鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

祈りは高らかに「グローリー/明日への行進」

洗礼ってちょっと怖いな、頭から水とかかけるんでしょ、水泳帽かぶりたいな私、せっかくストレートにしたのに、ねえ私キング夫人の髪型にどうやったらなれるか分かったの……
そんな会話が交わされた直後、教会は無惨にも爆破され、4人の少女の尊い命が奪われる。実行犯は逮捕されるがしかし、その全員が無罪の判決を下される。それは何故だ? 彼は問いかける。被害者が黒人で加害者は白人だからだ。 白人は陪審員にも議員にもなれるが、黒人はなれないからだ。 そして何より黒人には、選挙権がないからだ。 マーティン・ルーサー・キングjrは数多くの怒れる人々に向かい叫ぶ――選挙権を私たちの手に!

「グローリー/明日への行進」は選挙権を、尊厳を、平等を勝ち取るために非暴力を以て戦い続けるキング牧師を描いた作品だ。ここには、奥歯を強く噛み締めるほどの苦痛を味わいながら、歩むことを止めることはない彼の姿がある。

1965年、キング牧師アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでのデモ行進を計画していた。公民権法が成立しようとも、人種差別は収まることなく、有権者登録をしようとする黒人たちは悪意と脅迫によって声を封じられたままでいる。その現状を変えるためにキング牧師は525人の同胞と共に州都を目指す。

「I Will Follow」「Middle of Nowhere」エヴァ・デュヴァネイ監督は、この作品でキング牧師の生涯を描こうとはしない、セルマ行進という一つのイベントに話を絞ってアメリカの歴史を語る。選挙権を求めるキング牧師たち、ベトナム戦争激化と公民権運動の真っ只中で決断を渋るリンドン・ジョンソン大統領(「スパイ・シップ/疑惑!NATO-ソビエト核戦略トム・ウィルキンソン)、人種隔離を叫ぶアラバマ州知事ジョージ・ウォレス(PLANET OF THE APES 猿の惑星ティム・ロス)や激しい暴力をもってして差別に与する白人たち、逆にキング牧師の叫びに共鳴してデモ行進に加わる白人たち……この短いピリオドの中で人々の思惑が絡み合い、人々の行動がうねりを生み、そしてたち現れるドラマはそのままアメリカの葛藤の縮図と成りうる。デュヴァネイのこの計算されたディレクションにこそ「グローリー」の魅力があるのだ。

彼女が描くキング牧師の人物像もまた複雑だ。人々の先頭に立つキング牧師はカリスマ的で一片の迷いも見られない、しかしその裏には計り知れない苦悩がある。妻コレット(恋の骨折り損」カーメン・イジョゴ)との関係は少しずつ冷たさを増し、暴力によって奪われていく命に心を痛め、歩みが止まりかけることもある。キング牧師の強さと弱さが混ざりあうように綴られることで、私たちはその隣に彼を感じる。

そしてそれはデヴィッド・オイェロウォという存在なしに成立することはなかっただろう。人々を鼓舞する言葉の数々、言葉と共に繰り出される一挙手一投足、暗がりの中で苦悩を抱き、電話越しに讃美歌を聞きながら目を閉じるオイェロウォの姿、その全てにキングの魂が宿っている。例えキング牧師を知らなかったとしても、オイェロウォの神憑り的な演技が、彼が生きた意味を私たちに刻みつけてくれる。

ブラッドフォード・ヤング(「セイント」「アメリカン・ドリーマー 理想の代償」)のカメラは真っ直ぐに登場人物たちの顔を見据える。ファーストショットには正にキング牧師の顔が全面に映る。スピーチを口ずさみながら、ネクタイの似合わなさに少し憂いを見せる、静かな威厳と微かな人間臭さが交わる顔つき。それはセルマでの行進にも繋がっていく。キング牧師と共に歩む人々。彼の顔に続き、老若男女様々に力強い顔が映し出されていくが、その全員が同じ方向を眼差している。そして2回目の行進には黒人だけでなく白人たちの顔が現れる。一人一人が眼差しを重ねあわせ、誰もが選挙権を持つ未来、希望ある明日を見つめ、いつしか私たちの心すらも貫いていく。

2015年6月17日、サウスカロライナ州チャールストンの黒人教会に銃を持った男が押し入り、9人もの尊い命が一瞬にして奪われた。男は黒人を下等人種とみなし、劣等であるがゆえに殺害は正当化されると、余りに身勝手な主張を行っていた。人種差別を内包したこのようなテロ行為、ヘイトクライムは跡を絶たない。もちろんアメリカだけではなく、何処ででも悲劇は起こっている。

 One day when the glory comes
 It will be ours, it will be ours
“いつか、栄光は訪れる/それは我らのものだ”

そのいつかはまだ遠い、キング牧師が目指した平等にはまだ遠い。

 Now the war is not over, victory isn't won
“まだ戦いは終わっていない/勝利もまだこの手にはない”

しかし希望はある。「グローリー/明日への行進」は祈りだ、希望への高らかな祈りだ。この映画に心を揺さぶられたなら、涙を流したならば、感動を一瞬の感動のままにしてはならない。そして、いつだって自分はキング牧師と手を携える者である、そんな慢心も捨て去る必要がある。今だって自分はキング牧師に矛先を向ける立場にいるかもしれない、と言い聞かせる必要がある。その上で私たちは、キング牧師と彼の同胞たちが残した夢を受け継いでいかなければならない、その夢と共に一歩でも前へと進まなければならない。

 Selma is now
この映画とは“今”なのだから。[A]