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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父

さて、ベルギーである。私にとってベルギーはチョコと貧困とジャン=クロード・ヴァン・ダム、そしてシャンタル・アケルマンの国だ。映画史において最も偉大なる映画監督と作品「ジャンヌ・ディエルマン」を生み出した国ベルギー、以前このブログでもそんなベルギー映画界期待の新鋭Gust Van den Berghを紹介した(この記事を読んでね)が、文芸エロ映画に世界が見えてくる第2回ではもう1人の新鋭ソフィー・ショーケンと彼女の長編デビュー作「Unbalance -アンバランス-」を紹介していこう、もちろん邦題はあんまりなので以下原題の"Marieke, Marieke"として。

ソフィー・ショーケンスはベルギーを拠点とする映画作家だ。大学では美術史家としての技能を学びながら、通信科学と映画の修士学位を獲得する。卒業後はニューヨークへと移住、舞台俳優としてのキャリアを始める一方で、コロンビア大学ではチェコから亡命してきた映画作家Frank Danielが教師を勤める脚本クラスで学んでいた。1994年には長きに渡る盟友となるPeter Woditschの初監督作"Hey Stranger"の脚本と制作を手掛けた。

“ニューヨークでの経験は素晴らしいもので、多くのことを学びました。素晴らしい俳優たち、素晴らしい監督たちと仕事をして……ですがいつしかヨーロッパが恋しくなったんです”

そしてショーケンスはブリュッセルへと帰国、1995年には自身の制作会社Sophimagesを設立し、プロデューサーとしての活動を開始する。制作映画には無実の罪で投獄された男を描いたブラックコメディ"Les Aveux de l'innocent"(1996)、バレエ振付師アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルによる舞踏を描いたドキュメンタリー"Rosas Danst Rosas"(1997)、アカデミー外国語映画賞にノミネートされたオランダ映画"Verder dan de Maan"(2003)などがある。詳しくはSophimagesの公式サイトを参照。

2001年からは欧州委員会の情報社会・メディア総局でヨーロッパの映画作家をサポートするという仕事に就く。最初は半年だけの勤務だったが、給料が良かったというのもあって1年、2年と続け、遂には6年が経ち部署のトップにまで登り詰める。

しかし転機となったのが2006年に初めて監督した短編映画"Alice ou la Vie en Noir et Blanc"だった。主人公は白黒の世界で多感な思春期を過ごすアリス、彼女は変わりゆく自分のことを受け入れられないでいた。しかしいつか勇気と翼を手に入れた彼女の世界は色彩を取り戻す……今作はベルリン国際映画祭で上映された後、ルーヴェンポルトガルセトゥーバル、パリ、カルロヴィ・ヴァリ、ブエノス・アイレス、トロント、釜山など2年の歳月をかけて世界中の映画祭を巡り高く評価される。これに確かな手応えを感じた彼女は欧州委員会を辞職、長編映画の制作に乗り出し、2010年に長編デビュー作"Marike, Marieke"を完成させる。

小さな少女と彼女の母、2人はお風呂に身を浸しながら、見つめあい、静かに言葉を交わす。「パパはもう帰ってこないの?」「そう、でもいつまでもあなたを見守ってくれる」「じゃあ、ママのことは?」……父のジャンが姿を消して12年、マリーク(ハンダ・コージャ)はとうとう20歳になった。母のジャンヌ(「闇を生きる男」バーバラ・サラフィアン)と身を寄せあい暮らす彼女は、チョコレート工場で働きながら生計を立てている。父が居ないことなど気にしていないとそんな素振りを見せながら、彼の不在は確かにマリークの人生へ影を投げ掛けていた。

マリークには母に言えない秘密がある。それは自分よりも数十歳も年上の男性たちと関係を持っていることだ、しかも複数と。ある男とは美しい旋律に合わせてカフェでダンスを踊り、ある男とは聞き覚えのあるジョークに笑いあい、そしてベッドで体を重ね合わせる。そんな彼女には1つ趣味がある、関係を持った男たちの姿をデジタルカメラで撮影することだ。マリークは部屋で独り、数十枚の写真を眺め父の面影を探しだそうとする。

