鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

日本よ、これがイタリアパチモン映画界だ!「ラストコンサート」その2


そうです、私がオヴィディオ・G・アソニティスです

「さてその2である。前回の宿題、『何故オヴィディオ・G・アソニティスという男は、パチモン映画ばかり作るのか?』という問いについて答えは出ただろうか?」

「正直、そんな映画を量産する理由なんて一つしか思い浮かびませんよね」

「ほう、してそれは何だろう?」

「それは“金儲け”のために決まってるじゃあないですか…………
 そりゃあそれならば、冒険して売り物になりやしない前衛的映画を作るよりも確実に興行収入が見込めますものね。金を稼ぎたいのならば、誰だってそうしますよ。金の為だけにだったなら」

「何か他に言いたいことがあると見受けるが?」

「………まあ、ありますけれど。こういう映画を愛する方の前で言うのはどうも……」

「君の忌憚なき意見を聞かせてもらいたいのだ。遠慮などする必要はない」

「…………………………こんな!こんな金儲けに魂を売り渡したパクリ映画に一体何の価値があると言うんですか?映画と言うのは人々を魅了し楽しませ、時には当惑させ驚きの極致へと至らしめる、そんな新たな世界への旅路と成り得る藝術じゃあないのですか?
 私は子供の頃に見た『ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」の感動を忘れる事は出来ませんし、大人になってから午前10時の映画祭で鑑賞した『昼顔』の陶酔を今でも鮮やかに思い出すことが出来ます。映画は、携わった方々の類稀なる決意と熱意が存分に籠もった素晴らしい、余りに素晴らしい藝術作品であらねばならない。
 ですけれど!ですけど、パクリ映画はどうです?金が儲けられればそれで良い、バカな観客をだまくらかし、物好きな好事家に媚を売り、何の工夫もないエピゴーネンで以て金を巻き上げる、そんな魂胆が見え隠れするような志もへったくれもない、映画の皮を被った醜い紛い物!
 観客を侮辱し、映画という概念そのものの地位を著しく毀損する、唾棄すべき卑劣極まりない存在だとしか、私には思えないのです………っ…………!」

「君の怒りも最もだろう!だが一つ見誤ってはならない。
 パクリ映画自体そのものに罪があるというのか?君の言う意味において罪深きは、そのような映画を作り出して金を儲けようと画策するプロデューサーたちに他ならない!」

「その“プロデューサー”という巨悪の根源が、オヴィディオ・G・アソニティスだと………」

「そうだ、彼は70,80年代イタリア映画界を牛耳ってきた存在であった。
 おそらく彼ほど的確に金の匂いを嗅ぎつけて、凡ての映画で興行収入を荒稼ぎした人物は彼をおいて他にはいない。例えディノ・デ・ラウレンティスメナハム・ゴーランロジャー・コーマンカルロ・ポンティと言えども、彼には敵わなかった。確かに彼らを含めると本数はそれほどの物ではない。しかし『デアボリカ』においては製作費35万ドルの所を興行収入1500万ドルを稼ぎ出すというように、1本当りの荒稼ぎっぷりは他の追随を許さなかった。しかも凄まじいのは、その1500万ドルがアメリカだけにおける興行収入だということだ。全世界に枠を広げるならば、その金額はどうなるかは全く想像がつかないところだ………」

「ケタ違い過ぎて、私にも………」

「そしてアソニティスがそんな巧妙なる打算的意図の下に『デアボリカ』『空手ドラゴン』製作、と時流に乗った最盛期において作られた作品こそが『ラストコンサート』という訳である。その意味は君にも分かるだろう?」

「………………………………認めたくないです…………っ………この映画が二番煎じに過ぎず、しかも金儲けの道具でしかないなんて。そんなこと認めてしまったら……………っ………あの、あの感動が日々の泡のように消えてしまうような気がして……………」

「そんな感動ならば捨ててしまうがいい。“搾取”という側面込みで愛することの出来ない感動ならばな。
 さあ、続けよう。この『ラスト・コンサート』は………

「いや!いや!もう良いじゃあないですか!そんな感動を無意味という灰燼に帰す背景を、無理に啓蒙する必要が一体どこにあるというのですか?!穿り返す必要のない事実ならば、敢えて白日の下に晒す必要が一体どこに!?誰も得や損さえもする訳もありはしない、少なくとも、少なくとも私は、その事実を更なる言葉とすることをしたくは………私はそんな事実は知りたく……………………ない……………です…………っ………………!」

