今年、空前絶後のアクション映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は1つのメッセージを高らかに叫んだ――We Are Not Thing! このメッセージに強く勇気づけられた人々は多い筈だ。さてさて今回紹介したい作品も、マッドマックスよりはこじんまりとしているが(というかアレ以上のは今後も登場する訳ないか)、そのメッセージ性の力強さは勝るとも劣らない作品だ。ということでポストマンブルコア世代の作家たちその22では"The Girl in The Book"とその監督Marya Cohnを紹介して行こうと思う。
Marya Cohnはニューヨークを拠点としている映画作家だ。父はハリウッドで名を知らぬ者はいないと言われた伝説的タレント・エージェントSam Cohn。ハーバード大学とニューヨーク大学芸術学部モーリス・カンバー・フィルムスクールで芸術と映画について学ぶ。しかしどちらかと言えば舞台が活動の中心で、HERE Theater、Rattlestick Theater、Dixon Placeなどなど様々な劇場で舞台演出家として活躍する。そして母校のNYUやモンクレア州立大学などでノンフィクション・フィクション問わず脚本執筆について教鞭を取っている。
映画界に携わり始めたのはNYU在学中、"Vermont is for Lovers"には俳優として、そして私的にはポール・シュレイダー監督作品では最も素晴らしいと思っている「ライトスリーパー」には編集インターンとして関わっていた。そして1994年には初の監督作である短編"Developing"を手掛ける。主人公は乳ガンを宣告されたシングルマザー、彼女は癌と闘う過程で思春期を迎えた娘とも対峙せざるを得なくなる、という作品でサンダンス映画祭やシカゴ国際映画祭などで上映、今ではナタリー・ポートマンが初出演を果たした映画としても有名となっている。ここからかなりのブランクが空いた後の2015年、彼女は初長編"The Girl in The Book"を監督する。
朝、アリス(「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」エミリー・ヴァンキャンプ)が目覚めると横には知らない男、胸に覆い被さるのは彼の毛深い腕。こんな状況に陥っている自分にウンザリしながら、彼女は部屋を出て仕事へと向かう。アリスは出版社で編集として働いていて、この日は上司のジャックからある仕事を押し付けられる。小説家ミラン・デネカー(「間奏曲はパリで」ミカエル・ニクヴィスト)のデビュー作であり、異例のベストセラーとなった作品"Waking Eyes"の再出版を担当することになったのだ。しかし彼女とミランの間にはある因縁があった。
それは15年前、アリス(Ana Mulvoy-Ten)がまだ高校生だった頃のことだ。学校には余り馴染めていなかった彼女にとって心の支えとなっていたのが小説だった。日々執筆を続けていたが、才能があるかは自信がなかった。そんなある日編集者であった父(Michael Cristofer)が、自分が目をかけている小説家だと彼女に紹介してきたのがミランだった。ひょんな切っ掛けからアリスはミランに作品を見せることになり、彼が内容を誉めてくれたその日から2人は教師と生徒のような関係を築き始めるが……
物語はアリスの現在と過去を行き交いながら展開していく。現在のアリスはミランと否応なしの再会を果たし、未だ私たちには伺い知れない忌まわしい記憶に心を絡め取られていく。彼女はミランに強引に誘われ、昼食を共にする羽目になる。君と会えなくて寂しかったよ、そんな言葉にアリスはぎこちなく笑顔を浮かべる。そしてそのぎこちなさは過去のアリスへと繋がる。記憶の中のぎこちない笑顔は、しかし自分に親身になってくれるミランの存在に柔らかさを宿していく。そしてあの時の柔らかさを必死に再現しようとする現在のアリスは、それでも耐えられなくなり店を足早に出ていってしまう。編集Jessica Brunettoと共にCohn監督は並行して語られていく2つの時間軸を、どちらがどちらかに奉仕させることなく、相互補完的に響きあうように配置していく。この流れるような手捌きは、まさか今作が初長編とは思えないほど熟達した物だ。
そしてトラウマが少しずつ画面に炙り出していくのが、アリスという女性の不完全性だ。冒頭でも仄めかされていたが、彼女は何かに突き動かされるように、夜毎違う男とベッドを共にする。それは性欲だとかそういった類いの物ではない、何か自らを壊したいという叫びにも似た衝動。それは憎むべき父の性格をそのまま受け継いでしまったかのようで、思い至るたび自己嫌悪に陥る。だがそんな彼女を見守ってくれる大親友セイディー(Ali Ahn)がいて、彼女が開いてくれた誕生パーティーでアリスは好青年のエメット(David Call)とも出会い、束の間の安らぎを得る。だがアリスはそれを壊そうとするのを止められない、相手を傷つけると解っていて裏切ることを止められない。
