さて、いわゆる“ギリシャの奇妙なる波”はこの国が直面した経済危機に端を発して巻き起こった潮流と言うべきものだ。危機的状況において自分たちはどう映画を作れば良いのか?という苦悩の元に映画作家たちは団結し、低予算で勝負するために全くもって奇妙な内容の映画を作ることで世界に名声を馳せることとなる。そして作家たちは次の段階としてこの経済危機それ自体に目をむけ、この苦境をいかに映画にするか?という問いを突き詰め始める。今回紹介するSyllas Tzoumerkas監督作“A Blast”はその問いに対する1つの強烈な応答でもある一作だ。
亡霊のように悲壮な表情を浮かべる女性、彼女が今作の主人公であるマリア(Angeliki Papoulia)だ。ある朝、マリアは3人の子供を連れて車を走らせる。そして姉であるゴゴ(Maria Filini)に彼らを預けたかと思うと、車を駆り独りでどこかへと向かう。孤独な疾走を遂げる中で、彼女の顔にはいつしか大いなる怒りが宿り始める。
何故こんな状況へと彼女は追いやられたのか、物語は同時並行的にマリアの過去をも描き出していく。数年前、ロースクールへの入学が決まり、そして夫である貨物船の船員ヤニス(Vassilis Doganis)とも出会いを果たしたマリアの人生は順風満帆と言ってもよかった。しかし母(Themis Bazaka)がとある秘密を隠していたのを、彼女は知らない。
“A blast”は主にこの2つの時間軸を行き交いながら、1人の女性の熾烈な生存闘争を語っていく。過去を生きるマリアの姿には活力が漲っている。姉との戯れ、新年の喜び、ヤニスとの愛、全てにおいて全力である彼女はとにかく騒がずにいられない性格なのだと一目で分かるだろう。だが現在においてこの活力は負の感情に反転している。深い絶望感、迸る怒り、重苦しい虚無、それらが突発的な暴力やエロスと共に発露する様は、この時点で既に壮絶だ。
そして2つの時間軸は絶望によって共鳴しあうこととなる。ある時、マリアは母がとてつもない量の借金を隠していたことを知り、悲嘆に暮れる。更に彼女がそれを苦にして自殺したことから、自分たちで全てを解決しなければならない状況にあると悟る。マリアは借金を返済しようと、四方を駆け回る生活を送るのだったが……
このマリアの苦闘の裏には、先述した通りギリシャ未曾有の経済危機が存在している。劇中に出てくるニュースでは“ギリシャは沈みゆく船である” “相次ぐ倒産でギリシャの状況は壊滅的なものとなっています”など国の未来に対する真っ暗な見通しばかりが叫ばれる。そして真っ先にその犠牲となるのは市井の人々、つまりはマリアたちだ。崩壊によって追い詰められる中で彼女たちは何とか事態を打開しようとしながら、役所の官僚主義的な物腰は何をも解決しようとしない。真綿で首を絞められるような感覚の中で浮かび上がるのは、マリアがロースクールの試験のため覚えた言葉だ、人は皆幸せになる権利がある……
そしてこの状況へと奇妙な形で織り込まれていく要素が、マリアと夫ヤニスの関係性だ。過去において2人の仲は正に始まりの絶頂にありながらも、借金が原因で彼女たちの心は分断されていく。この分断される様を監督は執拗なセックスによって描き出す。物語の流れに介入するかのように放り込まれるセックスは、まるで愛と津波が激突を果たすかのような圧力に満ちている。互いの身体を打ちあいながら、永遠に愛してくれる?という問いを虚空へと叫ぶ。だが物語が進むにつれその描写は不穏なものとなり、とうとう彼は他の人間の肌を選び取る……
今作の核となる存在はマリア役のAngeliki Papoulia以外には居ないだろう。「籠の中の乙女」の長女役として日本でもお馴染みの俳優だが、骸骨のような顔立ちから生命力が溢れ出す様は圧巻としか言い様がない。彼女の一挙手一投足は物語を牽引し、独特のリズムを作り出していく。例えば母親に怒りを爆発させる時の感情の炸裂、例えば人生への幻滅を語る時に広がる水を打ったかのような静謐、これらが1つ間違えれば支離滅裂となりかねない時間軸の錯綜に1本太い芯を通すのだ。
“A blast”は“ギリシャの奇妙なる波”の中で奇妙さでは他の作品に劣るかもしれない。だがそれを補って余りある強烈な力がここには宿っている。栄光と希望に満ち溢れていた過去、財政崩壊と官僚主義に彩られた腐敗の現在、流れを切り裂くように現れる荒々しいセックス、それらを監督は大胆不敵な編集(編集担当のKathrin Dietzelは今作のMVPかもしれない)と噴出する生命力によって織り合わしていく。それらはいつしか高速道路を駆け抜ける車の爆走に重なり、物語は激発(Blast)へと至るのだ。
私の好きな監督・俳優シリーズ
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その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
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その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
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その179 Alessandro Aronadio&"Orecchie"/イタリア、このイヤミなまでに不条理な人生!
その180 Ronny Trocker&"Die Einsiedler"/アルプス、孤独は全てを呑み込んでゆく
その181 Jorge Thielen Armand&"La Soledad"/ベネズエラ、失われた記憶を追い求めて
その182 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その183 Krzysztof Skonieczny&"Hardkor Disko"/ポーランド、研ぎ澄まされた殺意の神話
その184 ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ
その185 ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中
その186 Fien Troch&"Home"/親という名の他人、子という名の他人
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その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
その191 Argyris Papadimitropoulos&"Suntan"/アンタ、ペニスついてんの?まだ勃起すんの?
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