「君は知るべきだ。映画とは綺麗事のみで出来ている筈がないのだと。Z級映画を知るのであれば、綺麗事など通用しない映画の暗部という物を知らなくてはならない………
 『ラスト・コンサート』はいわゆる“難病もの”というジャンルに分類される映画と言える。
 “難病もの”とは主に不治の病に侵された少女もしくは子供が、愛のため、そして自分の願いの為に、限られた時を懸命に生きる姿を描いた作品だ。日本では1963年に吉永小百合主演『愛と死を見つめて』や、最近では『世界の中心で愛を叫ぶ』『恋空』など、昭和期から今にかけて連綿と作られている人気のジャンルと言える。
 だが映画界において、このジャンルに火を付けた作品といえば『ある愛の詩』だろう。
 『ザ・ドライバー』のライアン・オニールと『ゲッタウェイ』のアリ・マッグローの瑞々しくも哀しき愛の物語は世界を席巻した。そして燎原の火が広がる如くに、その売れ行きに味を占めた業界人によって、“難病もの”が次々と世界各地で作られていった。
 『エリックの青春』『ジョーイ』『ラスト・クリスマステレンス・ヤング監督の『クリスマス・ツリージョン・トラボルタ主演の『プラスチックの中の青春』など、その数は枚挙に遑が無い。
 そしてイタリアでも同様の“難病もの”が作られた。まず初めが『メリーゴーランド』である。

 この映画を製作した者こそオヴィディオ・G・アソニティス、更には父と子の心の交流、それを丹念に描き出した監督は、これを作った5年後に『ハイティーン襲撃・恐怖の女子陸上競技部暴行事件』を作ることとなる職人監督ライモンド・デル・パッツオだ」

「ああ、何と言うか、本当に…………度し難いですね………」

「その『メリーゴーランド』の性交によって、更なる荒稼ぎを目論んだアソニティスは、パクリ映画界歴戦の精鋭たちを召集し、そして作り上げた傑作がこの『ラストコンサート』だった。
 さあ、スタッフを紹介して行こう。
 監督は『スターウォーズ』をパクッた『スタークラッシュ』や、『エイリアン』をパクッた『エイリアンドローム』でその名声は博した、パクリ界の貴公子ルイジ・コッツィ!


スターウォーズmeetsエロス!

 脚本は『ジョーズ』をパクッた『テンタクルズ』を書いたことでもお馴染みソニア・モルテーニ他2名!
 撮影は上述の『テンタクルズ』に、『ジョーズ』をパクった『ピラニア』の続編『殺人魚フライングキラー』の撮影を担当したことで知られているロベルト・デットーレ!
 そして音楽は『痴情の沼』『夜行性情欲魔』『復讐警部・白昼の凶悪爆殺魔』『美女学園に隠された愛欲の罠』『ショー・コスギ'88/復讐遊戯』『ぼくの名犬テンペスト』とパクリ界に止まらず、ジャンルを越境に越境する職人ステルヴィオ・チブリアーニ!


ショー・コスギ様が見てる

 そして製作に日本人の古川勝美という人物が関わっていることも見逃してはならない。もっとも日本ヘラルドが資金提供を行ったゆえに、別に何をしたでもないがクレジットに記名されているだけのようだが」

「にしても殆どの方が、パクリ映画に関わってらっしゃったんですね………」

「そうだな、それ程にイタリア映画界ではパクリ映画が横行していた。
 いやむしろ、パクリはイタリア映画界の文化だったと言った方が正しいだろう。世界で人気が出た作品については、金が稼げそうならば問答無用で殆どパクった。引用から剽窃まで何でもアリだった。
 『用心棒』をパクった『荒野の用心棒』から、007をパクった077シリーズ、『エマニエル夫人』をパクッた黒いエマニュエルシリーズ、『ゾンビ』をパクッた『サンゲリア』や『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』など有象無象のゾンビ作品など、数多のパクリ映画が世に出され、そして娯楽として消費されていった。それで稼いだ金でまたパクり映画を製作するという、その繰り返しでイタリア映画界は生存し続けていたのだ。
 そしてイタリアパクリ映画の節操の無さを語る上で欠かせないのが、ウンベルト・レンツィとルッジェロ・デオダートの食人映画戦争である」

