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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために

ホベルト・ベリネール Roberto Berliner は1957年6月ブラジルに生まれた。大学ではソーシャル・コミュニケーションについて学び、1978年からは映像業界で働くこととなる。スーパー8で学生運動についての短編を製作し、1988年からはTV局でドキュメンタリー作りを始める。代表作は独立を果たしたアンゴラの文化・実情を描く"Angola"(1991)、教会で聖歌を唄うことを生業とした盲目の三姉妹を追った"A Pessoa E Para o Que Nasce"(2003)、ブラジルのロック界で最も成功したバンドParalamas do Sucessoのフロントマンであるエルベルチ・ヴィアンナ、彼の過去と飛行機事故によって妻と体の自由を失った現在の姿を追う"Herbert de Petro"(2009)などがある。2014年には初のフィクション映画"Julio Sumiu"を監督、息子が行方不明になり捜索にあたる両親がとある犯罪計画に巻き込まれるクライム・コメディだという。そして2015年、彼は第2劇長編「ニーゼ」を手掛けることとなる。

1944年リオ・デ・ジャネイロ精神科医のニーゼ・ダ・シルヴェイラ(「監獄の記憶」グロリア・ピレス)は郊外の精神病院へと着任することとなる。しかし内部は荒れ果て、かつての面影は何処にもないことにただ驚くしかない。彼女は研究発表の場に赴くのだったが、ドアを開き部屋へと入った瞬間にニーゼを刺し貫くのは人々の好奇の視線だ。彼女はいったい誰だ、何故こんな所に女がいる、そんな男性社会の洗礼に対しニーゼは狼狽えることなく席に腰を据える。だが医師たちが誇らしげに発表する治療法、アイスピックによって脳の一部を取り除くロボトミー手術、患者にショックを与えることで精神疾患を完治させるという電気治療、患者を人とも思わぬ方法の数々にニーゼは衝撃を受ける。そして目の前で電気を流され泡を吹きながら気絶する患者の姿を目の当たりにした彼女は決意する、この状況を絶対に変えなければならないと。

既存の治療体系に迎合しようとしない彼女に対し、医師たちは敵意を向けることも厭わない。来訪してすぐニーゼは誰にも顧みられない作業療法部へと送られ、島流し同然の扱いを受けることとなる。何もかもが機能していないこの場所で、それでも彼女は患者たちを救おうと奔走するのだが、その思いは彼らに届くことはなく、ニーゼは傷つき続ける。そんなある日彼女はアウリール(フェリッペ・ホッシャ)という青年と出逢い、この病室をアトリエにしないかという提案を受ける。芸術は患者たちの心を治すのか、ニーゼはこの可能性に賭けようと思いを固める。

ベルリネール監督はドキュメンタリー的なアプローチを使って、ニーゼの信念の行方を描き出そうとする。芸術療法を試みるために、患者たちを病室に集めたニーゼは彼らがこの部屋で何をするのか、どう動くのかを眺め続ける。手を出そうとする看護師に対して彼女は諭す、手を触れないで、彼らの動きを良く"観察"しなさいと。その言葉はまたベリネール監督自身の演出とも共鳴する。彼は撮影監督のアンドレー・オルタと共に眼前の光景を静かに見据えるのだ、何をも見過ごさないように、彼らの生が煌めく瞬間を見逃さないように。

そしてフェルナンド(ファブリシオ・ボリヴェイラ)という男がアウリールに促されて、絵筆をその手に持つ。彼は最初どうしていいのか分からず、筆と紙、そして色とりどりの絵の具が置かれたパレットを見つめるしかない。だが意を決して筆に絵の具をつけ、恐る恐る紙に一本の線を引く。彼は再び紙を見つめる。そうだ、フェルディナントもまた、ニーゼやベルリネール監督と心を同じくして観察しているのだ。一本また線を引く、さらに色を変えてもう一本の線を引く、彼の筆は止まらなくなる。完成するのは色彩に溢れた絵画、響くのはフェルディナントの声なき叫びだ。誰かに自分の思いを伝える術を忘れてしまった彼は、ニーゼと絵筆によって言葉を取り戻す。それは他の患者たちも同じだ、彼らは芸術を作り出し思いを響かせる、私たちは生きているのだと。そうしてニーゼとフェルディナントたちが見るのは木々の間から差し込む太陽の光だ、希望に溢れた美しき輝き。

冒頭において、ニーゼは病院を閉ざす硬き扉に何度もその拳を叩きつける。象徴するのは道行きの困難さとそれでも折れない決意。そんな彼女の名を冠したこの作品は、芸術への愛に満ち、生きることの素晴らしさを高らかに歌い上げた讃歌だ。[A]


私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その17 Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で
その18 Ramon Zürcher&"Das merkwürdige Kätzchen"/映画の未来は奇妙な子猫と共に
その19 Noah Buchel&”Glass Chin”/米インディー界、孤高の禅僧
その20 ナナ・エクチミシヴィリ&「花咲くころ」/ジョージア、友情を引き裂くもの
その21 アンドレア・シュタカ&"Cure: The Life of Another"/わたしがあなたに、あなたをわたしに
その22 David Wnendt&"Feuchtgebiete"/アナルの痛みは青春の痛み
その23 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その24 Lisa Aschan &"Apflickorna"/彼女たちにあらかじめ定められた闘争
その25 ディートリッヒ・ブルッゲマン&「十字架の道行き」/とあるキリスト教徒の肖像
その26 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その27 ハンナ・フィデル&"6 Years"/この6年間いったい何だったの?
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その29 サラ=ヴァイオレット・ブリス&"Fort Tilden"/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
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その31 Kacie Anning &"Fragments of Friday"Season 1/酒と女子と女子とオボロロロロロオロロロ……
その32 Roni Ezra &"9. April"/あの日、戦争が始まって
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その36 Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は
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その43 リサ・ラングセット&「ホテルセラピー」/私という監獄から逃げ出したくて
その44 アンナ・オデル&「同窓会/アンナの場合」/いじめた奴はすぐ忘れるが、いじめられた奴は一生忘れない
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その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
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その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
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その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
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