この自壊衝動の源が過去に横たわっている。ミランの佇まいに魅了されたアリスは学校が終わってから、部屋に彼を招き入れるようになる。密室に育まれる親密さは、しかし支配への道筋でもある。ミランを演じるミカエル・ニクヴィスト、灰色に枯れている外面は紳士然としながらも、内には形容しがたい厭な何かを秘めた男を好演ならぬ嫌演している。少女の弱みに少しずつ毒を忍ばせて、その心を掌握していく様はひどく醜悪だ。だが支配の光景が醜く、私たちの心をも絡めとるほど不愉快であるからこそ、この映画は力強いメッセージ性を持つことともなる。
劇中で印象的なのはアリスの執筆風景だ。過去のアリスはペンを軽やかに振るい言葉を紡いでいくが、現在のアリスはパソコンに文字を打ち込んでは消し去り、打ち込んでは消し去りの繰り返しだ。何故彼女は小説を書けなくなってしまったのか? この隔たりにこそトラウマの源がある。そしてもがき苦しむアリスが辿り着くのが"The Girl in The Book"という映画のタイトルになっている言葉だ。この言葉が宿す呪いにも似た響きを、だが監督は劇的なまでに変えてしまう。世界には様々な暴力や支配によって自分の過去を奪われてきた女性たちがいて、アリスもまたそんな女性の1人だ。だからこそ彼女に希望は託される、誰もが支配から逃れられるようにと、過去を取り戻せるようにと。そしていつしか"The Girl in The Book"という言葉が光ある未来への祈りとして響くのを、私たちは聞くはずだ。
参考文献
http://wptheater.org/lab/directors/(監督プロフィール)
http://blogs.indiewire.com/womenandhollywood/laff-2015-women-directors-meet-marya-cohn-the-girl-in-the-book-20150610(監督インタビューその1)
http://mccrackhouse.com/marya-cohn-on-exploring-the-nexus-of-sex-and-power-in-the-girl-in-the-book/(インタビューその2)
ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その1 Benjamin Dickinson &"Super Sleuths"/ヒップ!ヒップ!ヒップスター!
その2 Scott Cohen& "Red Knot"/ 彼の眼が写/映す愛の風景
その3 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その4 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その5 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その6 ジェームズ・ポンソルト&「スマッシュド〜ケイトのアルコールライフ〜」/酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい…
その7 ジェームズ・ポンソルト&"The Spectacular Now"/酒さえ飲めばなんとかなる!……のか?
その8 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その9 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その10 ハンナ・フィデル&"6 Years"/この6年間いったい何だったの?
その11 サラ=ヴァイオレット・ブリス&"Fort Tilden"/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その12 ジョン・ワッツ&"Cop Car"/なに、次のスパイダーマンの監督これ誰、どんな映画つくってんの?
その13 アナ・ローズ・ホルマー&"The Fits"/世界に、私に、何かが起こり始めている
その14 ジェイク・マハフィー&"Free in Deed"/信仰こそが彼を殺すとするならば
その15 Rick Alverson &"The Comedy"/ヒップスターは精神の荒野を行く
その16 Leah Meyerhoff &"I Believe in Unicorns"/ここではないどこかへ、ハリウッドではないどこかで
その17 Mona Fastvold &"The Sleepwalker"/耳に届くのは過去が燃え盛る響き
その18 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その19 Anja Marquardt& "She's Lost Control"/セックス、悪意、相互不理解
その20 Rick Alverson&"Entertainment"/アメリカ、その深淵への遥かな旅路
その21 Whitney Horn&"L for Leisure"/あの圧倒的にノーテンキだった時代
その22 Meera Menon &"Farah Goes Bang"/オクテな私とブッシュをブッ飛ばしに