鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動

私はある映画の主人公が中年女性なだけで嬉しくなる。年を取った女優は誰かの"母親"か"妻"役しか来なくなり、脇に追いやられそのまま消えていく、そんな状況があるからこそ中年女性が主人公である映画を観るのはそれだけで嬉しいのだ。今年公開された映画ではイザベル・ユペール主演の「間奏曲はパリで」パトリシア・クラークソン「しあわせのまわり道」なんかがあったが、これらはとってもキュートに中年女性を描いていて素晴らしかった。

だけど私はキュートで幸せな彼女たちだけを観たい訳じゃなく、様々な役柄を演じる彼女たちも観たい、だから、中年女性がもう地獄の苦しみを味わってヒイヒイハアハアなって精神の崖っぷちに追い込まれる映画も大好きだ。例えばジーナ・ローランズ「オープニング・ナイト」や我がオールタイムベスト映画でもある所のシセ・バベット・クヌッセン"The Duke of Burgundy"も大好きだ。ということで今回はそんなこわれゆく女の系譜の最先端にあるオランダ映画"Code Blue"と、欧州を股にかけ活躍するポーランド人作家Urszula Antoniakについて紹介していこう。

Urszula Antoniakはポーランド・チェンストホヴァに生まれた。夫はミュージシャンで脚本家のJacek"Luter"Lenartowicz、しかし2004年に死別。ポーランド映画アカデミーでは映画・TVのプロダクションを、そしてオランダ映画&TVアカデミーでは監督業について学ぶ。大学在学中の1993年に"Vaarwel"で監督デビュー、しかし彼女の名が有名になるきっかけは2004年の"Bijmer Odyssey"だった。今作はTV放送の30分コメディで、アムステルダムの郊外に広がる高級住宅街、2人の若い恋人たちがその迷宮に迷いこみ幾つもの困難に立ち向かいながら再会を願うドタバタ劇だそうだ。"Bilmer Odyssey"はTV作品ながらヨーロッパ国外で放送権が多数売れるなど評判を呼ぶ。そして次回作も同じくTVドラマ"Nederlands voor Beginners"ポーランド人の主人公はオランダ人の恋人と結婚し(ここは少し監督の人生に重なっている)、オランダへと引っ越してくる。友人にも恵まれ幸せな海外生活を送る彼女だったが、アフリカ系の女性が自分の家に清掃員として働くことになり……オランダにおける人種差別とその克服を描いた作品は前作に続き、視聴者・批評家双方から好評を受ける。

そして彼女は2009年、アイルランドで初の長編映画"Nothing Personal"を監督する。主人公のアン(アウトランダー」ロッテ・ファービー)はアパートを引き払い何もかもを捨て去り、故郷のオランダを出て旅に出る。彼女が辿り着いたのはアイルランドのとある田舎町だ、彼女はゴミ漁りをしながらテント生活を送っていたが、ある日同じく孤独な中年男性マーティン(クライング・ゲーム」スティーブン・レイ)と出合い、奇妙な同居生活を始めることとなる。今作はロカルノ映画祭で上映、新人監督賞、CICAE賞、FIPRESCI賞、エキュメニカル特別賞、Jury Award、更に主演のLotte Verbeekが女優賞を獲得、オランダ映画祭では作品賞、監督賞、撮影賞、音響デザイン賞を獲得するなど多大なる評価を受ける。そんな彼女が2011年に監督した第2長編が"Code Blue"だった。

闇にゆっくりと浮かび上がってくるのは老いた男の顔だ、呆けたような表情を浮かべながら目をゆっくりと細めていく、だが突然様子が変わる、男は目と口を大きく開き、首を後ろに捩る、まるで断末魔の叫びを上げているようだが声は何も聞こえない、しかしこの光景を見れば誰もが理解するだろう、今まさに彼から命が失われていっていることを。

紫色のゴム手袋を着け、看護師のマリアン(Bien de Moor)は亡骸に丁寧な処置を施していく。体を拭き、その手を胸に重ね合わせ、彼の顔に布を被せる。遺品を整理するにあたって1つ1つ男の傍らに手帳などを置いていくのだが、同僚の目を盗みマリアンは親指ほどの長さしかない鉛筆をポケットに滑り込ませる。家に帰った彼女はその鉛筆を取りだし、筋張った指の1本1本で感触を味わいつくそうとする。そして彼女は眠りにつく、あの時の亡骸と同じように、手を胸に重ね合わせながら深き眠りへと落ちていく。

