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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ヴァヒド・ジャリルヴァンド&"Wednesday, May 9"/現代イランを望む小さな窓

現代イラン映画といえば、まずは彼女が消えた浜辺「別離」アスガー・ファルハディ、イラン当局に映画製作を禁止されながらもこれは映画ではない」「閉ざされたカーテン」ジャファール・パナヒペルシャ猫を誰も知らない公開延期の末に今年やっと公開された「サイの季節」バフマン・ゴバディなどが思い浮かぶだろうし、このブログでは"Jazireh Ahani"「グッドバイ」モハマド・ラスロフアメリカに生きるイラン系の映画監督デジリー・アッカヴァンなどを取り上げてきた。そして若手作家も次々と登場し始めている訳で、イラン版アフターアワーズ"Madare Ghalbe Atoomi"を作ったAli Ahmadzadeや、イランの結婚制度を痛烈に批判する"Nahid"Ida Panahandehなどなど。ということで、ヴェネチア国際映画祭特別編その6、今回紹介するのはイランの新人ヴァヒド・ジャリルヴァンド監督と彼のデビュー作"Wednesday, May 9"だ。

ヴァヒド・ジャリルヴァンド Vahid Jalilvand は1976年イランのテヘランに生まれた。15歳で舞台俳優としてデビューし、テヘラン大学では舞台演出について学ぶ。卒業後はTV局で監督・編集として働きながら、イランの社会・産業をテーマとしたドキュメンタリーを30本以上製作する。その積み重ねの末に作った"Wednesday, May 9"は彼の映画監督デビュー作でもあり、映画俳優デビュー作でもある。

ある日の新聞、貧しき者に無償で100万を分け与えるとの広告が載る。広告の主はジャラール・アシュティヤニ(ジャリルヴァンド監督が兼任)という男、彼の住むマンションの入り口にはお金を恵んでもらおうと多くの人々が集まり、大混乱に陥ってしまう。ジャラールは複雑な表情で以て、窓からその光景を眺める。

この"Wednesday, May 9"は1つの広告と3人の登場人物を通じて、イランの現代を描こうとする。イラン映画といえば登場人物を淡々と、しかし徹底的に苦境へと追い詰めていき、彼らの苦悩に倫理への問いを浮かび上がらせるスタイルをとることが多いが、これも正にその系譜にあると言える。が、この映画でそれが成功しているかと言えば微妙な所だ。

誰も彼もが貧しさを叫ぶその群衆の中に、瞳に憂いを湛えた女性レイラ(自身も映画監督であるNiki Karimi)と彼女の娘ヘリアの姿もあった。一度はその場を離れたレイラだったが、誰も居なくなった真夜中、彼女はマンションへと舞い戻りジャラールと“再会”を果たす。ぎこちなく過去について会話を交わしていく2人、そのうちにレイラはジャラールに語り始める、夫であるアリがあることが原因で下半身不随となってしまった、彼を治すためには手術が必要だがそれには大金が必要なのだと。2人は別れ、レイラは家へと戻るが、そこには車椅子に乗り絶望に打ち沈んだアリが待っている。

そしてもう一人の主人公がセタレー(Sahar Ahmadpour)だ。彼女はモルテザという男と互いに愛し合う仲だが、2人に対して憎しみを向けるのはセタレーの叔父であるエスマイルだ。彼はセタレーの行動を逐一監視し、男の元へ行くとなると彼女を執拗に罵倒し暴力すら振るう。ある日セタレーの家へとやってきたモルテザとエスマイルは口論の末、殴り合いの喧嘩にまで発展、そしてモルテザだけが暴行の容疑で逮捕されてしまう。エスマイルは損害賠償として大金を要求、住んでいた家からも追い出されたセタレーにそんな金額を払える余裕はない。しかしセタレーは友人から広告について聞き、一僂の望みを託しジャラールの元へと向かう。

貧困、女性差別、都市に生きる人々の風景、"Wednesday, May 9"はイランの様々な問題を観客へと提示するが、物語としては少しアンバランスな印象を受けることともなる。レイラ、セタレー、そしてジャラールと3人の人生模様の描き方にバラつきがありコントラストは歪だ。テーマについても表層的で、他の映画が既に深く深く切り込んでいるだろうテーマを描くならば新しい見方を提示してこそだが、そこまでの深度はない。

3章においては広告を出した張本人であるジャラールに視点がうつっていく。彼の目的は純粋に貧困に喘ぐ人々を助けたいという思いだ。しかし殺到する群衆を目の当たりにしたジャラールはいかに貧困が人々に広まっているかを知り、愕然とする。そして集まった者たち一人一人と面接を行い、貧困の凄まじさを聞くたび彼は打ちひしがれるしかない。そしてこの作品の最大のテーマとしてヒューマニズムとその挫折が浮き立つ。自分の行ったことは軽率すぎたのではないか、むしろこの良心の発露が更なる不平等と憎悪を促すのではないかと悩む。そこには親愛の情を尊重するべきか、それともその情こそ排除するべきなのか。そんな様々な問いが飛び交う終盤で、倫理の深部へと刃が行き着くことはないが。

"Wednesday, May 9"は現代イランをまなざすための窓となってくれはするだろう。しかしそこからさらに奥へと、普遍的な倫理への洞察をもたらすまでには至らない。[C-]

"Wednesday, May 9"は期間限定でSala Webにて配信中。見方はこちらのページ参照。

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ヴェネチア国際映画祭特別編
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