物語はこうしてマリークの持つ複雑な愛を描いていくのだが、1人の男の登場が物語に変化を与える。ある日、チョコレート工場に彼女を訪ねてくるのはジャコビー(「ヒヤシンス・ブルーの少女」ヤン・デクレール)という白髪の男性だ。小説家であった父の編集者であり親友であったと名乗る彼は、父が消える前に家族で住んでいた邸宅へとマリークを導く。そして始まるのは、失われたはずの父の記憶をめぐるマリークの短くも長い旅だ。

ショーケンス監督は繊細な手つきで以て、愛についての物語を紡いでいく。78分という長編としてはかなり短いランタイムながら、シーンの取捨選択は的確で無駄がなく、しかもひどく美しい。この監督の演出に共鳴するのが「サンドラの週末」なども手掛けているDoPアラン・マルコァンの美的な撮影だ。彼は登場人物たちが歩み、走り、踊る姿を流れるようなカメラワークで追っていく。特にマリークが自転車で道を行き、カメラが振れたその時、背後に灰色の空が映るシークエンスはたわいのない日常に崇高な美が宿る瞬間だ。だが彼女の旅路は綺麗事だけで済まされることはない。

"Marieke, Marieke"が描く愛はどのような関係にしろそこに年齢差が存在する。だが年上の男/年下の女を描く凡百の作品とこの作品とでは書き込みの格が全く違う。ある時、彼女の撮る写真を見た親友のアンナは彼女に訪ねる、何でこんなおじいちゃんばっかり?マリークは答える、人は老いを迎えると瞬間を生きるようになる、そこに惹かれるのと。この説得力ある一言だけでも素晴らしいが、もう1つ痛烈な描写がある。数十歳も年上の人を好きになる者にとって最も恐ろしいのは、ほぼ確実に自分よりも相手の方が早く亡くなってしまうことが運命づけられていることだ。今までの作品は年上のーーそしてそれはほぼ男性でもあるーー人物の抱く悲しみばかりを描いてきたが、今作は年下であるマリークの視点から悲哀を、サラリとしながらしかし深く描き出す。個人的なことだが、此処には私が語られていると思った。今まで多く映画を観てきたとは自負しているが、年の差が存在する愛において残される者の悲哀を描いた映画は観たことがなかった。そういう意味でも私にとっては重要な映画だ。

旅路を行くうちに、マリークは心の奥に閉じ込めていた1つの記憶へと辿り着く、対峙するには余りにも辛い記憶。そしてそれは母であるジャンヌとの関係にも深く関わってくるものだ。ここで物語が描く愛は、マリークと男たち、マリークと父から、マリークと母の間にあるそれへと変わる。忘れようとする母/忘れたくない娘の対立が生み出す傷、しかしショーケンス監督は類い稀なヒューマニズムによってそこから筆舌に尽くしがたい程に暖かな優しさを溢れさせる。"Marieke, Marieke"は記憶と愛についての、本当に、本当に美しい作品だ。

"Marieke, Marieke"後、新作はまだ撮影していないがプロデューサーとしての活動は旺盛だ。2011年の"Antwerp Central"アントワープ中央駅のカテドラルを描いたドキュメンタリー、2012年の"Kathleen Ferrier"は20世紀前半を駆け抜けたカリスマ的コントラルト歌手キャスリーン・フェリアを描いた作品、2015年には盟友Peter Woditschと共に神父たちの苦悩を描き出す"In God's Hand"を制作した。

そして最新作は何と日本が舞台のドキュメンタリーで題名は"The Silence of Emperor"、監督は「福島へようこそ」アラン・ド・アルー、俳優で政治家の山本太郎が反原発に奔走する姿を描いた作品だそう。ということで監督の今後に期待。

参考文献
http://www.sophimages.be/Home/Index?isReenter=true(製作会社公式サイト)
http://www.mariekemarieke.be/marieke/(映画公式サイト)

私の好きな監督・俳優シリーズ
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その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その17 Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で
その18 Ramon Zürcher&"Das merkwürdige Kätzchen"/映画の未来は奇妙な子猫と共に
その19 Noah Buchel&”Glass Chin”/米インディー界、孤高の禅僧
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その23 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その24 Lisa Aschan &"Apflickorna"/彼女たちにあらかじめ定められた闘争
その25 ディートリッヒ・ブルッゲマン&「十字架の道行き」/とあるキリスト教徒の肖像
その26 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
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その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
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