映画はこの中年女性マリアンの姿を追い続ける。彼女は孤独な人間だ、仕事以外では誰との付き合いもない。黙々と仕事をこなした後は、真っ直ぐ家へと帰る。部屋の中には引っ越してから一度も開いていないのだろう段ボールが何個も積み上げられ、その上には無造作にテレビが1台だけ置かれている。マリアンは深夜そのテレビで映画を観る、2人の男女が互いへとゆっくり近付いていき、抱き合い、そして口づけを遂げる、彼女は並々ならぬ熱量でもってその場面に視線を向ける。孤独に全身を浸しながらも、内奥には筆舌に尽くしがたい欲動が蠢いている。その欲動が徐々に露になるにつれ、Antoniak監督の演出は研ぎ澄まされていく。

監督はバスの座席に座るマリアンを見据える。彼女の横に立つのは紫色のダッフルコートを着た人物だ、カメラはマリアンの視線位置で固定されているためどんな人間だかは分からない。時間が経つにつれマリアンがそわそわし始める、頻りに顔を右左と揺り動かし落ち着かない、そのうち彼女は偶然を装いながらコートに鼻を近づけ匂いを嗅ごうとする、何か見てはいけない所を目の当たりにしているような背徳の瞬間、官能的な緊張感がピンと張り詰める瞬間、だがその人物はバスから降りていきーーそこで初めて男だと分かるーーしかしマリアンもまたバスを降りる。レンタルビデオ店、彼は2本のDVDを返却する、そして彼女は2本のDVDを借りる。暗い部屋の中に喘ぎ声が響き渡る、微かな明かりに浮かぶマリアンの姿は見る者の心臓を静かに握り潰すおぞましさを湛えている。彼女はここにおいて、一線を越える。

精神の均衡を失い始めた彼女の心象風景を、撮影監督のJasper Wolfは様々に巧みなアプローチで以て捉えていく。カーテンに閉じられた部屋では色濃き影が蛇のようにしなり、マリアンを蝕んでいく。病院の廊下は奥へ奥へと何処までも続きながらもそこに佇むのは彼女だけ、そんな孤独はまたガラスの中で犇めく鏡像の人々とガラスの前で虚ろな表情を張り付けた彼女の対比にも彫啄されている。そして彼がこの映画で結実させた最も劇的なショットは、マリアンが友人を家へと招くシークエンスに宿っている。殺風景だった筈の部屋はむしろミニマルでスタイリッシュな空間へと何時の間に変貌している共に、距離感すらも捻じ曲がっている。それでいてこの中では時間軸すら歪まされる、謎めいた編集によって時間が前後し、いつしか友人2人の存在すら確たる物と思えなくなる時、カメラは一人椅子に座るマリアンの姿を撮す。スーパーフラットな構図で彼女自身が黒い影として存在し、その奥には息を飲むほど美しい青空が広がっているのだ。

マリアンはある日窓から外を眺めていると、男2人が女性をレイプしている現場を目撃する。そして向かいの部屋で同じ光景を、バスに乗っていたあの男(Lars Eidinger)もまた目にしていることに気付く。この時から男への盲執は高まり、現実と幻想は混濁を遂げる。81分というタイトなランタイムの中で、監督はマリオンを首尾よく且つ徹底的に追い詰め、彼女の良心とも言える部分が情念に呑み込まれていく様を画面に刻みつける。

人が堕ちていく姿というものはこんなにも悲劇的で、こんなにもエロティックなものなのか、相反する2つの感情を沸き上がらせることで"Code Blue"は人間存在が抱える複雑微妙なる闇を嫌というほど味あわせる。そしてマリアンと私たちは劇的で激烈な破綻へと導かれる、此処においては言葉も何も意味をなさない境地へと。[A]

“(製作のきっかけについて)今作の場合は、愛する者の死でした。映画監督として、作品ごとに私たちは山を登るという経験を繰り返しますが、この作品において死というテーマを描くのは今まで以上のリスクを犯すことになると自分でも意識していました。前作は叙情的なものでしたが、今作は困難で物議をかもすものとなりました”

“(劇中で描かれる死について)死は生にとって主要な構成物でありながら(中略)私たちに残された最後のタブーでもあります。性は売買が可能ですが死は出来ません、何故なら私たちは理屈を持たない恐怖をおそれ、その精神的コンテクストについて考えることを拒否しているからです。マリアンは私たちの間に生きる死です、メタファー以上の存在なんです。私が思うに、誰もが目を背けたくなる現実が彼女でもあります”

最新作は2014年の"Nude Area"だ。アムステルダム南部の裕福な家庭に生きるオランダ人少女、アムステルダム東部の貧困地域に住むアラビア系の少女、ある夏"Nude Area"と呼ばれるサウナで2人は出会い、愛のゲームを繰り広げることとなる、という作品。ポーランドのグディニャ映画祭、エストニア・タリン映画祭、ミュンヘン国際映画祭などで上映、アメリカのデンヴァー国際映画祭においても11月13日に上映だそう。ということでAntoniak監督の今後に期待。

参考文献
http://cineuropa.org/it.aspx?t=interview&l=en&did=210087(監督インタビュー)

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その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
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その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く