さてチュニジアである。チュニジアと聞いて浮かぶ物といえば、やはりアラブの春についてだろう。2010年12月17日、露天商の青年モハメド・ブアジジが役所による暴行と侮辱に抗議し、県庁舎前で焼身自殺を遂げた。その映像がFacebookに投稿されたことにより、ベン・アリー政権への不満が爆発、デモは急速に発展していき政権は崩壊、そしてこの反政府・民主化運動はアラブ諸国を中心とする他の独裁国家や専制国家へと波及していくこととなる。さて今回は、そんなアラブの春直前のチュニジアを1人の少女の眼差しから描き出す"À peine j'ouvre les yeux"とその監督Leyla Bouzidを紹介して行こう。
Leyla Bouzidは1984年、チュニジアの首都チュニスに生まれた。父はレジオンドヌール勲章を持つ、チュニジアで最も有名な映画監督Nouri Bouzid。ソルボンヌ大学でフランス文学を学んだ後、フランスの映画学校の名門Femisの監督科で学ぶ。
2006年にFemisの卒業製作として短編"Bonjour(Sbah el khir)"を監督した後、2011年にはチュニジアの中産階級家庭を描き出した"Soubresauts"を手掛け、フランスのクレモン=フェラン国際映画祭で上映されるなど話題になる。2013年には短編"Zakaria"を製作、南フランスに住むアルジェリア移民の一家がある事件をきっかけとして揺れ動く様を撮したドラマ作品でフランス各地の映画祭で上映、話題となる。そして2015年、彼女は初の長編監督作"À peine j'ouvre les yeux"を手掛けることとなる。
2010年夏、18歳の少女ファラ(Baya Medhaffer)はチュニジア最大の都市チュニアで青春を過ごしていた。高校を卒業したばかりで、将来は医療学校に行くことを両親に期待されていた。しかし今の彼女にはそんなこと頭にない、ファラはもうすぐデビュー予定のロックバンドのことで頭が一杯立ったのだ。メンバーのアリ(Aymen Omrani)やイネス(Deena Abdelnahed)、そして恋人のボフレネ(Montassar Ayari)と共に練習に明け暮れる日々が続くが、そんなファラに母のハイエット(Ghalia Benali)は良い顔をしない。
劇中ではファラたちのバンドJajmaによって様々な曲が奏でられるのだが、気鋭のウード奏者であるKhyam Allamiが作曲したこれらの要素は今作の胆でもある。ギターやドラムなどスタンダードな楽器から、アラブの民族楽器であるウードやレク、更にDTMすら駆使して演奏される曲は巧みな技術と向こう見ずな初期衝動に支えられ、たゆたう音の彩りにアップビートなリズムを内包し、聴く者を無二の空気感に巻き込んでいく。
だが更に印象的なのはボーカルであるファラが紡ぐ言葉の群れだ。歌詞は青春の喜びや若さの賛美に溢れているかと思えば、全くの逆を志向している。"扉は閉じられていく、閉じられていく" "私たちの血は搾取され、私たちの夢は消え失せていく" "あなたは自分自身から逃れられない、決して逃れることは出来ない"……彼女は厳かで呪術的な響きで以てこの呪詛に満ちた歌詞を紡いでいく。まるでルーマニアの反哲学者エミール・シオランのアフォリズムをそのまま歌詞としたかのようだが、此処には普遍的な若さの虚無感以上に、自分たちが今生きているこのチュニジアへの絶望や嘆きを語っている、それほどに彼女らの故郷への思いは深い。
Bouzid監督はこういった思いを背景として、青い恋と愛の駆け引き、大舞台を目前としたファラたちの不安など現代のチュニジアに広がる青春の風景を生き生きと描き出していく。だが時が経つにつれて、この国に得体の知れない不穏な何かが広がっていく様をも彼女はカメラに捉えていく。アパートの一室でバンドの練習に励むファラたちだが、ある時歌詞をもう少し穏当なものに変えないか?という話が持ち上がり対立が生じる。彼女たちのような存在にも警察の手は伸び、不可視の抑圧は互いの中に体制側のスパイがいるのでは?という不信感すら呼び込む。そして事件は起こってしまう。
そしてBouzid監督は徐々に物語のフォーカスをファラの青春からファラとハイエット、この娘と母の関係性へと向けていく。情勢が不安定なチュニジアで、いつも夜遅くまで帰ってこないでバンドなんかやっているファラをハイエットは常に心配している。しかし一方で彼女の無茶で向こう見ずな振る舞いを、慈しみの瞳で眺めるハイエットもそこには存在する。彼女は無茶な娘にこそ昔の自分を見出だしているのだ。2人は生身の感情をぶつけ合うも、監督は2人に等しく寄り添いながら、彼女たちの行く末を見定めようとする。
"À peine j'ouvre les yeux"は直接アラブの春という大きな事件を描こうとはしない、描くのは個人の目を通したそこに至るまでの道筋だ。終盤においてファラたちのような若者が叫び続けていた、私たちは誰にも守られたくなどない!という願いは完膚なきまでに踏みにじられることとなるが、この願いの欠片に瞬く悲しみこそが大いなる解放へと繋がるのだ。彼女の歌は響き渡り、そしてアラブの春は始まる。
私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
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その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
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