さて、ルワンダである。この国で有名なのは哀しいが虐殺という痛ましい歴史だろう。現在は目覚ましい復興を遂げているが、その虐殺の前、ルワンダにどんな現実が広がっていたか知っている人は少ないのではないだろうか。今回はそんなルワンダの知られざるを歴史を描き出した作品、Atiq Rahimi監督作"Our Lady of Nile"を紹介していこう。
舞台は1973年、ルワンダは10年前にベルギーからの植民地化から解放されながらも、その影響は未だに甚大な物だった。そんな状況でベルギーの白人たちが経営するキリスト教系の寄宿学校で、ルワンダ人の少女たちはこの国の未来を担うため勉学に励んでいた。そんな彼女たちが今作の主人公である。
まずこの作品は少女たちの青春を描き出していく。学校で勉強をする傍ら、彼女たちはマリア様に奉仕するために活動をする。だが学校には様々な少女がいる。ある男性に恋文を書く少女がいれば、数学のテストでカンニングをして教師に叱られる少女がいる。そこには青春の輝きが宿っているのだ。
監督であるRahimi(日本では小説「灰と土」「悲しみを聞く石」の作者として有名だろう)の演出は溌剌として軽妙なものだ。彼はルワンダの豊饒なる大自然に囲まれながら、少女たちの青春が弾けていく様を軽やかに捉えていく。どの少女たちも等しく賢く、等しく無邪気であり、そんな彼女たちの笑顔がそうして捉えられていく光景には喜びが満ち溢れている。
だがそこにルワンダの当時の状況が否応なく関わってくる。学校ではフランス語の使用が厳守され、彼女たちの母国語であるルワンダ語は禁じられている。自分たちの言語を使えない心労はいかばかりのものだろう。学校の授業でもヨーロッパの歴史は教えられながら、ルワンダの歴史は顧みられることがない。少女たちは猛烈なまでに白人化・ヨーロッパ化されていっているのである。
そんな中で印象的な挿話がある。学校の近くにはプランテーションが存在するのだが、少女の1人であるヴェロニカ(Clariella Bizimana)はその領主であるフォンテナイ氏(Pascal Greggory)と出会う。彼に肖像画を描いてもらったことで親交を深めた彼女は、フォンテナイ氏が自分の民族であるツチ族を崇拝していることを知る。そんな彼の異様な執着に感化され、彼女は民族主義的な思想に陥っていく。
ここにおいては少し解説が必要だろう。元々ルワンダでは人々は平穏に暮らしていた。だがドイツやベルギーなど白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを外観の違いから人種を区別し始め、多数派のフツ族は差別的な扱いを受けることになる。その中でツチ族は、白人たちから高貴と見做されていた。この歴史が2人の関係性には反映されているのである。
そして事件が起こる。グロリオサ(Albina Kirenga)という少女はフツ族であるのだが、ある時彼女たちは自分たちのした悪戯を隠すため、ツチ族に襲われたをつく。この嘘は学校に衝撃を与え、それは広く波及していく。更に現状に不満を持っていたグロリオサはフツ族としての誇りに目覚め、ツチ族との対立を煽り始める。
不穏なる現状が物語を包みこむにつれて、前半に見られた瑞々しさは跡形もなく消えていく。少女たちの絆は容易く崩れ去り、その間には不気味な緊張感ばかりが満ち渡ることとなってしまう。そこに安らぎは存在しない。憎しみと恐怖だけが少女たちの心を突き動かしていく。
今作はフランス在住のルワンダ人小説家Scholastique Mukasongaの同名小説を元にしている。実際の経験に裏打ちされた物語は生々しく、痛切だ。そして物語は憎しみの激発に直面する。少女たちは大いなる歴史のうねりに巻き込まれていく。全てはもはや後戻りできないところまで来てしまっている。私たちは、鮮烈なまでの衝撃を以てそれを知ることになるだろう。