「またきな臭さがプンプン……」

「『世界残酷物語』より端を発した、未開の部族の奇妙な生態を見世物として観客に提供する映画体系はイタリアに容易く定着していった。そこから分岐して、特にカニバリズムという、犯すべからざる禁忌を踏み越える驚愕の部族を描き、観客たちの下衆なる好奇心を満たすための映画群が誕生した。それを俗に『食人映画』という。
 その第一号がウンベルト・レンツィの『怪奇!魔境の裸族』だった。先にもこの映画は話題に上ったが、アソニティス製作という意味以外においても、実はエポック・メイキング的映画であったのだ、これは。


これから彼がどうなるかは、皆さんにもお分かりになると思います

 そこでヒットした故に二番煎じ映画が俄然増殖していったのであるが、中でも二番煎じという枠を超え世に評価された食人名画がルッジェロ・デオダート監督の『カニバル/世界最後の人喰い族』だった。実は便乗食人映画である以上に1966年製作の『裸のジャングル』という映画のプロットをモロにパクっているのだが、その二重のパクりが功を奏し卓抜なる作品として評価されることとなった訳だ。ただ人を喰らうでなく、ちゃんとはらわたを摘出した上で、熱した石をバナナの皮で包んで、それをはらわたの代わりに詰めて焼く、そんな無駄に凝った調理法が話題にもなった。


未開の民は、都会の男のチンコに興味津々!


 だがその成功に腹を立てたのが、当のレンツィである。『怪奇〜』の後に『ミラノ殺人捜査網』などの刑事アクションや、『秘録ブルース・リー物語』というブルース・K・L・リー主演のパチモン映画を作っていた彼は、満を持して食人映画界へとカムバックし作られたのが『食人帝国』ガイアナ人民寺院集団自殺事件をモチーフとして意欲作である。


教祖様。演ずるはその筋では有名なアイヴァン・ラシモフ

 それに対しデオダートは矢継ぎ早に食人映画を作り上げた。食人映画の最高傑作『食人族』である。モキュメンタリーという体裁を取って撮影された『食人族』はセンセーションを巻き起こし、イタリアどころか全世界に衝撃を与えたのだった。


この串刺し女性図は、映画を見ていない方でさえ知っているやも

それにブチ切れたレンツィはグロテスクの集大成として『人喰族』を製作。しかしグロティシズムばかりが先行して『食人族』には遠く及ばないデキだった。そしてパクリに次ぐパクリに次ぐパクリ、二番三番四番煎じの泥試合の末――というかおそらく他に金を稼げるジャンルを見つけたのだろう――うやむやのままに幕を閉じた。
 とにかく金が儲けられそうなら存分にパクり、しかしそれをパクられたら更にパクり返す。そんなイタリア映画界の旺盛なバイタリティが見て取れる逸話だと言えよう」

「いやぁ、バイタリティというかそういう問題では……」

「だがこの話には続きがある。そんな食人戦争の最中、ジョー・ダマトという監督は先述の黒いエマニュエルシリーズに食人映画を掛け合わせた『猟奇変態地獄』というパクリ×パクリ映画を製作して、ちゃっかり漁夫の利を得ていた、という続きが」


お気づきだろうか。本家エマニエルEmmanuelle夫人と違いmが一つ少ないことに。訴訟対策である

「この時代のイタリア映画界は一体どうなっているんですか!堕落と腐敗しかない!」

「それが良いんじゃあないか。これでこそZ級映画!これでこそイタリアなのだ!
 もっともっとこの時代のイタリアZ級映画は、世に知られねばならないだろう!というか私がこのブログでもっと広めていきたいと思っている!次回はアソニティスの前世代、Z級映画界の基礎を形成した監督について語る事としよう。
 それではArrivederci, Arrivederci, Arrivederci !」


この人は一体誰でしょう?第二問目