現在、ルーマニアでは同性婚禁止の動きが活発化している。政府が国民投票によって結婚についての憲法条項の改訂を決めたのである。もしこれによって本当に同性婚が禁止されてしまったならば恐ろしいことだ。LGBTQである人々の権利が著しく侵害されてしまうのだから。そんな状況で大事なことはルーマニアにおいてLGBTQの人々の現実がどうなっているのかを知ることだろう。何事も知ることからこそ始まるのだ。そこで今回は中でもルーマニアに生きるレズビアン女性たちの愛の風景を描き出した作品である、Bogdan Theodor Olteanu監督作“Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă”を紹介していこう。
今作の幕開けを飾るのは、とある女性2人(Silvana Mihai&Florentina Nastase)のSkype上での会話の数々だ。特にどうということはない会話を繰り広げた後、彼女たちは1人の女性、背がとても高い女性についての話(タイトルの意味はこれである)を始める。彼女の隣にいると自分が小さく思える、彼女とは海辺で会ってそれからファックした……2人の共通の友人、というか共通の元恋人の話を通じて、彼女たちは少しずつ仲を深めていく。
そうして2人はーー劇中では名前が明かされないので、ここでは演者の名前を借りてシルヴァナとフロレンティーナということにしようーーシルヴァナの部屋で一緒に会うことになる。ワインを片手にSkypeの延長上にある他愛ない会話を繰り広げ、フロレンティーナが製作したドキュメンタリー作品を見て、いちゃいちゃするかと思えばシルヴァナがフロレンティーナの唇をかわしたりと2人は近づいたり遠ざかったりとを繰り返し続ける。
Olteanu監督の演出はリアリティ重視のものだ。彼は撮影監督Mihai Marius Apopeiと共に手振れの濃厚なカメラで以て、目前の光景をストイックに撮し取っていく。そうしてスクリーンから溢れるのは生々しい空気感だ。彼女たちの息の音や熱が、観客にこれでもかというリアルさを以て迫ってくるのである。それは例えばレズビアンが主役の映画でも「キャロル」などとは対局に位置するような演出指向と言える。あちらはもっと壮麗な形でレズビアンの愛を描き出していたが、こちらはとにかく地に足がついている、無駄を削ぎ落とした素朴さが要だ。現実が観る者に肉薄してくるとそんな印象を受ける。
さて恐らく何度も書いているが、私はこのブログでマンブルコアというゼロ年代に始まった米インディペンデント映画界の潮流について記している(知らない人はこのページから追っていこう)超低予算であったりアドリブが主体で会話が常時モゴモゴしているといった特徴がある他、関係性と肉体性を密接に絡ませながら物語を描くという大きな共通点が存在する。その意味で今作は正にルーマニア版マンブルコアと形容するべき作品だ。特に初期のジョー・スワンバーグ作品に顕著だが、肉薄するような生々しさの中で動作=肉体性が重視される様はマンブルコアの演出形式と似通っている。
それは劇中で流れるドキュメンタリー映画にも反映されている。そのドキュメンタリーとは同棲中であるレズビアンカップルの日常を淡々と映し出した作品だ。一緒にキッチンを隅々まで掃除する、ベッドに寝転がってイチャイチャする、お風呂に入りながら煙草を吸う、そういった何気ない日常の数々が淡々と浮かんでは消えていく中に、彼女たちへの愛おしさが溢れてくる。
音が録音されていない故に生活音や会話は聞こえることがなく、私たちはダイレクトに彼女たちの動作だけを味わうことになる。固定カメラで静かに紡がれていく風景には生の表情や動作が浮かび上がり、その親密さが濃厚に伝わってくる。そして特に片方が片方にマッサージを施す場面においては、肉体性こそがこの関係性の中心にあるのだということを饒舌に語っている訳だ。
ここでシルヴァナたちの物語に戻ろう。私たちは彼女たちの交流を眺めるうち、2人の性格には決定的な違いがあることに気づくだろう。つまりフロレンティーナは関係性を築くのにとても積極的である、しかしシルヴァナは関係性を築くのにとても臆病であるという違いだ。そんな2人が互いの異なる性格を見据えながら、狭い部屋の中で心のうちを探りあう姿は、恋愛に身を浸したことがある人ならば身に覚えのあるだろう光景だろう。それを監督は胸に迫る切実さで以て捉えていくのだ。
しかしこの作品において2人が会う場所はシルヴァナの部屋だけであり、一緒に外へ出ることは一度たりともない。唯一部屋の中だけだ。それ故に2人の間には親密さの他にもどこか息苦しさすらも存在しているように思われる。それは宗教などの関係から頗る保守的なルーマニアにおいては、レズビアンであることを隠さなくてはいけないからというのもあるだろう。フロレンティーナは比較的自由を謳歌しながらも、シルヴァナは親にも自分がレズビアンであることについてカミングアウトできていないクローゼット状態なのもあり、苦しみは計り知れない。閉じられた部屋でしか自分を表現できない悲しみの存在が、今作に暗い影を投げ掛けていることは確かだ。
恋することの喜びも隠れて生きることの苦しみも含めた上で、“Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă”はルーマニアに生きるレズビアンたちの等身大の愛の物語を描き出した作品だと言えるだろう。彼女達がどこか息苦しくも親密に互いの心を探りあい辿り着く先にある物とは一体何なのか。ルーマニアで同性婚禁止の動きがある今観られて良かった作品だ。