギ(Simonett監督が兼任)という男性が数年ぶりに故郷の村へと帰還する場面から物語は幕を開ける。彼は村にあるカトリック教会、その司祭の息子であったのだが、ある事情から村を長年離れていた。しかし彼はとうとう村に帰還を果たし、それを見計らったかのようにその夜フルギの父がこの世を去る。そして彼は父の座を受け継いで、司祭となるのだったが……
そしてもう一人の主人公はシュトリンスラ(Tonia Maria Zindel)という女性だ。彼女とフルギは幼馴染であり年上である彼に片想いをしていたが、村を去ってからもその想いをずっと心に秘め続けていた。ゆえにフルギの帰還に喜ぶ一方で、それを良く思っていなかったのが彼女の父である地主マキオン(Gian Battista von Tscharner)だ。何故なら彼は元々彼を疎ましく思っていたからであり、実はフルギが村を去った理由にも関わりがあった。
今作はまず村に広がる日常の風景を描きだしていく。場所はグラウビュンデン州、ロマンシュ語ではグリシュン州と呼ばれる地域、その南部の険しい山間部にフルギたちの村は位置している。果てしなく真白い雪に包まれる村で、村民たちは控えめに逞しく生活している。村の通りを練り歩く、雪山をソリで駆け抜ける、仲間たちと酒を飲み交わす、井戸に溜まる水に愛の成就を願う……
まず印象的なのは彼らを取り囲む自然の数々だ。その冒頭、撮影監督のFelix von Muraltは村を見下ろすように聳える山肌を舐めるように映し出していく。そんな壮大な長回しが続く中で最後、その映像には木々の間で眠る何者かの姿が映る。彼こそがフルギである。これは崇高なる自然とそれに育まれる村民たちの密接な関係性を象徴する場面でもあるだろう。
その中で観客は今作の雰囲気が独特なものであることに気がついていくだろう。撮影自体は自然や村民の日常をありのままに映し出すといった自然主義的なものだが、そこに日常を逸脱するような瞬間が何度も現れることとなる。手紙を届けるのは郵便局員ではなくカラスであったり、シュトリンスラが片想いを成就させるために何やら魔女が作っていそうな妙な媚薬を夜な夜な作っていたりと不思議な描写が浮かんでは消えていくのだ。
脚本は監督とStina Werenfelsが共同で執筆したものだそうだが、監督によると脚本は舞台となった地域に残る民話や昔話といったものを基に執筆したらしい。だからこそおとぎ話的な逸脱が、村民たちの日常に頻繁に顔を出したりする。そういった意味で今作はいわゆる魔術的リアリズムに属するような映画とも形容することができるだろう。
そしてフルギは司祭として活動を始めるのだったが、彼はキリスト教信仰だけでなく伝統的な土着信仰も熱心に取り入れていき村民たちを驚かせる。こういった故郷の文化を大切にするフルギの姿勢にやはりマキオンは反感を抱く。というのも彼は村に工場を誘致し、さらにはダムまで作って村を経済発展させる野望を抱いていたからだ。こうして伝統文化を再び花開かせると村民が自分の計画に反対しかねないと、マキオンはフルギの追放を画策しだす。
今作のテーマの1つはこういった伝統と革新の対立だろう。革新を求めるマキオンはまるで資本主義を体現するかのように、金と暴力でフルギや村の伝統を捻じ伏せようとする。対するフルギは伝統の体現者だが、そんなマキオンによってキリスト教に対する冒涜的異端と皮肉にも仕立てあげられてしまい、窮地に陥る。しかしそんな彼を助けるのが自然であり、さらにそこに宿る超常的な力であったりする。本当に魔術が出ちゃうわけで、こうなると別の意味でも魔術的リアリズムである。
だがこの映画において何よりも存在感があるのはロマンシュ語に他ならないだろう。登場人物たちは皆ほとんどロマンシュ語以外は喋らないわけだが、何かいつもぎこちないというか、詩などを朗読しているような不自然さが存在しているのだ。その不自然さと日常とには齟齬があり、常にちょっとした違和感というものを感じさせられるのだ。しかしそのギャップと違和感こそが、他のどんな言語でもなく私たちはロマンシュ語を聞いているという思いを抱かせるのだ。
そして劇中で描かれていく不思議で魅力的な雰囲気や土着文化と資本主義の対立など、そういった清濁全て引っくるめて、これがロマンシュ語に根づく文化であるというのをこの“La rusna pearsa”は唯一無二の形で提示していくのだ。いやこの映画は本当にファンタジックで、面白かった。マイナー映画を観まくるのは、こういうあまりに予期せぬ出会いがあるから止められない。今年の旧作ベストには必ず入るだろう。実は監督自身がドイツ語とフランス語というスイスの公用語の字幕つきでYouTubeにアップしているので、ぜひこの人を食ったようなロマンシュ語映画を観てほしい。