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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ソ連の誇りはアイスホッケーに託される「レッド・アーミー〜氷上の熱き冷戦〜」

ソ連”についてあなたは何を知っているだろう?“冷戦”についてあなたは何を知っているだろう?そして“アイスホッケー”についてあなたは何を知っているだろう?……「レッド・アーミー〜氷上の熱き冷戦〜」は“ソ連”“冷戦”“アイスホッケー”という3つを描きだしていくドキュメンタリー作品だ。そしてその3つの交錯は今まで見ることのなかった歴史の新たな一面を、私たちに見せてくれる。

ドキュメンタリーの中心人物はソ連の名門ホッケーチーム“レッド・アーミー”の花形選手であったスラヴァ・フェティソフだ。「あの、インタビューを始めたいのですが……」「少し待て、こっちはお前たちと違って忙しいんだ」そんな妙に可笑しい掛け合いを始まりとして、物語は語られる。第二次世界対戦終結から13年後、1958年にフェティソフは生まれた。彼は運命に導かれるようにアイスホッケーに夢中になっていき、そして10歳で彼は“レッド・アーミー”入りを果たすこととなる。冷戦真只中の時代、戦争の道具は武器だけではない、スポーツもまたそうだ。スターリンが設立した“レッド・アーミー”はその筆頭であり、西側諸国に共産主義の威光を見せつけるための有用な道具であったのだ。フェティソフは監督アナトリー・タラソフ(彼の娘は著名なフィギュア・スケートのコーチであるタチアナ・タラソフ)に才能を見初められ、メキメキと頭角を表していく。16歳で初の海外遠征を果たし、強豪カナダとの戦いに臨む。「5戦全勝だったよ」冒頭の渋い顔から一転、フェティソフは少年のような笑顔を浮かべそう答える。大方の予想を裏切りソ連は大勝、その名を世界に広める。

「10歳の私にとってさえ、一番大事なのは愛国心だった」そんな言葉がインタビューで語られる中、1980年、レークプラシッド冬季五輪が開催、折しも同時期にソ連アフガニスタンへの侵攻が開始され、誰が望むも望まないも関係なく、試合は冷戦の延長戦上に位置することとなる。ソ連は強豪を次々退け決勝へと進出、その相手はアメリカだった。

監督のゲイブ・ポルスキーはアイスホッケーとフェティソフがいかに冷戦の構造に組み込まれていき、その結果どのようなパワーゲームが世界で繰り広げられたかを描き出す。しかしその語りに重苦しい閉塞感はない。劇中、幾度となく“レッド・アーミー”の試合風景が映し出されるが目を惹くのはパス回りの流麗さ、氷上に刻まれる自由自在なる軌跡、あるジャーナリストは“レッド・アーミー”を評してこう言う。「彼らはアイスホッケーを芸術の域にまで高めた」ポルスキーの語りは“レッド・アーミー”の軌跡をなぞるような軽妙さを伴い、観客を知られざる歴史へと誘う。

オリンピック後“レッド・アーミー”内で顕在化するのは、新監督ヴィクトル・チーホノフとフェティソフら選手の対立だ。チーホノフは古株のプレイヤーを殆どクビにしチームを再編成、彼らに過酷な鍛練を課し、対立の熱は高まっていく。しかしそんな中で生まれる、フェティソフを筆頭とした最強の5人組“ロシアン・ファイブ”は、ソ連に栄光を運びことともなる。そしてチームの光と闇は混ざりあいながら、ソ連という存在の揺らぎへと収斂していく。

ソ連時代、個人は絶対服従を強いられ、逆らうことなど出来ませんでした」物語が進むにつれて、アイスホッケーは冷戦の象徴からソ連と個の対立の象徴として描かれることとなる。「若さを浪費してしまった」とそんな言葉を残し舞台から去る者もいれば、ソ連という国に不信感を抱きながらも選手としての活躍を選択する者、だが選択肢はそれだけではない、個人にとっては理想的だが国家にとっては致命的な選択が1つ、その選択をめぐって個はソ連と駆け引きを図り“レッド・アーミー”内でも様々な動き――例えば協力、例えば裏切り――が巻き起こる。その中心にいるのはやはりフェティソフだ。長い道のりの中で彼が抱く苦悩、そそて意地を知ることで私たちは、確かに存在しながら今まで語られることのなかった、知られざる歴史の一ページを目撃することになるのだ。

「レッド・アーミー〜氷上の熱き冷戦〜」は、私たちの世界への理解を広げてくれるドキュメンタリー映画だ。語られるフェティソフと自身を語るフェティソフ、彼が彼になるまでの40年間を知ることになれば心に何ともいえぬ余韻が広がるはずだ。もしかしたのなら、その唇に笑みさえ浮かぶほどに[B+]

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